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アレーンを語りたい

最近ハマっているアークナイツというスマホゲームの話をさせてほしい。

ゲーム性のここが好きとか、キャラデザがとかボイスがというのもあるんですが、今回記事にするしかないほど短く纏められない話題はアレーンというオペレーターの話です。

前提としてアークナイツは読み手によって大きく表情を変える描き方をします。一つのストーリーの中に希望と絶望が混在しており、どこに焦点を当てるかによって結末の感じ取り方ですら180度真逆になります。

ソーシャルゲームとしてキャラクターがもう数えきれないほどに存在していて、全てを理解することは時間的にも金銭的にも難しい。ユーザーによってわかることとわからないことが存在する。そういったソーシャルゲーム特有の難しさをアークナイツは作り手としてきちんと理解したうえで、逆手にとって様々な読み方を出来るシナリオを構築しているのです。
だからどんな解釈だって正解で、読み取れなかったからといってそれが間違いではないのです。

これから書くアレーンのことも、私と同じ解釈をした人が多数派なのか少数派なのかはわかりません。けれど私はアレーンの情報をこう解釈した上で、彼のことを好きだと思いました。それを記録しておこうと思います。

※以下プロファイルのネタバレを多分に含むので注意


アレーンを一言で表現するならば「愛情不足」の子です。

幼少期は親から放置気味の日々でした。誕生日には毎年食べきることが出来ないホールケーキを与えられて一人で食べていた過去があり、それ故彼はサンクタなのにスイーツが嫌いです。両親の仕事関連の事件に巻き込まれて鉱石病になり、単身でラテラーノを離れることになりました。そして離れている間に両親は死んでしまいました。

私がアレーンを、アークナイツというゲームがアレーンを描くときに好きなのは、彼の置かれていた幼年期の様子をただの一言も虐待と表現していないところです。

アレーンは心理的虐待を受けていたと言っていいと思います。
親が子供を育てる時に与えるべきものは山ほどありますが、肝心なのは子供に「与えるべきだ」と思っていることを悟られないことでしょう。アレーンは自分に与えられていたものの殆どが、親としての義務が与えさせたものなのだと知っていると思います。
そして愛情ですらも。
あくまで彼は「愛情不足」であり、「欠落」ではないのです。

虐待されている子供を描くとすれば、何に焦点を当てますか?
体の表面にある傷。何かに怯えた様子。トラウマ。そういった描き方のキャラクターが少し前までステレオタイプだったように感じます。
けれどアレーンにそういったものは無くて、ただ普通に混じって生活をして行けるけれど根本がどうしても普通と違います。その歪みが、不足を感じさせる描き方がとても好きなのです。

アレーンを読み解く際に重要な、出てくる言葉が指す象徴が二つあります。

一つ目は「銃」。アレーンの両親は銃関連の仕事をしており、今の彼は銃を「好きになれない」と発言しています。
アレーンは自分が愛されていなかったとは思っていないでしょう。けれど両親は自分よりも仕事を優先するのだと知っていて、本来は自分は仕事より、銃よりも愛されて然るべきだとも思っていました。
彼は銃のことを「好きになれない」と、あくまで「好きじゃない」や「嫌い」とは言わずにそう言っているのです。
なれない、その言葉が孕んでいるのはなりたかったという願いでしょう。
アレーンは銃を好きになりたかった。周囲の子供たちと同じように。
けれど嫌いになることも出来ない。それが大切な人たちが命を懸けるぐらいに好きだったものだから。

