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境界を越えるバス/関八州編2/箱根峠

関八州編その2 相模・伊豆国境2
現地調査:2022年2月/9月
2022/08/06暫定公開
2022/09/11大幅改訂
この記事の画像は特記無き限り筆者自身が撮影したものです。
この記事のデータ類は特記無き限り2022年9月時点のものです。

今回は、前回に引き続いて関東地方の南西端で、かなり有名?な場所になります。昔からの東海道=現代の国道1号線が通る箱根峠が今回の舞台です。

関東地方の南西端?、再び

箱根峠の位置。ベースの白地図は freemap.jp より。
比較対象として以前の記事で取り上げた千歳橋・千歳川の位置も記載。

 東海道において、箱根峠≒箱根関より東側が関東であることは、相模伊豆国境編その1「湯河原千歳橋」にて述べた通りである。海岸沿いの熱海街道は細かいが険しい峠越えの連続になるのに対し、東海道が通る箱根地区を経由すると、大きな峠は(最少で)箱根峠1つで済ますことができる。箱根の外輪山内側全域が早川水系の流域であり、1つの盆地のようになっているためである。早川本流を遡る仙石原経由のルートは箱根裏街道とも呼ばれ、峠を越えることなく芦ノ湖の北岸に至り、その先幾つかある峠の1つを越えれば、関八州≒関東地方を抜けることができる。こちらについての詳細は、今後投稿予定の記事「乙女峠」にて解説する。

早川と須雲川のおおよその流路、相模国境、
および、江戸期における街道や関所のおおよその位置。
「ペイント」で作図した都合上?、かなりアバウトな点には留意願います。
ベースとなる地図は Map-It マップイット|地図素材サイト より。

 早川の最大の支流である須雲川(すうんがわ)を詰めるコースのが江戸時幕府により整備された東海道の正規ルートで、早川本流との間の分水嶺を越える必要があるが、その先は芦ノ湖の南岸である。芦ノ湖の西側に箱根外輪山の西縁であり、ここが相模国と伊豆・駿河国の境界となる。このエリアにおいては、これ以上明快な地形的障壁はない。
 東海道の太古のルートは、箱根の北側、足柄峠を越えていた。後の矢倉沢往還と呼ばれる道筋である。このルートが富士山の延暦噴火(西暦800~802年)のため通行不能となり、南回りとなる箱根峠越えのルートが開かれた。この後、足柄峠のルートも復旧しているが、江戸幕府の時代になり、須雲川沿いに箱根峠ルートへ至るルート(現代の神奈川県道732号湯本元箱根線)が東海道の本線として定められ、関所も整備された。
 ただし、厳密に峠の位置に関所を置くことは、人員の配備や建物の構築などで難がある。このため、箱根峠の江戸からみて手前になる、芦ノ湖畔に関所が設けられた。当初は箱根神社脇に設けられたが、元箱根の集落のど真ん中になるため、地元民との対立が引き起こされたらしい。妥協策としてより峠に近い場所に新たに関所と宿場町をセットで作ったのが、現代に史跡として残る箱根関と宿場である。
 従って、厳密にいえば、箱根の関所の先も、峠に登りつくまでの区間は、関所より西にあるが相模国内なので関八州の内である。当然、芦ノ湖の西岸も関所より西側であるが、箱根外輪山の内側なので相模国である。この区間には山伏峠と湖尻峠がある。芦ノ湖を船で渡ってしまえば関所をスルーできてしまうことになるが、厳重に監視されていたらしい。夜間などに音を立てずに泳ぎ切ればその限りではないが、その先の箱根外輪山越えは猛烈な登山道になるので、現代のトライアスロンよりも過酷なことになったと思われる(??)。
 なお、現代において、箱根峠の神奈川県側は足柄下郡箱根町であるが、静岡県側は国道1号線が田方郡函南町三島市山中新田の境界になっている。国道1号線は一旦函南町側に入り込むが、山中城址辺りからは三島市側を下るようになる。いずれも伊豆国であり、駿河国ではない。
 また、箱根峠は、変則十字路?の交差点になっている。この区間では国道1号線は南北方向になっており、東南方向に静岡県道20号熱海箱根峠線が、西北方向に有料道路芦ノ湖スカイラインが分岐する。いずれも箱根外輪山・伊豆半島中央山稜に沿った眺めの良い道であり、箱根峠付近では、おおまかに県境=旧国境をなぞっている。

