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読後感 伊坂幸太郎『マリアビートル』

到達点幼い息子の仇討ちを企てる、酒びたりの殺し屋「木村」。優等生面の裏に悪魔のような心を隠し持つ中学生「王子」。闇社会の大物から密命を受けた、腕利きの二人組「蜜柑」と「檸檬」。とにかく運が悪く、気弱な殺し屋「天道虫」。疾走する東北新幹線の車内で、狙う者と狙われる者が交錯する――。

小説は、ついにここまでやってきた。映画やマンガ、あらゆるジャンルのエンターテイメントを追い抜く、娯楽小説の!
『グラスホッパー』『AX アックス』に連なる、殺し屋たちの狂想曲。

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伊坂幸太郎さんの小説をとにかく読んで読後感を書いています。
三作目は殺し屋シリーズの第二弾「マリアビートル」(天道虫)です。

この作品の前半はコメディ要素が少々強めで軽快なテンポでストーリーが進みます、中盤から後半にかけてストーリー展開が落ち着いてきて舞台と役者が揃った後(何人かは前半で退場していますが)どのような結末を迎えるのかを予想しながら読むことができる、まさにミステリ・推理小説でした。

ブラッド・ピット主演のハリウッド映画「BULLET TRAIN」(直訳すると弾丸列車=新幹線という意味ですね)の原作となった作品でもあります。

伊坂幸太郎さんの作品は映像化原作やメディアミックスになっているものが多いので小説を読むにあたっては出来るだけ先入観を持たない様にと、映像化作品については、それぞれの読了後に観ようと思っていたのですが、この「BULLET TRAIN」についてはつい読了前に観てしまい、映画に登場するキャラクターの濃い人物の影が読書中にもチラついて、小説の世界観を脳内に展開するのに難儀しました。

という前置きで、今回も読書中に感じたあれこれを中心に読後感をまとめていきます。

「王子」

本作でキーとなる「王子」、先日映画版「グラスホッパー」を観たせいか、読書中、僕の頭の中での「王子」は「蝉」を演じた山田涼介さんの容貌でした。サイコパスの匂いのする中学生「王子」、ベビーフェイスでどこかクールな雰囲気のある風貌の山田さんで再現されていました。

その「王子」はこれまでに登場した殺し屋「鯨」「蝉」「蕣」、或いは本作の「檸檬と蜜柑」「狼」「天道虫」といった生業としての殺人者ではなく、恐らくサイコパスの気質を持つであろう中学生で、ストーリーの全般に渡って殺し屋達を翻弄します。

「王子」のことは「大人や社会への絶望と蔑視」が攻撃的な行動となってしまう、一種のモンスターとして描かれます。
しかも、彼自身が直接に手を下すのではなく、周囲の兵隊ともいうべき、同級生などのメンタルを支配し、行為を強制してしまうところにさらなる怖さがあります。

その不快な感情や、自分は彼らとは違う存在であるという利己的な優越感、そして天与の才なのか人の心を読んでコントロールする力に長けていることが彼をして数々の凶行に走らせ、そこから得られるであろう快楽とさらなる快楽を求める欲求がモンスターとしての無意識の行動力になっているかの様です。

そこにはサイコパスの特徴とされる、感情の欠落や虚偽的な人間関係の構築などが含めて描かれ、読むものになかなか強烈な印象を植え付けてきます。

「復讐」

前作の主人公で本作にも登場する「鈴木」、本作で「王子」と直接対峙する「木村」、愛称ではなく名字で表される登場人物に共通するのは「復讐」の心です。
最初に読んだ作品「終末のフール」でも「復讐」がテーマになったパートが有りましたが、伊坂幸太郎さんの作品では「復讐」という要素と、その成就に至る過程で揺れ動く主人公の心情を書き上げることが共通して流れる主題の一つなのでしょうか?

今後、氏の作品群を読み進めていくことでその辺りも検証したいと思います。
(既に多くの作品を読了された方には、「この人、的外れだな」とか、「いい線付いてるな」とか何がしかの答えをお持ちになっていることでしょうが、どうか楽しみのひとつなので教えないでくださいね)




-----ここからは話の結末を含む内容です-----



「木村の両親」

物語の中盤に本格的に登場し、最後は幕引きをはかる木村の両親。その正体は”伝説の寝起きの悪い殺し屋とそのパートナー”ですが、「木村」を救出するために新幹線に乗り込み、「王子」と対決します。
「木村の両親」と「王子」の心理戦が後半のメインになりますが、そこは経験値の差でしょう、次第に追い込まれていく「王子」に今まで経験したことのない焦りの感情が生まれます。

「王子」が追い込まれ、冷静な判断を失っていく過程の描写が、普段我々が仕事のミスや周囲に隠したいことがあるときに生じる矛盾と同じで、一つの小さなミスが次の少し大きなミスのもととなる、ドミノ倒しのような効果となり、やがて自分の力では止めることが出来なくなるような大きなうねりとなって最後に「王子」は押しつぶされて行きます。

実は前半の「王子」の傍若無人な無敵ぶりに、この話が一体にどこまで広がり最後はどのような結末が用意されているのか、想像がつかずにいました。

しかし、「木村の両親」の登場によって一面に広がった炎が段々に鎮火されていくように、まあまあの結末に終息していくことで、多少ホッとした気分で読み終えることができました。

「蕣」

本作には押し屋の「蕣」も登場します。あくまでもサイドストーリーとしての登場でしたから、もしかすると次作の「AX」に再登場させる布石なのか?少し楽しみに思っています。
そのような視点も併せて次作を読めることが連続シリーズの楽しみの一つでもあります。

「終わりに」

発表から十数年経過した本作ですが、2023年の今の世相を予言するような言葉、セリフが随所にちりばめられていて、意図して書いたのだとすれば伊坂さんの凄さに深く感じ入った作品でした。ここまで三作読んでベストの作品です。本当はトーマスの話であるとか随所にでてくる小ネタにもフォーカスを当てたかったのですが、次作の「AX」を早く読みたい気持ちになっていますので、このあたりで一旦「マリアビートル」の読後感を終了します。

またも、表題の「マリアビートル」こと「七尾」の話が前回の「鈴木」同様に詳しくふれることができませんでした。それほど「王子」と「木村の両親」の心理戦が面白かったということなのですが、僕の読み方はこれで良いのかしら?と少し考えてしまうところでもあります。


2023.9月初旬 読了

読後感ここまで

「The 27 Club」

予想どおり本作でも登場した”ブライアン・ジョーンズ”、彼のことが少々気になってwikiなど調べるなかで、「The 27 Club」と世に呼ばれるグループがあることを知りました。メンバーにはブライアン・ジョーンズのほか、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、ジミー・ヘンドリックスなど現代ミュージックシーンに名を遺す錚々たる面々が連なっています。
彼、彼女らの共通点は何れも27歳で夭折していることだそうで、何かの偶然なのか、神様の意思なのかわかりませんが、今でも27歳の壁を意識する若いアーティストが数多くいるそうで興味深いお話です。

ひとつ確かなことは、この二作の小説をきっかけに僕の中にブライアン・ジョーンズが見事に蘇ったこと。そして恐らく僕がこの世を去る日までストーンズを聴くたびに、彼が現れることでしょうから、言葉の持つ力ってやはり凄いですね。




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