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一大疑問イベントThe運動会。

さぁ。

今年もコロナ禍、短縮しながらも

無事に終了しました。

小学校の運動会。

子どもたちの一生懸命な姿にウルっとくると同時に

「うーん?」が生まれるイベントです。


最後まで走り抜くことが大事だよね。


運動会前日のクラス報に

〝帰りの会で子どもたちから、

「順番じゃないよね。最後まで走り抜くことが大事だよね!」

の声が聞こえてきました!”

〝すばらしい気持ち!明日はたくさんの応援よろしくお願いします”


とな…。


いやいやいやいや、

最後まで走り抜くことが1番大事??

そこに重きを置くならば、あからさまに順位をつける必要があるの??

かけっこの主旨は

〝競争精神”

誰がどう見たってそうでしょう?!

それを

最後まで走り抜くこと!絶対に諦めない!!!

って、無理矢理キレイに納めようとしてません?



田舎でのびのびできる学校に通って、

学びの中に自然と触れ合える時間もあって、

子どもたちは手厚い待遇を享受できて、

都会のストレス社会の小学生に比べて、子どもらしくのびのび過ごせて、田舎最高だよね!!

って日々感じていますが

こういうとき、ほんと

全国統一、戦後精神ひきずっている学校教育に苛立ちを覚えます。


運動会の起源は海兵学校っていうじゃない?


ほらー。軍事訓練じゃんか。



とはいうものの、楽しみだった運動会。


子どものころを思い返してみると

戦後精神の塊の運動会なんだけど

ただの競争メインの見せ物大会なんだけど

運動会が近づくにつれウキウキしたり

運動会の朝の、秋を感じる風や匂い。

母が作ってくれたお弁当。

祖母、親戚がわざわざ観に来てくれて、それだけでわたしの成長を楽しみにしてくれているんだ、愛されているんだという実感。

楽しい、幸せな思い出もたくさんある。

あの毎日の単調な授業スタイルからの解放されるワクワク感。。。




ん??🤔



正体はもしかしてこれ??

毎日の授業に充実感が無さすぎて、

ワクワク感が無さすぎて、

イレギュラーイベント、軍事訓練運動会にワクワク感を感じていたんじゃない???


だって、母のお弁当に愛を感じるのは遠足のときだって同じ。

祖母、親戚が集まってくれて無条件の愛を感じるのは、学芸会やその他の発表会のときだって同じ。


わざわざ軍事訓練運動会じゃなくたって良かったはず。


もし、日々の学校生活が、学ぶ喜びに溢れていて、刺激的で、充実したものだったら?


自分の運動能力を観衆に晒して評価され、それが学校内ヒエラルキーの種になりうるリスク冒してまでやる意義は?


そう思うけど。


ま、無くならないんだろうな。運動会。

教育改革教育改革言うて、肝はなーんにも変わってないもん。

この先、変わっていくんだとしても

わが子たちが義務教育期間にいる間には

変わらないし

むしろあっちこっち振り回されてる気さえする。

冒頭の、かけっこの件、明らかな競争競技なのに

順位は気にするな!

最後まで走り抜くのが大事!

なんてさ。

世の中の『平等に!個を大事に!』

な風を取り入れてみるけど

ベースのシステムが変わらないから

矛盾だらけ。

子どもたち、モヤっとするんじゃないだろーか。



子どもたちが自分で出場種目選んで出るでいいじゃない?

走るのが得意な子は走る。お遊戯得意な子は踊る。裏方が好きな子は設営やら進行をやる。

相変わらずの、子どもたちの主体性を感じない、先生たちの無駄なオーバーワークを見せつけられた

運動会なのでありました。


この残念な日本の学校システムの中で

わたしが我が子たちにできることって何だろう。










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