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幼心

むかしむかしあるところに、寂しがり屋の女の子がいました。
幸せでないわけではないのに、いつも何処かに“寂しい”がありました。けれども、抱えきれないほどの量ではなかったものですから、どうかこうかたまに甘いものを食べながら生きてきました。

 しかし、変わり映えのしない夏の夜、出逢ってしまったのです。それは、さくらんぼ味の飴でした。女の子はすぐにそれが大好きになりました。いつも何処かにある“寂しい”をぼんやりと薄くしてくれるような気がしたからです。その飴は“ある人”から貰ったものでした。“ある人”は顔を合わせる度にさくらんぼ色の包みの飴をくれるものだから、女の子はすっかりその“ある人”のことも大好きになりました。

 しばらくすると、毎日逢えていたはずの“ある人”に逢えなくなりました。ですから、さくらんぼの飴もぱたりと貰えなくなってしまったのです。女の子にとっては突然起こった事件のように思われましたが、よくよく考えてみると少しずつ緩やかに顔を合わせる時間と可愛い包みの数が減っているだけの様にも思えました。
次の日、“ある人”に出逢った女の子は恐る恐る『あの飴が欲しい』と伝えました。すると“ある人”は心良くさくらんぼの飴を女の子の掌に乗せてくれたのです。女の子は嬉しくなりました。もう貰えないと思っていたものが、欲しいと言うだけで貰えるのですから。何も変わりません。可愛い包み紙もまあるいフォルムも甘い香りも前に貰ったものと同じです。同じはずなのですが、口に含んでみるとほんのりと味が変わっている様な気がしました。それに、含んだ飴が小さくなっても砕けても、ぼんやりと薄れるはずの“寂しい”が心のど真ん中にいつまでも居座っているのです。女の子は不思議に思いました。それでも、その形が変わっていることには気が付けません。誰にでも気が付けることではないのです。女の子にとっては少し難しい問題です。
それから何度か顔を合わせる機会があり、強請って飴を貰いましたが…やはり味は違う物のように感じました。さくらんぼなど入ってはいないのに色や形、香りを真似て作られたナニカの様でした。そして、可笑しなことに“寂しい”は薄れるどころか大きく育ってしまうのです。催促して貰えるものは足が早い。心臓が3回打つよりも速く、色も香りも味も褪せてしまうのでしょう。

やっとの思いで女の子は気が付いたのです。
“寂しい”が薄れる理由は飴などではなかったと。
大好きなのは、さくらんぼ味などではなかったのだと。
それをくれた、“ある人”の想いが嬉しかったのだと気が付いたのです。大好きだと思ったのです。だから“寂しい”のだと思ったのです。飴を貰ったところでどうにもならないのだと知ったのです。知ってしまいました。“知らない”には戻れません。これは自分の中で折り合いをつけるべき事柄の様に思えました。
 女の子は考えます。考えて考えて考えました。
そして思いついたのです。
もう会わなければよいのだと、思いついたのです。
見たいものを見て、見たくないものには目を瞑ってしまえばいい。それから、女の子はどこにも行きませんでした。どこにも行かなければ、何もしなければ…これ以上どうなることもないのです。
ずっとずっとずっとずっと…そうしていました。

だというのに、ふらりと少しだけ散歩しようと近くに足を向けると、ゆくりなく出逢ってしまいました。久方ぶりに顔を合わせた“ある人”は、なんだか心配そうな顔をしていました。女の子は、そんな顔をされる見当がつきません。
「何かあったのか」と問われ「なにもない」と女の子は答えます。するとまた“ある人”は、さっきと同じ顔をして「どうして話してくれないんだ」と溢すので「話すことがないから」と伝えました。
「それはとても悲しい」と言われても女の子には分かりません。表情に出てしまったのでしょう。“ある人”は続けてこう言います。
「さくらんぼ味の飴が貰えなくなった時と同じ心持ちのことを言っているんだよ」と。
それは…それはとても寂しいと女の子は思いました。
でも、それはどうしてなのでしょう。どうして、“ある人”はそんな心持ちになってしまうのでしょうか。
さくらんぼの飴を貰えなくなったのでしょうか。いえ、それは違うはずです。あの飴はいつも同じお店で買ってくるのだと前に聞いたことがあるのです。記憶力には自信があります。
腕を組んでみても首を捻ってみても…“ある人”の顔をちらりと盗み見て考えもしましたがやっぱり分かりません。

「それは、僕にもまだ分からないんだ」

“ある人”もそんなことを溢すものだから、なんだか可笑しくなりました。

「そう笑わないで聞いてほしいのだけど、いいかな?」

女の子は首を縦に動かします。

「それを分かるために、また僕と会ってほしいんだ」

“ある人”は左手を差し出しました。その手に飴は入っていない様に見えます。女の子は少し考えて、考えた上で、その手を左手で握りました。
さくらんぼ味の飴はないのに、何処かにある“寂しい”がぼんやりと薄れる音がしました。

もしかすると、全く違う意味の音だったのかもしれません。



おしまい。

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