箱根峠付近の道路と旧国境=現県境の概略図。
十国峠方面から三島方面へのショートカット路は左折方向の一方通行。
芦ノ湖スカイラインから元箱根方面は双方向通行。
本当は「くらかけゴルフ場」への出入り口も交差点に絡んでいるけど、
作図が大変になるので省略させていただきます…m(_ _)m
神奈川県側から見る県境交差点。
静岡県側から見る県境交差点。
天下?の国道1号線だけあって、県境のロードサインもしっかりしたものが。

箱根峠を越えるバス(国道1号線)

 国道1号線にて箱根峠を越えるバスは、静岡県側から登ってくる東海バスの路線のみである。箱根関が設置された場所の影響ではないが、小田原側から登ってくる路線は全て箱根地区で終点となるためである。
 箱根地区のバス停留所は、バス会社(箱根登山バスと伊豆箱根バス。東海バスは箱根登山バスに準ずる)により微妙に異なるものがあり、運行拠点=始発終着停留所も異なるので、位置関係を図示しておく。ちなみに、「箱根町港」と「元箱根港」は箱根登山バス(と東海バス)の運行拠点、「箱根関所跡」と「元箱根」は伊豆箱根バスの運行拠点であるため、他社バスは乗り入れずに、「元箱根」以外は国道上のバス停にて客扱いを行う。

箱根峠~元箱根付近の主要バス路線とバス停位置概略。
点線は運転本数僅少。箱根新道経由の急行便は省略。

 箱根峠を越える東海バスの路線は、三島駅~元箱根港を結ぶ ”N65”系統である。本記事のトップ画像は、箱根峠交差点を通過する三島駅行である。”N”は 沼津(Numazu)営業所担当であることを示している。アルファベット+数字の系統番号表記は、国交省が定めた新ガイドラインに準拠している。箱根エリアの交通案内図では、アルファベットのみで系統を表す箱根地区の他の路線に合わせて"N"系統と表記されることもあるが、車内放送では単に"65" 系統と案内されていた。大昔?(おそらく平成初期?)までは沼津駅発着の便もあったように記憶しているが、現在では全て三島駅発着である。姉妹系統で”N66”系統が同区間にて特急便として設定されているが、新型ウィルス感染症拡大による旅客減少のため運休中である。途中、山中城址より下は、三島市内折り返し便ともいえる ”N67 / N68”系統も設定されている。

元箱根港にて発車待機中の"N65"系統三島駅行。
箱根峠交差点を通過中の"N65"系統三島駅行。
箱根峠を越え、バス停に接近してくる"N65"系統元箱根港行。
東海バスの箱根峠停留所は、峠のかなり箱根寄りにあります。

 この路線は、東京からほぼ東海道に沿って路線バスを乗り継いで西を目指す際は、必ずお世話になる路線である。日中は1時間に1本程度、1日9往復の運転なので、田舎のバスとしては本数が多い方であろう。
 なお、東海バスに三島営業所は無く、三島駅発着の路線も全て沼津営業所が担当するため、"Mxx"という系統は存在しない。ちなみに伊豆箱根バスは東京式=端点の駅名の頭文字の漢字を使うので、三島駅発着の路線は"三xx"という系統番号となっている。富士急グループのバスは以前は東京式であったが、近年は系統番号なしになっているようである。

箱根峠を通るバス(静岡県道20号線、他)

 箱根峠を越えるかどうかは微妙であるが、箱根峠を通るバスはもう1系統ある。何度か話題にでてきた、伊豆箱根バスによる”AT”系統で元箱根~箱根峠~十国峠~熱海駅を結ぶ。箱根峠からは東南に曲がって箱根峠外輪山沿いに通された静岡県道20号熱海箱根峠線を走るため、箱根峠を越えずに峠の稜線上を行くことになる。しかし、元箱根は相模国=神奈川県で、終点の熱海は伊豆国=静岡県であるので、県境=国境越え路線ではある。そして別項でも述べたが、この路線を通じてのみ、東京地区のバス路線網が、熱海・湯河原・真鶴地区のバス路線網と通年全日繋がる。実態は観光路線で昼間帯に2022年2月時点で1日5往復の運転であったが、9月初旬の段階で6往復に増強されていた。箱根峠までは来ないが、熱海駅〜十国峠の途中折り返し便も3往復設定されたようである。

箱根町停留所にやってきた"AT"系統熱海駅行。
箱根峠停留所に停車中の"AT"系統熱海駅行。
伊豆箱根バスの箱根峠停留所は、県道20号線に曲がった先にあります。
箱根峠交差点右折通過中の"AT"系統元箱根港行。

