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人生さいごの日

4月1日に引っ越した。私が前の家に最後に居た日は、家族のLINEグループのトーク履歴を遡ってみると、たぶん3月27日ということがわかって、だけどその日も、私の世界だった四畳半を適当に掃除しに帰ってなんの感傷もなくとにかくその場(自分以外の他人=家族がいる場所)から離れたくてひとりでさっさと逃げ帰って終わった、はずである。

2月末から4月の中旬くらいまでのことは、ほんとうに何も思い出したくない。きれいさっぱり忘れてしまいたいのに、あのまま二度と帰ってきそうになかった母親を追いかけて家を飛び出したはいいものの「私は大丈夫だから、心配しないでね」の一点張りを続ける母親の居場所までたどり着けないまま歩き続けた数時間の無力感というのは、こうして文章を書いている間も涙が止まらないくらいには思い出せてしまう。

私はどうやら、そのときの私のいちばん近くにいる人の精神状態に物凄く左右されるみたいで、だからあの約2ヶ月の間の私の心はかつてないほど重く、かんたんに深淵に沈んでいたし、彼女がそばにいなくなってからというもの世界への無関心が続いている。それでいて、私は私が世界でいちばん大事みたいだから、傷つきに傷ついて闇に転がり落ちたことにも気づかないほど抜け出せないでいる家族にやさしくできなかった。今後、同じようなことがあったとしても、同じようなことの繰り返しだろう。

なんだかもう、誰かや何かのせいにする気もおきない。「こんなはずじゃなかった」と考える日も過去にはあったけれど、だけど思い返してみれば、こんなはずじゃない理想的な未来、について、過去の私は明確に想像したことがあっただろうか。きっとそれもなくて、とはいえもちろん、彼女とはなればなれになることは思いもしなかったのだけど……。
昔から、自分の未来にさえも興味を持てない。
どうでもいいわけではないけれど、たとえば私の身になにか不都合なことが起こったとしても、「ま、仕方ないか」と諦められる。受け入れるでもなく我慢するでもなく、諦められる。何もかも。最低賃金以下の仕事も、金髪の境目から半年以上伸びてしまった黒髪も、とにかくお金がないことも、毎日なにもないことも、隣の家の小さな子どもがうるさくて胃に穴が空きそうなのも、隣の家のそれほど小さくもない子どもが楽器禁止の賃貸にも関わらず電子ピアノを弾き続けるから気が狂いそうなのも、ひとりになれないのも、全てに原因や理由があるのだから、それなら仕方ないか、と、諦められる。唯一「あーあ」なんて思うことといえば、やっぱり彼女のことくらいで……。きみなら笑ってくれるだろうなとか、怒ってくれるだろうなとか、思うことばかりで、だけど私の想像通りの反応を示してくれる必要なんてなくて、なんでもいいから、とにかくきみがそばに居てくれたらなって、私が人間性を保てているのは、きみとの過去のおかげといっても過言はなく、だからこそ、もう2度と取り返しのつかない過去でしかないことが、耐えがたい。それならなぜ、あの日を人生さいごの日にしてしまわなかったのだろうか、なんて後悔が過る。きみがいなくてもこうして生きてはいるが、ただそれだけで、人生最良の瞬間で、時を止めてしまえばよかった。

