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8月LIVE参戦レポ🎵

8月6日は待ちに待った詩央里ちゃんワンマンライブ!
いまちょっとだけ身体の調子に波があって、食事や運動もタイミングによってできるできないがあり、ギリギリまでリアル参加できるかどうかは当人である私自身にもわからなかったりするんだけど、6日は周り数人に「最悪具合悪くても、這ってでも行く」と伝えていた。

そしたら1人のぞうが「無理しない程度に這ってでも来てください!なんなら屈強なぞう衆にお願いして騎馬戦スタイルで参戦でも。あ、ちなみに私は屈強なぞう衆には含まれておりません」っていうメッセが来て、吹いたw
屈強なぞう衆って…
ネガティブになりがちなことをあっけらかんと冗談で笑い飛ばしてくれるぱおりーず。最高だ!

そんな心強いコメントにも支えられて?(いやさして支えられてないw)、当日は開場6時間前にもはや池袋周辺に到着し、前日別のLIVEでご一緒したぞうとランチ、からの市場偵察w

私は、学生時代からの友達や大学院などの同期、同僚など、10年以上単位での長年の付き合いの友人に囲まれてることが普段多くて、実はすごーく人見知り。
仲良くなるのにも結構時間がかかるほうなんだけど、なぜか詩央里ちゃんを応援するぞうたちとはどんどん自分からお話ができる。
同じ人に対する好きを共有・共感してるって強いんだな、って改めて思う。

私は、仕事も勉強も好き。もちろんオフの時間でも、大好きな人たちとの関わり合いの中でいつも楽しく過ごせる私の人生が好きだし、恵まれた環境にも感謝してるし、とても幸せだと思っている。
でも、好きなものや人が1人増えて、その人が好きなことをやって楽しそうに笑ってるのを近くで見るだけで日々がさらに輝くことも知っている。
助けられたとか幸せをもらったとかそういうことではなくて、日々の何気ないことがより輝くっていうイメージ。
私も誰かを幸せにするとかは無理だけど、誰かの日々の小さなことを輝かせられるような人間になれたらいいのに、と思う。大好きな相手にほどそれができず逆に傷つけてしまう。
でも、詩央里ちゃんは間違いなくそれを教えてくれた1人でもある。

そんな私にとっての詩央里ちゃんの大切なワンマンライブ。私は5年も見てないし、またまだ新米ぞうだけど、本当に会えることを楽しみにしていた。

17時頃会場へ着いた。
fieldの上のお好み焼き店にぞくぞくと示し合わせたようにぞうが到着する。
お揃いのTシャツ着てみんな愛しげに詩央里ちゃんの話をする。
なのに、あっチケット忘れたぁ!って声が次々と上がるぞうたち😆大切にしすぎて飾って忘れてくるとかもう可愛すぎてこれまた吹いたw

LIVEは他の人が細かく書いてて、私の言語化能力では伝わり切らないし、みんなのレポ見て、そうそう!そうそう!って頷きすぎて、首がもげるかと思った。

ステージの空間と時間、音や視覚の作りこみの美しさはもちろんのこと、感情や呼吸の動き、行動まで全部詩央里ちゃんに持って行かれた、というのが率直な感想。

私たちが発するもの全部が重なり合うことが計算されているような感覚。
詩央里ちゃんの声、それにぞうが応える感情の動き、かけられる声、一緒に歌う音の波、震え、歓声。
それらが重なり合って一つのステージになっていたこの演出力。やっぱすごい。

山石さんの放出するオーラとパワー、音とコーラスの響きに呼応して、さらにどんどん突き抜けていく新しい詩央里ちゃんも目の当たりにした。胸が熱くなって震えた。

そこから続いたラスト忘れたくない日々では、会場全体が同じ感情になっていたと思う。
その場にいる全員が出したことのない「ありがとう」が言葉になって響いた。
その一瞬、詩央里ちゃんのありがとうとぞうのありがとうが深く対話してて鳥肌がたった。

あの一体感の作り方。LIVE後半になるほどに引き込まれていく。
一方的に見せる側と見る側に分かれるLIVEじゃない。一緒に作ったんだ、という実感。
すごい。
詩央里ちゃんの「想像」力。
空間を創る力だけじゃない、発信者側と受け取る側の音の重なり、感情の重なり、呼吸の重なり、それも全て想像しつくされていて、だからこそここぞ、という絶妙なタイミングで次の選曲が来る。ここでそれ来た!ってたぶん全員が思う。だから感情を持っていかれる。

きっと何度も何度も反芻して詳細までコンセプトに沿ってストーリーと想像を練り上げたものを、圧倒的な創造力で他にないステージとして作り上げているのかなと。
だから見てるこっちも毎回驚くし、新しい発見があるし、楽しめるし、「してやられたーーー」って思う。

年内に詩央里ちゃんのワンマンがある。
次はどんな詩央里ちゃんを見せてくれるのか楽しみが尽きない(〃ω〃)

#詩央里LIVE

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