 なお、この”AT”系統が走る静岡県道20号熱海箱根峠線であるが、元々は駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道駿豆線の前身)が自社バスの専用道路として1932(昭和7)年に開通させた道である。ほどなく一般有料道路となり、1964(昭和39)年に静岡県に買収され、以降、静岡県道として供用されている。

箱根峠交差点から見た静岡県道20号線。
場所が場所だけに、冬季は雪が積もることも。
雪道用タイヤかチェーン必携です。

 静岡県道20号線の途中、湯河原峠からは、湯河原温泉へと繋がる有料道路湯河原パークウェイが分岐するが、2021年の豪雨による崖崩れのため、長期不通となっている。ここを経由するバス路線も降り方向にのみ存在し、この便は箱根峠の交差点を経由したが、長期運休中である。詳細は次節参照。

 そして、箱根峠から北西に延びる芦ノ湖スカイラインには、一時期だけ、定期路線バスが設定されていた。設定された時期は未調査であるが、2010年の頃に毎日運転路線であり、実際に乗車した記憶がある。2018年3月のダイヤ改正で季節運転になったとされ、途中停留所にもその旨表記がある。後述する箱根ターンパイク経由便と共に、年1回片道運行となった時期もあったらしいが詳細は不明(不確定な情報であるが、箱根ターンパイクを登る→芦ノ湖スカイラインを北行する→乙女峠・長尾峠をループする、3路線を走った年もあったらしい)。2022年時点では路線図から完全に抹消されている。系統記号は "F" であった。
 もちろん、運行されていた時期は、箱根峠の交差点付近(厳密には交差点をショートカットする道路)を経由していた。

在りし日の"F"系統芦ノ湖スカイライン線。
桃源台にて発車待機中。2015/01/25撮影。
現代の箱根峠バス停での"F"系統の時刻表記。
3月17日から季節運行になった旨記されている。
が、何年からなのかは、時刻表の改定年月日と照合しないと判らない。
(つまり、長年放置?されている??)

箱根峠を目指す道路とバス

 現代、関東平野の小田原側から芦ノ湖の南側を経て箱根峠を目指す主要な道路は、4経路存在する。以下、開通時期順に、そこを経由するバス路線と共に紹介する。

箱根峠を目指す道路の概念図。
コーナーの具合とかはかなり出鱈目?なのでご留意のほど。
(道のつながり具合だけは合わせています。)
ベースの白地図は、Map-It マップイット|地図素材サイト より。

1.旧東海道(神奈川県道732号線)

 1つ目は上述した旧東海道と呼ばれる道で、現代では神奈川県道732号湯本元箱根線である。江戸時代の初期に徳川幕府によって整備された道をルーツとする。箱根湯本駅のやや手前で国道1号線から分岐、須雲川に沿って湯本の昔からの温泉街を抜けるとつづら折りの山道となる。登り詰めると須雲川と早川本流の分水嶺を越え、次項の箱根国道と合流すると芦ノ湖畔への降り坂となり、元箱根の箱根神社脇に至る。

上流側から見た箱根旧街道入口の三枚橋。
箱根旧街道入口交差点。
旧街道側から見た入口交差点。

 中間のヘアピンカーブが連続する「七曲り」については、後述する(実際にはヘアピンカーブが約12個連続する)。

旧道が国道1号線と合流する直前。
「旧街道口」のバス停と、その真上の国道1号線合流点を示す青看板。

 旧道ではあるが路線バスの設定もあり、湯本駅~上畑宿~箱根町を結ぶ系統は "K" の系統記号を与えられている。箱根登山バスの担当で1時間に1本程度の運転日中以外は本格的に山道に差し掛かる手前の上畑宿折り返しとなる。ごく一部の便が小田原駅や強羅駅に直通する。

旧街道下端の下宿バス停付近を走る"K"系統。
この車は湯本駅行。
七曲のコーナーを通過中の"K"系統箱根湯本駅行。
DH(Down Hill=ダウンヒル=降り)方向です。
箱根新道の下をくぐるコーナーで、曲率が複雑に変わります。
七曲のコーナーを通過中の"K"系統元箱根港行。
HC(Hill Climb=ヒルクライム=登り)方向です。
インコース側なので勾配も一際きついです。
「旧街道口」バス停発車直後の"K"系統元箱根港行。
この時間帯は次の「箱根神社入口」バス停は通過し、次停車が終点です。
なので行先表示器に「箱根登山バス」と表示されています。

