幸せを感じるとき

こんにちは。cazです。
みなさんは最近、幸せを感じていますか。

幸せ...。僕はなんだか最近、あまり感じないような気がします。

なぜだろう。

他の人と比べると、家もあって、仕事もあって、自分の好きなことする時間もあって、幸せな人間なんだと、客観的には思うのです。

でも、自分の中だけで幸せを測ろうとした時、今が幸せなのかどうかがいまいちわからないんですよね。

まぁしかし、そんな悩みをしていてもしょうがないので、まずは自分が、幸せだと感じているであろう出来事を洗い出してみて、自分を捉えてみる。

多分、この時幸せリスト

・家事をテキパキこなしているとき
・4時間以上読書の集中が続いた時
・好き勝手に絵を書いているとき
・深夜徘徊してるとき
・誰も知らないかっこいいもの見つけたとき
・午前中に映画をみて、午後涼しい部屋で昼寝するとき
・古着屋で見つけた、自分のタイプの服がめちゃくちゃ安かった時
・自分の作ったものが自分の生活に活かせたとき

自分、完全にソロプレイヤーだった

完全に一人遊びが好きな奴だということがわかりました。
世の中、自分1人で楽しめることばかりなのに、それだけでは社会的に評価されず、むしろ他の人の役に立てなくて叱られることが多く、それによって自分の幸せが、本当の幸せかどうか判断できなくなっているのかなと思いました。

他人に叱られない幸せと、自分1人で感じる幸せ。この2種類の幸せが、中途半端な僕のメンタリティを形作っているのだと、文章を書いていて気づきました。

でもたぶん、それが普通かも

上記のような、2種類の幸せをもつ人は、多分僕以外にもたくさんいると思います。憶測だけど、特に僕の地元(ど田舎)には、同じタイプの人間がいると思います。

小さいコミュニティにいると、そのコミュニティでもっとも支持されているものが、一番正しい事実のように扱われます。そういった中で自分の趣味嗜好に対して、公に理解を示してくれる人は少なく、誰もが、コミュニティでもっとも支持を集めているものを支持することで、そのコミュニティの一員として、胸を張ることができるのです。

コミュニティが支持するもの以外を"変なもの"として扱い、ときには非難までする。だから、コミュニティで生きていくには、そこに沿った価値観を持つことが必須になります。

たとえその価値観が自分の望むものとは違っていても、必死に我慢して我慢して、そして、そのコミュニティの中で評価されることで収入を得る。これが普通の社会での生き方です。

自分にはキッツい

僕はその我慢ができずに、小さなコミュニティから飛び出すタイプの人間で、というか勝手にこの世に生まれたのに、我慢して(苦しんで)生きていかなければいけないことに対して疑問しか持てないのです。

でも、そうやって逃げ続けたときに目に入るのは、例え望まれた価値観の世界でないにしろ、努力してそこで認められ、素晴らしい結果を残している人たちの姿です。

そんな人たちをみると、なんて情けないやつなんだ自分は。と思うわけです。

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