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境界を越えるバス/都県境編10/鶴川街道真光寺周辺

東京都神奈川県境編10(多摩丘陵編5)
2023年2月現地調査
2023/03/06 初版公開

データ類は特記なき限り2023年2月現在のものです。
画像・写真類は特記なき限り筆者自ら作成・撮影したものです。

多摩丘陵に入ってから複雑に畝っている都県境=旧多摩郡の南縁ですが、久しぶりに多摩川水系と鶴見川水系の分水嶺に復帰します。路線バスがこの分水嶺と都県境が重なっている区間を超えるのは、多摩丘陵に入って最初で最後です。この区間では多摩川水系が神奈川県側/鶴見川水系が東京都側と捩れた関係になっています。そのあたりの事情?も考察します。

現場付近の都県境と鶴川街道

今回紹介する地点と、以前の記事で紹介した地点、
それに加えて鶴川街道・多摩川鶴見川分水嶺の位置関係概略図。
ベースの白地図は、いつもの freemap.jp より。
手書きで加筆した部分は、例によってアバウトです^^;;

 鶴川街道は、東京都調布市下石原にて甲州街道からわかれ、多摩川を多摩川原橋で渡った後、支流の三沢川を緩やかに遡っていく。以前の記事にて述べたように、旧多摩郡坂浜村と旧都筑郡黒川村の境目にて旧郡境=現都県境を越え神奈川県に入るが、三沢川の流域であることに変わりはない。その奥で明瞭な尾根=鶴見川水系真光寺川との分水嶺に突き当たるが、ここで再び旧多摩郡=現東京都のエリアに戻る。なお、鶴川街道のもう一方の端点は現代の東京都町田市中町=旧多摩郡原町田村になり、この先はずっと旧多摩郡内=現東京都内を辿るので、旧都筑郡黒川村のエリアのみ神奈川県の旧都筑郡エリア内を通過することになる。

鶴川街道が、川崎市麻生区を抜け東京都町田市へ入るポイント。
都県境尾根は画面右端の部分をそのまま奥へ。
都県境のロードサインを町田市側から見てみました。
この地点ではロードサインと都県境の位置はほぼ一致しています。

 鶴川街道が越える分水嶺であるが、多摩川水系側が神奈川県鶴見川水系側が東京都である点には留意する必要がある。以前の記事で紹介した、都県境がよみうりゴルフ倶楽部を中を突っ切り、東京よみうりカントリー倶楽部の縁をたどっていた区間では、多摩川水系側が東京都で鶴見川水系側が神奈川県であったので、逆になっているのである。現代の都県境だけがこのような捩れた関係になっているならまだしも、都県境が踏襲した旧多摩郡の南縁がこのような状態になっているのは注目に値する。旧多摩郡のうち平尾村と坂浜村は、江戸時代より前には都筑郡に属していたとのことであるが、その分を考慮しても郡が制定された律令制の時代から、郡境と分水嶺が捩れた関係になっていた。
 ついでに書くと、明治初期に多摩郡は東西南北4つに分割され、明治前期には南・北・西多摩郡となったエリアは神奈川県となっていた。なので、当時の東京府・神奈川県境が郡境をなぞり分水嶺とねじれた関係になったのは、明治後期に多摩地区が東京府に編入されて以降である。完全に余談になるが、東多摩郡だけはごく短期間で東京府の管轄に戻されており、南豊島郡と合併して豊玉郡となる。昭和初期に東京市(当時)へ編入されて、中野区・杉並区・渋谷区・淀橋区となった。淀橋区は戦後間もない時期に合併して新宿区となったが、その他の3区はそのまま現代に至っている。
 鶴川街道が分水嶺を越えた鶴見川水系側は、江戸期には武蔵国多摩郡真光寺村であった。この峠には調べた範囲ではつけられた正式な名称が存在しない。本稿では鶴見川水系側の地名になるが仮称として真光寺峠と呼ぶことにする。

真光寺峠を越えるバス路線

 鶴川街道にて真光寺峠の分水嶺を越えるバス路線は、以前の記事「若葉台駅周辺」にて紹介した、"鶴21"系統鶴川駅~若葉台駅"鶴22"系統鶴川駅~調布駅の2系統のみである。このうち調布駅発着便は土曜朝に1往復のみ設定されているだけで、区間運転便となる若葉台駅発着の便がほぼ全部を占めている。両系統共に神奈川中央交通町田営業所の担当である。"鶴21"系統は1999年に若葉台駅北口の駅前広場が整備されるまでは、1つ手前の停留所である下黒川までの運行であった。若葉台駅北口に乗り入れるようになって、路線終端でも都県境を越えて稲城市に乗り入れるようになっている。