2.国道1号線(箱根国道)

 2つ目は、現役国道1号線である。湯本からは早川の本流沿いに遡り途中の宮ノ下で左へ分岐、小涌谷から芦之湯を経て峠を越えれば元箱根の箱根神社である。小涌谷や芦之湯など古くからの湯治場を経由すべくかなり強引に作った道らしい。芦之湯の先で越える峠は、箱根中央火口丘の1つである駒ヶ岳の肩?を掠めるため、実は箱根峠より標高が高い。国道1号線の最高標高地点になっているが、峠に名前はついていない。箱根駅伝の往路第5区・復路第6区の走路にもなっているので、箱根に行ったことが無い人にも馴染みのある方が多い道である。

芦之湯側から見た国道1号線最高地点の標識。
ここを過ぎれば、後は芦ノ湖畔への降り坂。
元箱根側から見た国道1号線最高地点の標識。
県境どころか市町村境にすらなっていないです。
箱根中央火口丘である駒ヶ岳の肩を越えるため、標高は箱根峠より高いです。
箱根国道と旧街道合流点の交差点。
右奥が国道1号線東京方向/左奥が大阪方向です。
ヘアピンカーブの頂点が旧街道との交差点になっています。
左奥にいるバスは"Z"系統小田原駅行。
左奥からきてヘアピンカーブをクリアし、右奥へと進みます。
元箱根側から見た箱根国道と旧街道の分岐点。
左ヘアピンカーブを曲がりきれずに突っ込む(?!)と旧道に入ります。
(良い子は真似しないように…汗)

 ルーツは明治時代に地元有志が私費によって開通させた道で1904(M37)年に開通している。その後、関東大震災にて壊滅的な打撃を受けるが、震災復興事業にて1925(T14)年に箱根国道として再開通した。1952(S27)年に制定された新道路法により東京―大阪間の国道1号線に指定され、現在に至る。
 このルートは箱根を走るバスの中でもメインルートの1つで、箱根登山バスが担当する小田原駅~湯本駅~宮ノ下~芦之湯~元箱根港~箱根町港を結ぶ路線が "H"、同ルートで伊豆箱根バスが担当する終点が箱根関所跡(登り最終と降り初便のみ箱根町発着)になる路線が "Z" の系統記号を与えられている。何れも1時間に数本の頻発運転である。本数は少ないが、伊豆箱根バスによる箱根園発着の "U" 系統もある。この路線は元箱根まで入った後、折り返すように国道1号線を少し戻り、北に曲がって箱根園方面に行く。

峠を越える"H"系統小田原駅行。
峠を越える"Z"系統箱根関所跡行。
偶然現場付近ですれ違う、"H"系統と"Z"系統。

3.箱根新道

 3つ目は、有料道路「箱根新道」として開通した道で、こちらも国道1号線の現道である。ルートは1つ目の旧東海道に近いコース取りであるが、最後まで須雲川沿いに谷を詰め、元箱根地区を経ずに直接箱根峠方面へと至る。1962(S37)年3月31日に全国で2番目の自動車専用道路として開通した。2011年7月26日に無料開放されて以降、箱根地区を通過する交通の主要路となる。

箱根新道の箱根峠側入口予告のロードサイン。
右方向に行くのですが、いったん左へ分岐します。
箱根新道の箱根峠側入口。
自動車専用道なので、歩行者・自転車入らぬよう、警告表示が多数。
箱根新道の箱根峠側出口。
登ってきた車が列をなして「本線」に合流していきます。

 箱根新道を経由するバス路線は、無料化されたとはいえ自動車専用道路であることから、国道1号線が渋滞で所要時間がかかると見込まれる時間帯・方向に設定されており、「急行」と呼んで他の路線と区別している。どちらも渋滞がないという条件の下では、箱根新道経由の方が十数分所要時間が短い。元箱根港発着の箱根登山バス便が "R" 、箱根園発着となる伊豆箱根バス便が "P" の記号を与えられている。いずれも箱根新道の山頂側に近い地点で交差する神奈川県道75号線を経て箱根新道へ出入りする。このため、箱根側の起点を出発すると国道1号線経由の "H" "Z"系統とは逆方向に進み、バス停の停車順序も異なる。山麓側も便によって箱根湯本駅を経由せずに小田原駅直通となるものもあるので、注意を要する。