「銃」が示すのは「普通」、そして「両親」です。

二つ目は「甘さ」。プロファイルには書いてありませんが、ストーリー内でアレーンのスイーツ嫌いが明言されています。

在りし日の風を求めて「異郷の同胞」より

アレーンが食べきれないほどの大きなケーキを良かれと思って与える親。そして食べることを処理と表現しており、もし親がアレーンがケーキを食べているところを一度でも見ていればアレーンがそれを望んでいないことに気がつけたでしょう。
けれどこの会話の後にアドナキエルは甘すぎないものを作るから食べてほしいと言います。そしてアレーンはそれを拒んでいません。そして画像内の会話の中でもアレーンは自分からスイーツを「嫌い」とは言っていません。
アレーンはスイーツを食べられないわけではありません。この向き合い方は銃と同じでしょう。
量や甘さが適切であればアレーンはスイーツを食べられます。その時にアレーンが感じるのは「自分を見て用意してくれた」という相手の心でしょう。
甘いものを喜ぶだろう。多ければ多い方がいい。親はアレーンを見ていなかったから、「普通そうする」といった基準でケーキを選びました。

「甘さ」が示すのもまた「普通」、そして「愛情」です。

そしてアレーンは鉱石病に罹ったことでラテラーノという国から追放されることになりました。その時に両親はアレーンと一緒に居ることを選ばずに、自分たちがこれからも仕事を続けるうえでアレーンが同じような事件に巻き込まれないように、彼を独りでリターニアに行かせたのです。
この判断をした時も、両親の中でアレーンの優先度は仕事より下です。
感染者はラテラーノに居られない。このまま同じ仕事を続ければ同じことが起こる。この二つが前提としてある時に、アレーンの方が優先度が高ければきっと仕事を辞めて子供と一緒に国を出ることを選ぶでしょう。
けれどそうしなかった。その意味をアレーンはきちんと理解していて、その痛みを抱えています。

結局両親はアレーンと離れている間に想像通りに同じように事件に巻き込まれて命を落としました。
明言はされていませんが、きっと両親はラテラーノ内で死んでいて、そのまま葬式をしているでしょう。
「ただ二度と故郷に足を踏み入れることはできないってだけさ。」これはアレーンがラテラーノを語ったときに彼自身の口から出てきた言葉です。
つまりアレーンは最後のお別れをしていません。

この、別れが二回あるところが本当に好きです。
一度目は親の選択によって。この時は別れそれ自体よりも、親が別れを選択したことが強く影を落としています。
二度目は不可抗力で。この時にもう永遠に取り返しがつかなくなってしまいました。
きっと故郷を離れる時に、それが永遠になるだなんて思っていなかったのではないでしょうか。いつかまた会えるのだと、いつか文句を言って謝らせて間違いを自覚させて、そうして全部許そうと思っていたのでは。
けれどその日は二度と来ることが無い。

アレーンは賢い子です。その賢さが彼を苦しませ続けます。
愛情が足りなかった。だから憎む。それを選ぶことが出来ないのは、愛されていなかった訳ではないのだと知っているからです。
それを知っていても憎んでいて良いのです。子供なんだから。けれどアレーンは子供らしく振舞う方法を知らずにいつでも大人びています。

心理的虐待。愛情不足。機能不全家族。愛着障害。これらをその言葉を使わずに表現しきっているのがアークナイツのすごいところだと思います。
キャラクターを紹介するならば、その特徴を短い言葉で印象的に表現するのがセオリーでしょう。そこからアークナイツは完全に外れています。

現実で自分のことを明かすときに、虐待を受けていてだとか、愛情が足りなくてと直接言う人はあまり居ないでしょう。そういった状況に置かれていて、という情報を与えられて、受け取った側が気づけばそうと判断できる。そのリアルなやりとりを、アークナイツはゲーム内で再現しています。
きっと同じものを読んでもアレーンが心理的虐待を受けていたのだと気づかない人も居ると思います。そして他のオペレーターのプロファイルの中で私が見落としている部分もまた有ると思います。


アークナイツは本当に楽しみ方が自由なゲームだと思います。その自由がユーザーを突き放した結果なのではなく、意図されたものであるという部分が私がアークナイツを楽しめる一番の理由だと思います。

本当におすすめのゲームです。少しでも興味を持たれた方がいれば、ぜひダウンロードしてみてください。無料なので。この手軽さがソーシャルゲームの良いところですね。

無理な金額は自重してね。貰ったお金は多分お昼ご飯になります。