多摩川水系三沢川の源流を登って来た"鶴21"系統鶴川駅行。
都県境を通過しきった"鶴21"系統鶴川駅行。
都県境を通過中の"鶴21"系統若葉台駅行。
峠を越えて三沢川源流への下り坂に入る"鶴21"系統若葉台駅行。

 ”鶴21"/"鶴22"系統の鶴川駅方面は、鶴川街道をそのままたどるのではなく、真光寺十字路にて東京都道19号線と共に南西方向に直角に折れる。その後も鶴川団地の中を通りつつジグザグに右左折を繰り返し、最終的に東京都道3号線である津久井道(この付近は鶴川街道でもある)を東に進み鶴川駅へアクセスするルートになっている。真光寺十字路より先の鶴川街道は東京都道139号線となり、北東方向からこの交差点に出てくる"鶴26"系統鶴川駅~真光寺公園が鶴川街道をたどっていく。この系統の詳細については後述する。
 本数が僅少である=免許維持路線となっているものの歴史が古いと思われる調布駅発着系統の方が大きな番号を与えられているが、系統番号が与えられた時期(早くとも1972年以降)には、既に下黒川折返しの区間便の方が主力であったため、というのが筆者としては本命の見解である。下黒川以北の鶴川街道には、現代では"柿24"系統となっている調布駅・稲城駅~下黒川~柿生駅が以前から走っていたため、元々調布まで行く便はレアだったのかもしれない。調布駅に乗り入れている京王バスによる"調21"系統調布駅~稲城市立病院との番号重複を避けたとも考えられるが、この系統も現代では平日のみ1往復運転の免許維持路線となっているため、なんとも判断しがたい。
 なお、"鶴22"系統は、神奈川中央交通が多摩川の左岸=北岸まで乗り入れる唯一の路線である。"調22"系統とならなかった辺りに、なにか謎が隠されているのかもしれないし、単に主系統である"鶴21"に漢字も合わせただけなのかもしれない。

真光寺界隈の自治体の変遷

 旧都筑郡=現神奈川県側=多摩川水系側は、以前の記事で述べたように、武蔵国都筑郡黒川村→神奈川県都筑郡柿生村黒川→(中略)→神奈川県川崎市麻生区黒川である。
 旧多摩郡=現東京都=鶴見川水系側は、本稿冒頭で述べたように、江戸時代には武蔵国多摩郡真光寺村であった。1889(明治22)年の町村制施行時に周辺の多摩郡の村と合併して神奈川県南多摩郡鶴川村となる。鶴川という地名は、合併した8つ村がすべて鶴見川水系に存在ていたことに由来する。多摩地区の東京府(当時)移管をへた後、1958(昭和33)年に町田町・忠生村・堺村と対等合併し東京都町田市となり、現代に至る。
 なお、現代の町田市となっているエリアは、ほぼ全域が鶴見川水系か境川水系に属する。多摩川水系から外れているが、何故律令制の時代に多摩郡となったのかについては、調査未了である。

都県境近くまで乗り入れるバス路線

 本稿以降の都県境は、そこそこ明瞭な尾根筋を辿る。ただし、すぐに両側とも鶴見川水系(町田市側が真光寺川/川崎市側は片平川)となる。この都県境の尾根近くまで町田市側から乗り入れるバス路線が幾つか存在するので、本記事にて合わせて紹介する。

都県境の尾根近くまで乗り入れるバス路線群。
ベースの白地図は freemap.jp より。
バスが通うルートはそれっぽく表現することを試みましたが、結果としてアバウトです。

真光寺公園

 真光寺峠からほど近い地点にある真光寺公園まで、鶴川駅を発着する"鶴26"系統が乗り入れる。小田急バス新百合ヶ丘営業所と神奈川中央交通町田営業所の共同運行である。バス停名となっいる真光寺公園は、真光寺峠のすぐ脇まで広がっている。終点の真光寺公園バス停から200mほど進むと鶴川街道との三差路に至る。
 真光寺十字路以南の鶴川駅側では、"鶴21"系統と入れ替わって都道139号線となった鶴川街道をたどる。ただし、こちらの道は車道としては昭和後期に造られたもので、もともとは"鶴21"系統のたどる都道19号線ルートが鶴川街道であった模様。鶴川駅東口交差点からは東京都道3号線を西方向に進み鶴川駅へ至るが、現代ではこの区間も鶴川街道である。

