記憶は忘れられて血肉になる、という実感の話

普段行かない、自分の住む町の中心地から少し離れたところにある自転車で30分、車でだいたい15分ぐらいの図書館に家族が行ってきたらしい。

夕方にその話を聞いた瞬間、ぱっと思い出したことがあって、それを忘れないように書いておきたくなった。

「こそあどの森の物語」というシリーズの児童書がある。

読んだのは小学生の頃で、どんな話だったかしっかり覚えている部分なんて微塵もないんだけど、いくつか鮮烈に覚えているシーンのようなものがある。

主人公の男の子が住む家がちょっと変なこと。たしか天窓があって、それを開けると夜空が見えること。

双子の女の子が出てくること。彼女たちはワンピースに白いエプロンをかけていて、とにかくそれが可愛くて白いエプロンが欲しかったこと。

主人公の男の子がよく缶詰を食べていたこと。たしか、ひよこ豆の缶詰を使ってスープを作っていたような気がすること。
そして、その缶詰がとにかくキラキラした魔法の食べ物みたいで羨ましかったこと。(でも小学生の私はひよこ豆は嫌いだったような気がする)

タイプライターをはじめて知ったこと。たしか、トマトという魔女とタイプライターに関係があって、幼い頃の自分はタイプライターと聞くとどうしてもトマトをイメージしてしまったこと。

ストーリーがちょっと不思議でミステリーのようで、こわくて、でもどきどきしながら読んだこと。

何巻まであって、どんなストーリーで、ということはほとんど覚えていないのに本の中の些細なデティールは覚えていて、思い出したときに笑ってしまった。

私は魔女が好きで、ターシャ・テューダーが好きで、いつか魔女のようなおばあちゃんになりたいな~とふんわり思っているのだけど、きっとその底には小学生の頃に夢中で読んだファンタジーが血肉になっているんだろうな。

私は過去の自分や過去の家族や友達のこういったあやふやで大切な記憶が好きで、もし過去を閉じ込めるガラス玉があったら買いたくなってしまうんだと思う。未来の話もワクワクするし好きだけど、過去の記憶を閉じ込めておけたらもっと最高だ。

残念ながらそんなことはできないし、読んだものや経験したことはみんな忘れて自分の血肉となっていってしまうことが少しかなしくてさみしい。





▽今回お話した「こそあどの森の物語」


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