ショートショート小説「理由」

 男は世間を騒がせていた。男はなんでもない日の昼下がり、立ち寄ったコンビニで売り物のカッターナイフを手に取り、突如店員にそれを突き立て殺害した。そして現在、その罪について裁判が行われ、判決が公開されたところであった。もっとも、世間が騒いでいるのはその罪の残虐性によるところではない。以下、男の供述を原文そのまま書き起こしたものである。
 「…ええ、私は確かに店員を殺しました。なにせ現行犯ですから。いや、そんなことを聞きに私をひっ捕らえたわけではないでしょうな、失礼失礼。皆様が問題にしているのは私の犯行動機の方でありましょう。結論から言うとそんなものは無い、というのが私の供述であります。このままではよく分からないでしょうから、なんでもない日常に置き換えて例えてみましょう。まず朝の陽射しを浴びながら気持ちよく起きる。朝食には4枚切りの分厚いトーストにバターをたっぷりと塗り、平凡なニュース番組を見ながらそれを頬張る。シンプルな味付けのトーストは特に感想を残すことなく食道を通り過ぎ、重みを持ちながら胃の中にとどまる。手頃に朝食を終えたので洗面台に向かい、まだ冷えきった水道の水でシャバシャバと顔を洗う。タオルで水を拭き取ったら、今度は歯ブラシを軽く濡らし、歯磨き粉をつけてくまなく歯を磨く。そうしたら少し給湯器が動き始めたのかぬるくなった水をコップに注ぎ、ガラガラとうがいをして口の中を清潔にする。この頃には水道の水が温かくなっているので、頭を温水で濡らし、ドライヤーをかけて寝癖を整える。そうして身だしなみを整えていると職場に向かう時間が近づいているので、スーツに着替えていよいよ出勤する準備を固める。鞄に時計、キーケースを持ったら忘れ物がないことをもう一度確認し、それでも何か忘れているような気がしながらも家を出て鍵をかける。最寄りのバス停に並びながら、今日の会議は何時からだったか、とか昼には何を食べようか、とかあれこれ考えていると、ほどなくして最寄りの駅に通じるバスがやってくる。通勤ラッシュの時間帯なので椅子に座ることはかなわず、つり革を掴んで最寄り駅までの時間バスに揺られる。いつも通りの時間に最寄り駅に着いたので、いつもの電車が来るまでにあと3分ほど時間がある。この頃には今日の予定が大まかに決まっているので、帰りにいつもの居酒屋に寄ろうか、いや体のことを考えて今日は行かないべきか、などと考えながら目の前の老人を線路に突き飛ばす。
 …といった話になるのです。私が店員を殺したことに動機、脈絡といったものはなく、単にそうしたからそうなっただけにすぎないのです。何か理由を話そうとすると私は皆様に嘘をつくことになってしまいますので、なるべく正直に申しております。単に人を殺してみたかった、とか、脈絡のない行動をすると皆様がどのように感じるか気になった、とか、そういう欲望があったわけではございません。店員と面識があったわけでも、目付きが気に入らなかったわけでもございません。私が店員を殺したことに感情が関係しているわけではなく、単にそうしたからそうなっただけにすぎないのです。私はこの事件について悪いとは思っておりません。私は皆様に嘘をつきたくてこの法廷に立っているわけではございませんので、心にも無い反省の弁を述べることは控えさせていただきたいのです。考えてみれば当たり前のことではないでしょうか。私が店員を殺したことにはなんの理由もございません。理由や背景が何も無いのにどうして反省することができましょうか。法に背く行為を行った、だから反省しろというのが一般論だと思われますが、法に背いた理由がないのに何を改められましょうか。私は店員を殺しました。しかしそのことに理由はございません。」
 当然ながら、男は反省の色が見られないとして重い懲役を言い渡された。男はこれだけ長々と喋っていたにもかかわらず控訴をしなかったので、単に被告人が妙な供述をしただけの事件としてこの事件はあっけなく幕を閉じた。しかしメディアはこの男の長ったらしい供述に目をつけ、何か本人も気づいていない理由があるはずだと男の身の回りを調べ始めた。幼少期から危険思想があったのではないか、何か家庭内にトラブルがあったのではないか、あるいは精神疾患を患っており自身でも訳の分からないうちに犯行に及んだのではないか、とメディアは憶測で騒ぎ立てた。何かしらの証拠は後から見つかると思ったからだ。しかし掘れども掘れども彼について分かることはそれなりに勉強ができ、それなりに明るく、それなりの人生を歩んでいたということだけであった。特に精神に異常があったような形跡もなく、犯行前日は大学の授業に普通に出席し、普通にサークルで活動をし、普通に一日を終えていた、ということが分かると、メディアはいよいよ困ってしまい、男のことは特に扱われることはなくなった。
 しかし「なんでもない男が理由もなく凶悪な犯罪を行った」ということが明るみになると、今度はインターネットがいろいろと考察を始めた。オトコの凶悪性を抽象的に語るアカウントもあれば、勉強ばかりのやつはこれだからダメなんだと上から語るアカウントもあった。挙句の果てには男の供述に賛同の意志を示すアカウントもあったが、それなりに叩かれて下火になっていった。そんな彼らの考察も長くは続かず、男は世間から忘れ去られていった。

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