真光寺公園バス停に到着した"鶴26"真光寺公園行。
真光寺公園バス停脇にある、バス待機場。
近隣で終点となるバスの一部はここまで回送されて休憩をとっている様子。
真光寺公園バス停から更に進むと、鶴川街道との三差路へ出てきます。
画面左手方向が真光寺公園バス停方向。
左手前から右奥に進むのが鶴川街道で"鶴21"系統の経路です。

平和台北

 鶴川駅にほど近い真光寺川左岸に開発された住宅街、平和台(住所は川崎市麻生区能ヶ谷7丁目)には、鶴川駅からの"鶴25"系統鶴川平和台循環線が乗り入れている。鶴川街道から右折すると、猛烈な急坂を登って平和台の住宅街へ至る。神奈川中央交通の単独運行であるが、路線開設当初は小田急バスも乗り入れる計画があった模様。平和台の住宅街を時計回りで運行するが、ループの一部区間が都県境を走る。『平和台北』と『第二公園前』の停留所の前後区間が該当し、道路の外側は川崎市となる場所にある。なお、このエリアの都県境の反対側には神奈川県立麻生総合高校があり、町田市側から一応アクセスできる。また、都県境にまたがって、日本開発銀行の鶴川総合運動場が所在したが、リニア中央新幹線の非常口建設に伴い、この場所は工事のため閉鎖中である。

平和台北の停留所に停車中の"鶴25"系統平和台循環線。
この路地が"鶴25"系統が通る区間としては最北端。
道の左手、フェンスで囲われた先は、川崎市麻生区です。
この部分にリニア中央新幹線の非常口ができるようです。
バス停のポールと都県境の路地。
この地点では道路は全て町田市側である模様。
ちなみに、この路地の突き当りが、とある事故(?!)で話題になった場所です
画面中央の交差点のやや奥が「第二公園前」の停留所。
交差点の左斜め奥方向の一角が、川崎市麻生区です。
その一角の拡大?画像。奥の畑地?が川崎市麻生区/手前は道路も含めて町田市です。
畑地の奥の住宅街も町田市です。
自動販売機のある辺りは、どっちの市になるのか、未調査です。

千都の杜中央付近

 平和台でかなり鶴川駅まで近くなっているが、それより下流側、津久井道や小田急小田原線の間のエリアに、新たに宅地開発された「千都の杜」があり、鶴川駅の近傍以外は全てループとなっている"鶴10"系統千都の杜中央循環線が乗り入れている。1周約10分程度の小規模な循環線である。平和台エリアと異なり、都県境からそこそこ離れた場所までしか路線バスは乗り入れていないので、今回は詳細な紹介は省略する。ちなみに、この路線は"鶴26"系統と同様、神奈川中央交通と小田急バスの共同運行である。昼間帯や土休日は1時間間隔となる時間帯が多いので、乗車する場合には注意が必要である。

尾根の末端:津久井道

 この項についての詳細は、次記事「町田市三輪地区周辺」にて触れる予定である。
 更に下流側、都県境尾根の末端付近にて、津久井道=東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線が横切っている。ここを通る唯一の路線バスは、免許維持路線としては非常に有名?な"淵24"系統淵野辺駅~登戸駅で、土曜朝に1往復だけ運転される。都県境を越える路線であるが週1往復だけの運転では、乗車することはもちろん、姿を捕まえるのも困難である。担当は神奈川中央交通橋本営業所(!!)である。
 もっとも、この地点を通る「回送」は多数存在するようである。小田急バス新百合ヶ丘営業所と鶴川駅間の出入庫回送便である。詳細は、都県境近傍にある上麻生交差点を通る便と合わせて、次記事で紹介予定である。運行本数が多いのは、"柿22"系統桐蔭学園行(小田急バス担当)/"柿23"系統市が尾駅行(小田急バス・東急バス共管)が通る。運転本数は両社合わせて毎時5~10本程度となる。少数運転系統で、"柿25"系統鴨志田団地循環(小田急バス担当)/"柿26"系統若葉台駅~柿生駅~市が尾駅(神奈川中央交通担当、土曜午前1往復)が存在する。これらの路線は1km程度進んだところで、都県境の麻生川と並走する区間がある。
 津久井道・小田急線の南側には尾根筋は存在しない。古い地形図を見ても、津久井道・小田急線が尾根末端(若干削っていたかもしれないが)に通されたことが解る。この辺りについては次回以降の記事で考察を加える予定であるが、とりあえず、この界隈の旧版地形図を貼っておく。

小田急線鶴川駅~柿生駅付近の旧版地形図。
小田急小田原線開通直後の1930(昭和5)年発行版。
この地図は「今昔マップ on the Web (c) by 谷 謙二 氏」により作成しました。
元地図中の横書き文字は右から読んでください。

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