また彼女のことを考えてしまっていた。気を抜けばこれだ。私の人生は彼女で満ちているのかもしれない。

とにかく、とにかくストレス人生ではあるけれど、たぶん楽しい瞬間とか嬉しい瞬間とかもあるし、とはいえほんとうに幸福です、とは言えないけれど、まあどうせ人は死ぬしな、という結論にいつもたどり着き、なにもかもを諦められる。瞬きの次の瞬間や、明日死ぬ可能性は大抵の人は0%に近いだろうけど、だけど、死のうと思えばいつでも死ねるんだしな。別に何だっていいよな。私はとにかく苦しんで死にたくないので、たとえば地震が起きて津波から逃げきれませんってことが明らかにわかる場所にいたら、睡眠薬を飲むと決めている。(これは、飛行機や船に乗って墜落・沈没しますとなったとき、なども同じようにすると決めている)眠っている間にすべて終わってほしいのである! そのために、即効性の高い睡眠薬を探している。ネットで調べてみるが、よくわからない。「自殺 薬」と調べると、コールセンターのWebサイトでまみれるから、余計よくわからない。もちろん、明日すぐに死のうと思っているわけではないけれど、自分が死ぬ瞬間を、どうやって死ぬかをある程度自分でコントロールできる、するための準備をするというのは、わりと私の性分には合っていて、そうすることで、突如訪れる終わりの瞬間への恐怖心のようなものを、和らげようとしている。だけど私のいちばんの理想の死に方といえば、海に飛び込んで死ぬことなので、いつかはそれを達成できればな、と夢見る。
そうして死んだときは、きみに迎えに来て欲しい。不安ばかりの未来から解放されて、過去だけになったとき、ふたりで会いたい。そうなったときにようやく、私はきみへの愛をありったけ語れるのだ。きみに迎えに来てもらうためにはやっぱり、それまでは生きておこうと考えたりもするけれど、きみが生きているうちに死んで、私のために泣いてほしいな、とも思う。どっちでもいい。きみが私の人生の中にいてくれるのなら。私がきみの人生の中にいられるのなら。

長い間、私の帰る場所として存在してくれていたあの2LDKのアパートには、もう誰かが住んでいるのでしょうか。あの部屋には私のすべてがあった。一晩中眠れなかった夜も、洗脳されたみたいに必死こいて解き続けた参考書も、きみの笑った声や顔も、ケーキを焼いた甘い匂いも、4枚のお皿いっぱいにのせた手作り餃子(白菜と豚ひき肉とニラで作ると超うまい)も、祖母から届く手紙も、忘れた宿題も、散らかった教科書も、穴の空いたランニングシューズも、真っ赤なユニフォームも、黴の生えたベッドも、首を落とした芍薬も、錆びた花鋏も、返せなかったエプロンも、きみと見た映画のパンフレットも、きみに宛てた手紙も、きみに吐いたたくさんの嘘も、キリがないので端的に言うけれどもその他家族との生活や青春の日々など。もう戻れないのだな。夢だった壁面本棚デスクを見事手に入れたこの部屋での生活が、何よりの証拠だった。

さよなら。さよなら。さよなら。さよならだけの人生だ。

アジアンカンフージェネレーションが、夏に行う、ファン感謝祭のなんと2日目を当てられたので、私はこの夏、ようやく横浜に行ける! 2019年ぶり(それも、アジカンのホームタウンツアーに行ってとんぼ帰りしたぶり)の神奈川県! とても楽しみ。ひとり旅である。思う存分孤独を満喫したい。人生の最終目標は最近変わってきて、キャリーケースに荷物を詰めてふらふらと生きる、もしくは中古の一軒家を買ってひとりで暮らす(これはお金があれば)になった。私の人生に寄り添い続けてくれているアジアンカンフージェネレーションのライブにも久しぶりに行けるということで、最近はずーっとアジカンを聞いているのだけど、ほんとうにアジカンが大好きだということがよくわかった。どうしてこんなにも大好きなのだろう……なんだか、アジカンの音楽からは、「懸命さ」を感じるのだ。懸命に世界を想い、考え、向き合い、懸命に音楽を奏でているような……そう感じるときがあって、私の心に響き続けている。

なんか、noteだと、すごく自由に文章が書けるんだよな。何も考えてないからだろうな……。小説を書くときは、見栄が割り込んできてどうにか着飾ろうと必死になって思い返してみるともう最悪……ってなるときがあって、1文字も書きたくなくなる、ときがある。己が未熟であるが故だ。でも別に、もう、成熟しなければと焦ることもないし、いつか成熟するだろうとどーんと構えられることもない。うまく言えないけれど、はいはい。って感じ。誓って言うが、前向きに自分の現状を受け入れられているわけでは決してない。この、無関心と諦観の卵をボウルに割り入れて全力でかき混ぜた結果、のような感情の状態について、分かってくれる人はいると思う。私も半年後には24歳になるし、そういうフェーズなのだろうか……。こういう言い方、ものすごい嫌いだったけど、今はそれさえもどうでもよくて……。きっと、愛が足りていないせいだ。愛についてはきっと小説で書くつもりだから、ここでは割愛する。愛だけに。小説も、たくさん書きたい。残しておきたい。きみが私を形どったという証拠を、きみと過ごした日々を、きみと出会ったという奇跡を。私が人生さいごの日を迎えるまでに、なるべく多く。

2024.05.31

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