「テニプリっていいな」に全て帰結する話#1

私が『テニスの王子様』に出会ったのは、11歳・小学6年生のことだった。腐女子に目覚めたのもここでのことなのだが、今回は割愛する。初めて「特定の作品に没頭する」という経験をし、当時中学受験生だった私はテニプリのキャラクターたちに励まされていた。無事に第一志望の中学へ進学すると、そこでの友達の影響でジャニーズを知り、テニプリへの情熱は徐々に下火になっていった。

「当時所持していた同人誌をふらっと立ち寄ったまんだらけで見つける」という『テニプリとの再会』をしたのは、それから15年後の夏だった。今回はその『再会』を通して、子どもである私と大人である私が考えたこと、全てが「テニプリっていいな」になることを語りつくせればと思う。1回で終わらないんですけれども。

参考程度に私の立ち位置も述べておく。私は氷帝の女だ。宍戸さんが一番好きで、それは小学生の時から変わらない。当時の原作は関東決勝の立海戦(1回目)で、本誌もまだ初戦のジャッカル丸井ペアとのダブルスだった記憶がある。(余談だが、当時は幸村の病気が"ギランバレー症候群"だと断定されていた気がする。"それに類似する病気"の表記は後から付いたような……?自分の記憶にもやもやしているので、有識者様いたら教えてください)それにも関わらず既に立海レギュラー全員の声優も発表されていたので、当時のアニメシリーズは相当かつかつだったのだろう。ともかく、そういった時期までだったため仁王柳生の入れ替わり以降の話や、全国で初登場する比嘉や四天宝寺、新テニの高校生たちは15年後になって初めて出会った領域だ。乾vs柳や全国氷帝戦の桃城vs忍足なんかは埋もれるには勿体ない名試合だと感心してしまったし、忍足をはじめとした氷帝メンバーは関東大会から明らかに成長をしていて、勝手に涙した。

兎にも角にも真っ先に語りたいことは「20年守られ、今も創られ続けているコンテンツ」であることだ。

例えばアニメキャスト。テニプリはこれだけたくさんのキャラクターがいながら、声優交代は一度も起きたことがない(原作未登場時に映画に出てきたリョーガは除く)。つまり、長ければ20年近く同じ声優さんが各々のキャラと向き合い続け、付き合い続けている。その姿勢は千差万別で、そのどれもが唯一無二のものだ。

桃城役の小野坂昌也さんは「(テニプリキャラの誰かと)友達になるなら桃ちゃんしかいない。桃ちゃんとしか仲良くなれない」と断言した。タカさん役の川本成さんは「タカさんには、このままずっと変わらないタカさんでいてほしい」と言った。金太郎役の杉本ゆうさんは「不動峰と戦った時の金ちゃんは対戦相手の伊武くんへの敬意がなさすぎる。あれは叱りたい」と語った。それぞれの声優さんがそれぞれの隣やら後ろやらで見守りながら、一緒に歩いてきていた。ただの役ではない、ただの架空キャラクターではない、人間味を、別個としての人間性を、そこに持ってくれている。役の中に入る方がこうあってくれることほど有難いことはないだろう。

そしてここで語るべきは、やはり跡部役の諏訪部順一さんだろう。以前から諏訪部さんは「跡部ガチ勢の筆頭」だった。諏訪部さんは跡部景吾を完全に「生きて存在する人格」として見ているし、常に跡部を1人の人間として尊敬しているのだなと、私もぼんやり思っていた。それが改めて明言されたのが、今年の跡部の誕生日(2020年10月4日)に配信されたyoutubeでの生配信だった。

「この18年間、声優という仕事をやってきた中には彼の存在はとても大きいし、ずっと常についてきている。彼のおこぼれにあずかる人間には絶対になりたくない。彼の存在がともすれば邪魔になることもあったけれど、『跡部とできる限り対等でいたい。彼に負けないように頑張ろう』という気持ちがものすごくモチベーションになっている。今でもずっとライバルで、それを越えた家族というか、深いつながりが彼と自分の間にある」

やはり、諏訪部さんの隣で跡部景吾が生きているのだと思った。同じ生配信での別場面で、アニメ初期オリジナル回での跡部の台詞を「解釈違いだ」と咎めながらも、「初期の跡部(リョーマに「サル山の大将さん」と言われていた頃)なら言うかもしれない」と着地させたところも、作品内時間での跡部景吾という中学生の成長を感じているし、感じさせていた。以前話題になった"跡部景吾"のCM出演に代表されるように、この世界に跡部は存在している。その認識の大きな一端を担っているのが諏訪部さんであり、あまりにも頼もしい「跡部ガチ勢」だ。

キャラとの関係性は他にも多岐にわたる。楠田敏之さんの人柄が良すぎて、許斐先生が宍戸さんを爽やかで格好良い存在にしていったというのもファンの間では有名な話だ。都大会でのプライドとイキりの入った長髪宍戸さんも、特訓後の宍戸さんも、そしてその後の宍戸さんも全て正史である(宍戸さん及び氷帝のキャラ変遷については別途語ろうと思う)。仁王役・柳生役の増田裕生さんと津田英佑さんが大変仲良しで、お互いのすることなすことを楽しんでいる様子は仁王柳生と重なる部分が多い。そして、リョーマはこの作品の"主人公"であるが、皆川純子さんはいつだって愛されている声優陣の"座長"である。

やはり、この認識は異質だと思う。こうなりえた理由のひとつに、「キャスト陣が声優にとらわれず、広義の"俳優"から集められている」という点があるだろう。大人気声優同士なら他の現場でも頻繁に会い、"声をあてている人"として交流をすることがメインになるかもしれない。言ってしまえば作品やキャラは理由付け・おまけになる。しかし、テニプリの声優には吹替え声優、舞台俳優、歌手、脚本家、芸人を含むマルチパフォーマー層が大変多い。それぞれの特色を持っており、かつ、イベント等で学校声優が集まるとそれは唯一無二の集団となるのだ(実名や実例を出すとカドが立つので、あやふやな言い方ですいません)。「この5人で集まったら比嘉中(比嘉中キャストの雰囲気の良さは必見です)」「やっと氷帝9人全員で集まれた(2019年ベスフェスはあまりに長く夢を見すぎて本当に夢になりかけていた光景が見られるので必見です)」という認識が一目で起きるのも、一般的な声優で固めなかった20年前の英断であり、そこから成長し続けた各々への愛着の賜物だろう。

彼らは生きている。20年間、同じ年齢のまま、確かに生きている。それは、この世界にいる人間が彼らを対等な人間だと認識し、彼らの信念を尊重し、彼らを生かし続けてきたからだ。しかもキャストやスタッフ陣が"そういうコンテンツ"にする目的ではなく、各々のキャラを優しく厳しく見守り、20年酸いも甘いも感じた現場で、付き合うチームを好きでいてくれるからこそ、結果としてテニプリの彼らは生きている。漫画やアニメ全般に疎いために大きな声では言えないが、他にこんな作品はないと思っている。

そして何よりもこうさせたのは、誰よりもなによりも「ハッピーメディアクリエイター時々漫画家」である許斐先生、神様のおかげであることを述べなければならない。ファンでない人にも"たしけ神"と半分揶揄されることもある先生が本当に"神様"であることを、次回辺りで語ることができればと思う。

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