BFC5に参加した感想

 もうほとぼりが冷めているはずなので、昨年BFC5(ブンゲイファイトクラブ5)に参加した感想を書きたいと思います。

 BFCは「惑星と口笛」という団体(と言うべきかサイトと言うべきか)が開催しているプロアマ問わない文章作品トーナメントで、作品を作る側(ファイター)と評価する側(ジャッジ)両方の公募があります。私はジャッジ部門に応募しました。ファイターもジャッジも予選・決勝とふるいにかけられますが、幸運にも決勝ジャッジに選ばれ、貴重な体験になりました。
 ただ、転職活動とスケジュールがモロ被りしていたので、(勝手に忙しくなってるだけですが)めちゃしんどかったです。

・楽しかった点

 私は普段最新の作品を読むことがあまりないため、最先端で創作をされている様々なクリエイターの作品を読むことができた点が何より楽しかったです。(この言い方は失礼かもしれませんが)おもちゃ箱を漁ってる気分でした。こんなに多岐にわたる活動をされている方々がいらっしゃるのであれば、日本文学の世界はしばらく活況だろうなと感じます。自分が書いてるわけではないのに勝手に鼻高々な気分になりました。
 また、他ジャッジの批評文を読めた点も大いに勉強になりました。何なら(恐らく最初の選考者がお一人である関係で)ファイター部門は何となく似通った印象の作品が多かった気がしますが、ジャッジは評価基準も書き方もバラバラだったため、こちらの方が読み応えがあったとまで言えるかもしれません。個人の感想です。
 個人名出して良いか分からないので出しませんが、とある作品に寺山修司の影響があるとご指摘されてた方のジャッジが私は大好きです。個人的にはこの方が決勝ジャッジで良かったんじゃないかなと思います。
 打ち上げも楽しかったです。現役で活動されている方々の文学論がたくさん聞けて光栄でした。とある方のSF映画論が知識も意見もとても豊かでもっと聞きたかったです。そして、執筆は勿論、演劇や同人誌出版やイベントや講演会など、こんなに活発な業界だったとは知りませんでした。普段周りと文学の話を全くしないため、こういう世界があるんだとカルチャーショックを受けました。
 最後に、蜂本みさ様の作品を知れたことが一番の収穫だった気がします。ゴーストストーリーの舞台に動的な電車を選ぶセンスが素敵だと僭越ながら思います。ステレオタイプなおばけの話って屋敷とか墓場とか村とか立ち入り禁止の森とか舞台が固定されているイメージがあるので。

・気になった点

 上に書いた通り、ファイター部門の作品が割と似通った雰囲気だったのが気になりました。個人の感想です。
 原稿用紙6枚の制約がキツかったのかもしれませんが、骨が見えている=狙いが透けている作品が多く、本来であればこれに肉付けがあってようやく完成のような……でも最近はこういうのがトレンドなのか? と評価に困る場面も多々ありました。狙いが露骨なのは一概に悪いことではないとはいえ、作品と現実社会の距離が隔たりすぎてしまう(ように見える)ため、普段から文学に触れている文学オタクしか楽しめない作品になってしまう気がします。文学って理系偏向な今の世の中において(特にアカデミックな話題では)ちょっと馬鹿にされている節もあると思いますが、身内ノリでしか楽しめない作品が増えてしまったら、必然的に他分野に属する人々からの白い目は避けられないだろうなと、そんな気がします。
 ただし、身内ノリは裏を返せば独自文化の発展でもあるので、こういう作品傾向から今後何かしらの新潮流が生まれるのかもしれません。

・ジャッジのジャッジのジャッジ

 これ本当にやりたいです。私はXをやっていないため、友人から「すげー悪口言われてるよ笑」と見せられて初めてこんなに話題になっていると知りました。特に決勝ジャッジは書きっぱなしなので、言われたい放題言われてて笑ってしまいました(それもそれで面白かったです)。中にはラカンが出てきた時点でもう無理! みたいな感想もあり、それは流石にもう少し批評慣れしといてくれよ、と思いました。論のクオリティが低かった所為でもありますが。
 印象に残ったのは「安易に(ラカンという)権威を引用する姿勢が批評界の男性権威性(女性人口がとても少ないらしいです)と繋がっている」というご指摘でした。作品がより深く読み解けるのであれば引っ張ってくるのがラカンじゃなくてバトラーでもクリステヴァでも無名の研究者でも良かったので、そういう反応が来るんだと驚きました。私は作品読解には理論的な枠組み=視座が不可欠だと考えていますが、知識不足なため、ラカンを使わずあの作品を読み解く方法を教えてほしいです。そして「批評界のジェンダーバランス」は分けて考えるべき別の話題だと思います。
 形式についての言及ばかりで内容についてのツッコミが全然なかったのが寂しかったです。自分で書いといて変な話、あの決勝ジャッジは理論的に矛盾があります。「シニフィアン/シニフィエ」という単語を不用意に使ったが故の矛盾ですが、誰からも指摘がなく物足りなかったです。
 これは私が界隈の人間ではないからかもしれませんが、ファイター作品の全体傾向の話も然り、5回の歴史の中で定着したであろう「BFCはかくあるべき」という暗黙の共通認識を感じました。良く言えば大会の色、悪く言えば排他性かもしれません。

・総評として

 とても有意義でした。こういうイベントに参加するのは初めてだったため、特に主催の惑星と口笛様にはご迷惑をおかけしたと思いますが、一参加者として温かく受け入れてくださり、皆様に混じって盛り上がることができて楽しかったです。ありがとうございました。

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