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今日は午前中だらだらしてしまった。
午後から研究進めてた。これまでに調べた記念碑のことをまとめ直してた。記念碑に関係する研究をしているんです。おもしろいよ記念碑研究。
「対抗的記念碑」という言葉があります。ホロコースト記念碑研究者のジェームズ・ヤングという人が提唱した概念です。「対抗的記念碑」は、従来の記念碑に「対抗」している。従来ってなに!
たぶん、多くの人が「記念碑」という言葉を聞いてまず思い浮かべるのは従来型の記念碑。石や金属のような重くて硬くて丈夫な材料を使っていることが多い。そして垂直方向にでかい。たとえば長崎にある平和祈念像や原子爆弾落下中心地碑がその代表例(気になったら検索してみて)。
記念碑というのは特定の事件や事故の記憶を残すための空間(彫刻)なので、変化しない形態を目標としたわけです。時間が経っても変わらずに在り続けて、風化しないものを作ろうとしていた(その他にもいろいろ従来型記念碑の特徴はあるんですがちょっと割愛)。
で、1980年代のドイツで「いや、それってなんか違うんじゃないの」っていう声が上がり始めた。だって歴史の解釈というのは時代によって変わっていくものだし、それに記念碑の周りの景観だって時間が経てば変化していく。だったら、記念碑に託された記憶の意味も時間とともに変化するはずじゃん。そういう風に意味が変化していくことを前提として記念碑を作らないといけないんじゃないのと。特定の主張を持って、特定の形態を持って、いつまでも変わらず在り続ける記念碑なんて、おかしいんじゃないかと。
それで「対抗的記念碑」が作られ始めた。特定の解釈を主張するのではなくて、訪れた人ひとりひとりが過去の出来事に想いを馳せて、自分なりに解釈ができるような記念碑をつくろうよという流れです。
特に有名なのがヨッヘンゲルツとエスターシャレヴゲルツという人が作った”The Monument Against Fascism”、通称「消える記念碑」。高い四角柱が建っていて、訪れた人が鉛筆で書き込みできるようになっている。一定幅の面が書き込みでいっぱいになると、柱が少し地中に埋められる。それが何度も繰り返されて、やがて柱は全部地中に埋まる。過去の出来事を示すのではなくて、それに対する現在の人々の反応を示す機能を持っている記念碑。おもしろいよね(ざっくりしか説明してないから気になったらこれも調べてみて)。
「対抗的記念碑」の事例は他にもすごくたくさんある。どういう形態が記念碑にふさわしいかを模索し続けている。ちなみに日本だと、沖縄にある「平和の礎」という記念碑が対抗的記念碑と言われています。
すごくおもしろい考え方だなと思う。でね、私が思うのはね、ある場所にある形を持って存在しているものは、いつか壊れる日が来るってことなの。どんなに巧妙にデザインして、訪れる人のそれぞれの想起を促す記念碑ができあがったとしても、災害が起きたら壊れてなくなっちゃう。本当に残り続けるのは物体じゃなくて行為だと思う。行為としての記念碑的風景をデザインできないか考えたい。空間でも彫刻でもなく、行為としての「対抗的記念碑」を提案したい。
これは研究室で徳島県の調査してるときに見つけた石垣。コンクリート片が混じっている。これの何がおもしろいかと言うと、「積む」という行為が何百年も継承されてできあがってる風景だということ。100年残りつづける石垣を作るのはすごく難しい。でも、「地崩れを防ぐために硬いものを積む」という行為自体は100年以上残る。100年前から続いてきた行為によって、「積まれた」風景が徳島の町に残る。100年後、もしかしたら積むものの素材がまた変わっているかもしれないけど、それでも「地崩れを防ぐために硬いものを積む」行為はきっと残ってる。継承される行為が継承される風景を作る。それってすっごいおもしろくない?
でね、そういう行為のデザインを、都市の中でやりたいんです。あと、特定の事件や事故ではなくて、これまで続いてきた日常全体に想いを馳せられるようなデザインがいい。ピカピカに開発の進んだ隙のない都市の中で、100年残る行為を作って、100年残る風景を作る。おもしろいよね。
多分そのときにキーになるのは、街の中の隙間みたいなところに個人がちょっと残す小さい痕跡じゃないかと思っている。本当はすでに都市の中に、徳島の石積みみたいな小さな記念碑的行為がまぎれていて、住民がそれに気づけてないだけなんじゃないかと思う。気づける仕組みを作ることになるのかもしれない。
電柱に貼られたステッカーとかね。すでに無意識に行われていることの背後にどういう歴史があるのか、それがこれからどう発展していくのか、それがわかるだけで、過去の日常を想起することにつながると思う。次は街中のらくがきの歴史を調べてみようかな。いつからあるんだろう。縄文時代にもらくがきってあったのかなあ。
研究のことすごい書いちゃった。こういうこと軽い気持ちで書ける場所なかなかないので吐き出しちゃった。読み流してね。書きすぎたので一応参考文献入れときます。
夜は姉が実家に帰ってきていて久しぶりに4人でごはんだった。羊を食べた。今から桃食べます。桃好き。
[参考文献]
岩崎稔.(2008) 記念碑と対抗的記念碑, Quadrante : クァドランテ : 四分儀 : 地域・文化・位置のための総合雑誌, no.10, p.47-56.
香川檀. (2003) 対抗モニュメントと記憶 –––ドイツにおける現代アートの試み, 近代教育フォーラム, 12, p.173-180.
唐川恵美子(2013)「反対-償却的時代」におけるホロコースト記念碑研究, Quadrante : クァドランテ : 四分儀 : 地域・文化・位置のための総合雑誌, no.15, p.299-p.306.
クロックムッシュって頻繁に食べられない。