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物質への依存の前兆を感じる

タイトルのまんまです。依存症は多分まだ経験したことないけど、わかる。


現在の状況

不安になる出来事があって心細く、人を頼りたいのに、「また拒絶されるかもしれない」と自動的に怖くなるので、頼れない
→感情の放出を我慢
→苦痛が溜まる
→内面の緊張が高まる
→①パンク/爆発(滅多にない)
or②心を麻痺させる(いつものパターン)
or③酒やアルコールなど物質による苦痛の回避(今回やっちゃいそう)

私は物質に依存しやすそうだ

理由① 代替物として

例えば、私は喫煙常習者ではないが、対人問題で心が不安定なとき(「さびしい」「弱音を吐きたい」等)、家にタバコがあるとめちゃくちゃ吸いたくなる。逃避だ。

酒・タバコのような嗜好品が、内面の苦痛緩和に対する一時的な即効性を持つことは、常習してなくても容易に想像できる。

そして、やめたくてもやめられなくなるだろう。その理由は、依存物質が肉体にはたらきかけるからだけではない。私が自分の問題から逃げたいからだ。

さらに、やめられないままだと内面の問題は悪化するだろう。なぜなら、心がネガティブな感情で張り詰めた状態を解消しないまま、物質で一時的に誤魔化すことを続けると、パンパンになった心にまた苦痛を詰め込ないといけないからである。放っておくと、ささいなことで感情の爆発が起きやすくなるのではないかと予想する。

理由② 人は裏切るけど…

物質は裏切らない。

なぜこうなったのか

「さびしい」とか「弱音を吐きたい」と思ったときの理想的な行動は、人に頼ることなのだろう。しかし、本当にさびしくてどうしようもないときにこそ、それはできなくなる。

なぜなら、以下は憶測も混じるが、幼少期にさびしさや悲しさを感じて親にぶつかっていったときに、それを適切に受け止めてもらえなかったからだろう。何もしらない子供が無防備な状態で本気で飛び込んで、転んだ先がクッションではなく硬い床だったら怪我をするし、その子供が二度と同じことを繰り返さないように警戒するようになるのは自然なことだ。

つまり、大人になった私は、「今目の前にいる人間は、あの親とは違う」と頭ではわかっていても、最初に出会った人間=親との間で起きた自らの傷つきが前提にあるので、他の人間と関わるときに今なお警戒心・恐怖心がはたらいてしまうのだ。

解決方法

しかし、このような現状を維持するのも苦しい。現状を打破する方法を模索してみよう。

①感情を人に伝える

どんな結果になろうとも、まずは言いたいことを我慢せず言ってみたい(それをやる勇気がないから今苦しいのだが)。

例えば「苦しい、話を聞いて」と友達に言う

→友達が対応してくれた
→誰もが常に自分のことを拒絶するわけではない、受け入れてくれることもある、と学習できる

あるいは

→友達が対応してくれなかった
→それでも、自分が言いたいことを言ったのは間違いではない
=自分を肯定しながら、思い通りにならない現実を受け入れる

ただ、問題は、話を聞いてもらえるとしても、私は自分の感情を言語化するのが不得意なので(アレキシサイミア傾向)、事実や思考だけを並べ立ててしまい相手を困らせるのではないかということだ。気の利く相手が「はいはい、で、そのときあなたはどう感じたの?」と聞いてくれても、私は「〇〇と思った」とまた思考を述べて誤魔化してしまうだろう。

②代替行動

飲酒や喫煙に代わる建設的な行動をとり、心を慰めることである。実際今日私は1時間以上、楽器を弾いて気を紛らわせていた。

今この文章を書いているのも代替行動だ。ちなみに、前は気分が落ち込むとツイッターでそう呟いていたが、フォロワーさんに会うと心配されることが多く、でも彼らに直接頼るのは怖くてできなかった。助けてとドアを叩いておいて、ドアが開いたら知らないふりをする、みたいな天邪鬼に見えたかもな…(こちらとしては、落書きの犯人だとバレたみたいな罰の悪い気分になる)。まぁそんなこんなで、愚痴を呟くのを極力控えるようになった。

パートナー持たないの?

内面ではなく現実世界でも私はいくつかの問題に直面しているのだが、それを知っている人の中には、「パートナーは持たないの?」と心配して訊いてくる人もいる。何回か訊かれたので、私もそれについて考えるようになった。私は人に依存することを回避しているからパートナーがいないのだろうか?

パートナーがほしいとしたら

  • 私が精神的に自立するのを見守ってほしい。

  • 存在や発言を受け入れてもらいたい。

  • 自分が相手にできることを探して実行したい。

パートナーがほしくない理由

  • 上記は友達でも満たせるかもしれない。

  • 特定の一人を決めてしまうと、その人物に依存しやすくなる(複数の人に頼ってこそ自立はなる)。

  • 逆に、また拒絶されて傷つくのが怖いがために、相手に気持ちを伝えられないと、結局、感情面で繋がりにくくなる。

  • 私は恋愛感情がよくわからないどころか、人として思いやりが足りない(らしい)ので、相手を頻繁に傷つけてしまうかもしれない。

  • 以上のようなトラブルに自分以外を巻き込みたくない。

やらない理由はいくらでも挙げられる。やはり人間相手に「友人」以上に親密になるのは難しいかもしれない。適切な距離が保てず、依存 or 突き放しになってしまいそうだと、自分で書いていて思った。

なお、恋愛感情がわからないのは、元々なのかアレキシサイミア傾向ゆえなのか、判断できない。インターセクショナリティの議論でそういうことは話題にのぼっているのだろうか。

よく、Aロマ・Aセク(恋愛感情がない・性的欲求がない)の方々が「『人間らしい心がないみたい』と言われることがあるけど違います」という説明をしていたりする。じゃあ私は感情表現が不得意なアレキシサイミア傾向だからAスペクトラム(Aロマ・Aセクの仲間)を名乗ってはいけないのかな、と疑問に思っていた時期もあった。しかし今ならわかる。アレキシサイミアって、人間らしい心=感情がないわけじゃない、自分で自分の感情が見えないだけで、感情自体はあるんだよな〜。だから、私には感情があるけど恋愛感情があるかどうかはわからない、という自認でいいだろう。

やること

さびしいときはダメ元で友達にそう伝えてみよう。適度にガス抜き。

さびしいときにタバコあると吸いたくなるから、人にあげてしまおう。より健全な代替行為を楽しもう。

※ 嗜好品がだめなんじゃない。それを私みたいな弱い人間に持たせるのがだめなんだ…。

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