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朝ごはんへの気力が最近全然なくて、梨とかトマトとか、素材を口に突っ込んで噛み砕いて飲んで済ませることが多かった。けど今日は珍しくちょっとちゃんとしようって思ってナスとちくわを炒めた。料理はそこまで嫌いじゃないんだけど料理のあとの洗い物が嫌いすぎます。

夜バイト。今日はユリイカの地図特集を拾い読みして、あと小川洋子の『物語の役割』を読んでた。ユリイカの元永二郎の論考の中で「地点は動かない」っていう言葉が出てきた。「例えば、新宿は一〇〇年まえも新宿である。仮に時代とともに地名が変わったとしても、「その場所」であることに変わりはなく、地図上で表示される位置は変わらない」。うんうん、そこが「地」のいいところだよねって思った。私は「地点は動かない」ことに救われているというか、「地点」に都会育ちのへろへろもやし人間である私への免罪符が残されているというか、そんなふうに感じながら生きている。私の住んでいる街は開発が進みまくりであちこちピッカピッカしていて、新興住宅地を揶揄するときにまず引き合いに出されるような場所。この街の歴史ってなに、この街に宿る記憶ってなに、そういうこと考えると、重ねられてる時間が他の街と比べて圧倒的に浅いような気がしてがっくりきちゃう。でも「地点」は動かない。地球が誕生した瞬間からここはずっとここにある。この街は本当はどこにも負けていないし、どの街もこの街に勝たない。たとえ災害で街の建物や植物が全部消えても、「地点」は残る。それってすごい救いだと思う。「地点」は絶対なの。三角形の内角の和が180度であるように、青の絵の具と黄色の絵の具を混ぜると緑の絵の具になるように、「地点は動かない」は揺るがない。

右足の小指の爪が5年ぐらい割れたままなんだけど、この先50年ぐらいずっと割れたままなのかな。いやだ!!!!!!

クロックムッシュって頻繁に食べられない。