【最終発表】「次に逢う私に【必ず】返してね♪」の意味は?

私は、少女(店主)が二体の人形を涙焔の女性(便宜上、涙焔ママン)へ、売ったもしくは譲り渡したのではなく「貸した」と考えています。そう考える理由は、オルヴィオがまだ物語を終えておらず、まだ売り物ではない…そして、少女の元にあるのも地平を超えて物語を観測する為であると思っているからです。
(店主はローランの観測の影響で、ミシェルと結び付けられがちですが、今回はあえてそこを深く考えません。)

話が多少、逸れるかもしれませんが、オルタンスとヴィオレットはどうやって地平を巡り物語を集めるのでしょう。コミカライズの様に、直接、場所と時を超えるのでしょうか。地平線には、多分、世界のルールのようなものがあるように思います。なので、物語の中の視点に立てば、それもあると思います…いえ、物語の名前を冠する第五の地平線の中ではそうあるべきなのかもしれません。
では、もしそうでないのなら?「朝と夜の物語」のように、自立して地平を巡れないとしたら?という前提で考えてみます。
世界を旅するテディベアの話を知っているでしょうか。世界を巡れなかった男性の事を想い、家族が代わりにテディベアを世界旅行させるというお話で、テディベアは旅行者の手を渡り、世界を巡るのです。そのテディベアのように、オルヴィオは人々の手を渡り、地平を渡る事もあるのではないでしょうか。そして、このNeinの…「涙では消せない焔」の物語ではまさにそうして、店主から涙焔ママンへと貸し与えられる事で、物語を観測していたのではないでしょうか。

「私に必ず返してね」となるのは、店主の手元に人形が戻る事で、Neinの地平から、次なる地平線へ旅立つことが出来るようになるのではないでしょうか。というか、次の地平線を目指す必要がありますよね。だって、二人の姫君は今もイヴェールが産まれてくるに至る物語を探す為に、地平を巡り続けているのですから。
「次に逢う私」という単語はNeinの中では再会描写がなく成立しない。しかし、ここで発言者が店主であり、《遮光眼鏡型情報端末》が導く「幸せな結末」の外側に位置する人物だと考えるとようやく意味合いが変わる。
すなわち、視聴者である《掛けまくも畏き狼欒大神》が次に地平線を覗き込むとき、特にRomanを再生する「いつか来るその時」には、《双児の人形》を目覚めぬ君に贈ることを約束させているのではないだろうか。
「最果てのL」でノエルに歌わせているように、当事者たちにとっては「《いずれ消えゆく人間》が必死に生きた《現実》」も尊いものなのだ。だからこそ、その「ひていというこういを ひていする」ことさえされている。
多くの《いずれ消えゆく人間》は、ただ「否定」されるだけであるが、上位存在である店主の場合は一つ上の次元からの否定として、いつか視聴者がRomanを聞いたときには人形を必ず返すことを、すなわちNeinではなくRomanの世界線が正史であることを主張しようとしているのだ。

- - - - - - ↑二次募集 - - - - -↓一次募集 - - - - - -

少女店主(ミシェル)の渡した双児の人形は、本来(『焔』の世界線)ならば生まれるに至れなかった『イヴェール』を埋葬する際に共に往くはずだったもの、と解釈しているので、『次に会う私』というのはイヴェールとして生まれようとしたミシェルの事で、「埋葬する時に共に棺に入れて返してね」という事だと解釈しています。
「次に会う私」=店主とよく似た人物である屋根裏物語のミシェル。店主や屋根裏堂と同じく、時間・空間・地平を飛び越えることができる。