元箱根・箱根町地区の急行系統運行経路概念図。
各停系統の"H"や"Z"系統とは逆方向に走る。
元箱根港停留所で発車待機中の"R"系統箱根湯本駅行。
途中、箱根町港にのみ停車し箱根新道をノンストップで湯本駅まで駆け下ります。
関所跡交差点にて左折し、県道75号線経由で箱根新道に向かう"R"系統箱根湯本駅行。

 2021年秋より、座席定員制を採用した「芦ノ湖ライナー」が運転開始、箱根湯本駅発着となる登り1便/降り2便が箱根新道を経由する。これについは、次節「箱根ターンパイク」にて解説する。

4.箱根ターンパイク

 4つ目は、有料道路「箱根ターンパイク」である。箱根外輪山南縁の尾根筋を豆相国境まで登り詰めるルートをとる。1965(S40)年に開通、当時は東急グループの経営であったが経営状態は思わしくなく、2004(H12)年以降は経営が色々と変わったが、2014年(H24)年以降は中日本高速道路(NEXCO中日本)の子会社の経営になっている。経営母体とは別にネーミングライセンス制を導入したため、2007年以降、正式名称は色々と変わっている。通行料金が高額なためか、まず渋滞することがないと思われる道である。途中で後述する神奈川県道75号線にて接続されている区間があり、この場所をもって2区間に分けられている。

箱根ターンパイク起点付近の遠景。
一番上か真ん中辺りの急勾配で登っていくガードレールが、多分、そう。

 箱根ターンパイクを経由する路線バスは、ある意味、伝説となっていた。大昔は国道1号線や箱根新道がどうしようもなく渋滞しまくった場合のエスケープルートで使用されることがあったらしいが、2000年代以降は年1回片道のみの運行となっていたようである。11月の紅葉の時期に運転されることが多かったが、6月の紫陽花の時期に運行されたこともある。あまりに運行頻度がレアなためか、系統記号は存在しないが、箱根登山バス車両のLED式の行先や運賃表示にはデータが用意されていたようである。
 2021年秋から、土休日のみ登り方向のみ1日1便であるが、箱根ターンパイク経由にて小田原駅と芦ノ湖を直結する座席定員制の「芦ノ湖ライナー」として定期運転を開始している。登りのもう1便と降りの2便は箱根湯本駅発着なので、箱根新道経由となっている。何れも元箱根周辺へは後述する神奈川県道75号線を経由して出入りするため、箱根峠には来ない。乗車するためには、乗車券類の他、¥500のライナー券が必要となる。1便の定員は50人である。

元箱根町港バス停の「芦ノ湖ライナー」専用ポール。
「芦ノ湖ライナー」のポスター。
元箱根町バス待合所にて。

番外.椿ライン(神奈川県道75号線)

 番外として、小田原からではなく、湯河原から元箱根に登ってくる、神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線:通称椿ラインがある。主要地方道であるが、道路の屈曲具合は上記4つの道よりもハードである。先述したように、途中で箱根ターンパイクと接続しており、箱根新道とも芦ノ湖大観インターチェンジで接続するため、小田原方面から両者を走る路線バスはこの道を使って箱根関・箱根港・元箱根方面へショートカットする。
 椿ラインを湯河原からこのルート、箱根登山バスの路線設定は生きているようであるが、長期運休中である。1月2日にのみ運行されるという情報もあるが路線図の類からは完全に抹消されている。伊豆箱根バスも登りは椿ライン/降りは湯河原峠から湯河原パークウェイを経由する路線を1日1往復だけ設定していたが、湯河原パークウェイが土砂崩れで長期通行止めのため、運行再開の目途はたっていない

神奈川県道75号線=椿ライン(右)と湯河原パークウェイ(直進)の分岐点。
湯河原パークウェイが通行止めである旨の看板が見える。
箱根町のバス停ポール。
湯河原駅行(湯河原パークウェイ経由)は、運休中である旨、記載されてます。

蛇足?. 旧街道の七曲り

 1.の箱根旧街道を登っていくと、温泉街を抜けた先で猛烈な急坂になり、ヘアピンカーブが12個も連続する「七曲り」と呼ばれる区間になる。この区間では、2.の箱根新道と立体的に絡み合う線形になっていて、芸術的な美しさすら感じる。何とか実感できるような画像を撮ろうとしたが、静止画で、かつ、旧街道側からだけでは、限界を感じた。
 とりあえず、解説なしで画像を張っておくので、道路の絡まり具合を実感していただけると幸いである。



 なお、ゲームセンターにある公道レースシミュレーションゲーム「イニシャルD」では、箱根旧街道のこの区間を疑似的に走ることができる。特に、七曲りで箱根新道と立体的に絡み合う区間の再現度は素晴らしいので、現地に行けない人は、ゲームセンターで走ってみることをお勧めする。
 ちなみにこのゲームでは、4つ目に挙げた箱根ターンパイクや番外に挙げた椿ラインも走ることができる。コースの再現度はどのコースも抜群に素晴らしい。

おまけ.

 箱根を目指す場合、普通はこれでしょう。この記事はバスが主役なので細かい説明は省略。

箱根登山電車の最新鋭3000形。
1世代前の主力2000形
3000系列の導入でほとんどの電車が3両編成での運転になりました。
行違うのは1000形か?
強羅駅から先はケーブルカー。
コースのシメ?は海賊船!!

箱根神社/九頭竜神社

 1つ目に挙げた旧東海道や2つ目に挙げた国道1号現道を小田原側から登ってくると、元箱根港バス停直前で、箱根神社の大鳥居をくぐることになる。非常に目立つので見落としようがない。
 箱根神社の本殿は、東海道から外れ芦ノ湖東岸をやや北に行った辺りにあり、ここに至るまでに更にいくつか鳥居をくぐることになる。
 歴史は伊豆山神社と同じぐらい古く、両者合わせて「二所権現」と呼ばれる(三島大社を合わせて「三所権現」と呼ばれることもある)。鎌倉幕府の加護を受けたのも同様で、1590年の豊臣秀吉による小田原討伐の際に焼失したのも同様である。その後、徳川幕府により所領を再度与えられた点も同様であるが、この地は一貫して相模国内であり、伊豆山神社のように豆相国境の策定にはかかわっていない。

箱根神社本殿。

 箱根神社の主要な境外社の1つに、九頭竜神社がある。本宮は箱根園の箱根九頭竜の森の中にあり、箱根神社から徒歩で辿ると数十分かかる。毎月13日の月次祭の折には、参拝の便宜を図って、元箱根港から直通の船が出る。新宮が箱根神社境内社として本殿の隣に設置されている。九頭竜神は箱根大神の眷属とされる。

九頭竜神社新宮。
箱根神社本殿右隣にあります。

 箱根神社の奥の院的な位置づけで、箱根元宮がある。箱根駒ケ岳の山頂にあるが、現在のものは1964(昭和39)年に、当時の西武グループの統帥、堤康次郎の寄進によって建立されたものである。芦ノ湖側からは、箱根園から箱根駒ケ岳ロープウェイにて容易に到達することができる。かつては小涌谷側からもケーブルカーが通っていた。1957(S32)年の開業だが、起点が中途半端な場所であったこともあり利用客が低迷、2005(H17)年に廃止されてしまっている。

行政区画の歴史

 地理的境界が明確な分、このエリアの行政区画の変遷もシンプルである。
 相模国側は、湯河原町などと同じく、足柄下郡に属する。箱根関がある辺りは、箱根宿→箱根駅とされていた。ここでの「駅」は当時の行政単位の1種である。1892(明治25)年に箱根町に改称。1954(昭和29)年に元箱根村・芦之湯村と合併、更に1956(昭和31)年に湯本町・温泉村・宮城野村・仙石原村と合併して現在に至る。
 伊豆国側田方郡に属するが、近世(江戸時代?)に西部が君沢郡、伊豆半島東岸が賀茂郡に移されている。
 現代の函南町の領域は田方郡のままで、1889(明治22)年の町村制施行により函南村が発足、1963(昭和38)年に町制施行で函南町となり、特に合併などは行わず現在に至る。
 現代の三島市も、江戸期において当時の山中新田の部分は田方郡のままであったが、峠に近い部分は三島宿の領域とされ、君沢郡に属した。三島宿は1889(明治22)年の町村制施行で三島町となる。1986(明治29)年に所属郡が田方郡に編入された後、1935(昭和10)年に北上村を編入、1941(昭和16)年に錦田村と合併して三島市となる。1954(昭和29)年に中郷村を編入して現在に至る。 

おまけ?

元箱根港近くの店で入手した、ハート形大判焼き?
(正式名称は忘れました^^;;)
小田原駅ビル1Fの食堂にて。
この内容で¥1200程度だったような?
なぜか、御殿場駅近くのコメダ珈琲店でモーニング。
サラダはオプション。
箱根峠道の駅での名物メニュー、峠そば。
何故、山の「峠」なのに、海の「海老天」?^^;;
強羅駅前のカフェ。
チーズたっぷりなのが良いです。

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