ミシェルはイヴェールに産まれてきてほしく、Neinでも可能性を探していた。
ママンは、店主から人形を手渡されてはじめて母になりたかった子どもの頃の夢を思い出している。店主はママンの考え事を、戦死するかもしれない夫から今後生まれてくる子どもたちに切り換えたかった。
夫婦がかつて産めなかった我が子にイヴェールと名付け、いつか産まれておいでと呼びかける姿を双子の人形が傍で観測する。結果、イヴェールが生まれるに至るRomanを双子の人形が見つけ、Nein内でイヴェールが産まれる未来が確定事項になる。
時代や国は不明だがイヴェールが産まれてきた未来で、ミシェルはイヴェールに会いにNeinの第五の地平線を再訪する。
その際、Romanを見つけ出す役割を終え、副葬品としても不必要になった双子の人形を、屋根裏物語のマダムとして回収する。
ミシェルとは、死後の世界に行くラグがなく死んだ直後に再び転生ができる魂と捉えています。

なので次に会うミシェルとは幼女ミシェルの死後転生したミシェルのことを指すのだと思います。問題はなぜ返さなくてはならないのか、転生したミシェルは誰なのか、
ですが今のところ分かりません。

自分の中では男女双子のうちの男児はバニシングしてしまうルールがサンホラ内に存在すると思っています。
片割れである女児がミシェルの魂の器であり、その母体である母親もまたミシェルの魂の器で、
出産の際に魂の分断ができずどちらか一方が死亡してしまうのが
サンホラ内の死産や出産死の真相だと思っていました。
(ローランサンや駒イヴェールやバッド少年は例外ですが…)

その説で行くと突然現れた幼女ミシェルは何者なのか
ママンの見せた幻想なのか実在の少女なのか…

幻想であれば
本来ママンがミシェルの器で中にミシェルの魂があり、その魂がみせていたと考えられます。
この場合本来産まれるはずの次のミシェルは一体どうなるのか、どうやって返せばいいのか分からなくなります。

実在の少女であれば
ママンはミシェルの器ではなく、ミシェルの子=イヴェールの方式に則り
ママンからイヴェールという存在を作り出す可能性は0です。
ミシェルの器ではないなら存命中に次のミシェルに人形を返すことは可能だと思いますがどうやって探すのかは分かりません。

分からない謎なところが多くて申し訳ないですが、自分の考察は以上です。
少女は、この夫婦が成して産まれるはずの二人の子供。
妻は、夫が帰ってきて子供を産んだら(=次に逢う
私)双子の人形を返そうと思っていた。
けれど夫が脊髄を怪我し、子を成せぬ身体になったため、妻の構想は崩れてしまい、妊娠する事も、実際に人形を返す事もできなかった。
NeinはR.E.V.O.による仮初でしかないので、本来のRomanの地平線において人形を必ず返して物語を元の形に戻したいというミシェルの干渉ではないでしょうか。屋根裏物語からもわかるようにミシェルはイヴェールには強い拘りを見せています。ノエルとR.E.V.O.がなにを否定しようと本来の物語を曲げさせないということ。
店主がミシェルであるとすると、「ミシェルに逢う」というのは屋根裏物語へ辿り着くことではないか。
「今回はそういう選択をしたの?」「貴女の解釈に委ねるわね」という台詞は、絵馬を経た今になってみると、涙焔のヒロインだけでなく《幻想の神々》に言っているように思える。
「次に逢う私に【必ず】返してね♪」の裏のコーラスは『11文字の伝言』のアウトロであり、『朝と夜の物語』に至るか『屋根裏物語』に至るかの分岐点である。
『涙では消せない焔』は《幻想の神々》が幾度となく廻り直す平行世界の一つ。
『焔』と『涙焔』で双子の人形に宿る意味合いは違えど、「寂しい者に寄り添う」という機能は同じ。「私…お友達が…欲しいな…」と願った屋根裏の少女が双子の人形の返却を求めるのは、彼女自身も寂しいからだろう。
円環から延びる行き止まりの道筋はちょうど「9」の形をしている。
彼女の台詞の意味は、「次に廻るときは私の待つ屋根裏へ至ってほしい」という孤独な少女の願いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?