朱く燃える夏〜絢爛とか爛漫とかに寄せてとかなんとか〜
青春の次って朱夏って言うんですってね。
5月に見た春はどんよりとした雲に覆われたあの時期特有の鬱屈した感情を5億倍くらい濃縮したような青春だったけど、今目にしている春は青春の終わりと朱夏の始まりの狭間にある人生の転換期と焦燥感に悩み苦しむ春なのだろうなぁ。
いや本当にね、こんなに心奪われるとは思ってなかったですよ。
とりあえず一回行っとこーかなー慎太郎さん観たいなーーなんて思いながら軽い気持ちでチケット取ってたのにまさかの自分の初日に我慢出来なくてそれより前の日で追加してやっぱり古賀会も観たいっつって当日券増やして楽は無理でも前楽なら行けるはず!ってリピチケ買って、いやもう増やさないぞ…!って結局何公演入るんでしょうね?もう、増やさないぞ…(もう忙しくなってきたので増やせないが正しいんですけどね)(とか言って増えた)
本当にね、素晴らしいんですよ。全てが。
役者4人は勿論の事、脚本、演出、美術照明音響衣装に会場、客席の椅子すらも素晴らしく感じてしまう。
DDD青山クロスシアター結構久しぶりに行ったんですけどあのサイズ感がまた丁度いいんですよね。
シアターグリーンとかだと小さ過ぎるしかといって銀河劇場とかサンシャインだと大き過ぎる。あのサイズだからこそ観客は引き込まれるんだろうなぁ。
客席の椅子もね!パイプ椅子だとなんかね、また雰囲気違ってくると思うんですよ。色のついたビロードの椅子でもなく黒の革張りの椅子っていうのがね。いいよね!個人の趣味ですけどね。古賀家のあのソファはカリモクかなぁ?あの色いいよね。うちにもカリモクのソファあるんだけどあの色にするか最後まで悩んで黒にしたんだよね。(どうでもいい)古賀家はあのグリーンが合うよね。あの部屋に黒は浮くもんなぁ。
ほんとねぇ舞台セットの作り込みが凄すぎて。庭の草木が変わるのは勿論の事花瓶の花も季節毎に違うんですよね。(花だけじゃなく花瓶も違うんだよね)おキヌが替えてるんだろうなぁ。あんだけ煙草の吸殻放置する人間に花を替える事なんか出来るわけないし(偏見)春夏と秋冬で座布団が変わるのも細か過ぎないですか?
諸岡がよく開けて食べ物を探す引き戸の中にはちゃんと茶筒と急須が入っているし左の襖(おキヌちゃんが来るところ)を開けると水墨画で描かれた屏風が置いてあるし冬に泉がお茶を淹れる時の茶筒には本当にお茶っ葉が入ってる。
諸岡の結末のない小説の様に全てが生きていて呼吸をしている。
庭に舞う桜の花弁も光を求める向日葵も(向日葵は太陽の方を向くって嘘らしいね)ビクターの蓄音機も本棚も(初版の三四郎と子規全集があったのはわかった)(あったよね?)吸殻でいっぱいになった灰皿も束ねて積まれた新聞も生けられた花も夏には外される障子も射し込む光も蚊取り線香の匂いも冬の冷たい風もあの空間の全てに説得力がある。
夏のシーンの終わりにかけて椅子にかかる影が濃くなるのなんか本当に凄くない?(また椅子)
曲もねーー開演前に流れてるタバコ屋の娘などの昭和の流行歌で昭和初期感一気に漂ってくるし各季節に流れるブルグミュラーがまた、良い。
春はなぐさめ、夏のアヴェ・マリア、秋に別れ、そして冬の素直な心。(らしいですね)(クラシックに知見がないのでソーシャルネットワークサービスで伺いました)
タイトルもね、ほんとよくそれ持ってきたなー!ってもう素直な心ってもう!もう!ねぇ!(どうした)
何度も観てるのに毎回心が揺さぶられる。セットも演者も変わらないのにその日によって間や空気感が違う(まぁそりゃそうなんだけど)のも新鮮に感じるしとても面白いなぁ。なんかみんな楽しそう過ぎて何笑ってるんだってアドリブで怒られてたりバイオリン上手くなったかと思えば下手くそになってたり。弓を気にする泉が面白くてどうしてもにやにやしてしまう。
客席も日によって笑いが起こる場面が違くて今日はそこで笑うのか、と不思議な気持ちになったりする。(夏に古賀が団扇で扇ぎながら煙草を吸うシーンで笑い声が聞こえたのは少し驚いた)(諸岡が熱唱するシーンも全然笑えない)(つらい)煙草もスマートに吸う泉となんかちょっともぐもぐしながら吸う古賀とで差が出ていて面白い。もぐもぐしててもスマートに吸ってても男の人が煙草を吸う仕草はなんだか色気があっていいよなぁ、電子タバコなんか吸ってくれるなよなんて思いながらいつも見ている。泉はライターで古賀はマッチというのもまたいいよね。
服装もいつもきっちり着物を着ている加藤が夏にサスペンダー付きの洋服を着ていたり泉は夏でもめかし込んで英国王室御用達の布地で仕立てたスーツを着ている。(妙齢のお嬢さん方とインドカリーだからかもしれないけど)秋はスカーフでリボンを結っていたりして。ベストで見えないけどズボンにサスペンダーついてるんだよね。靴下もいつも違うしポケットチーフもいっつもお洒落。冬に古賀家に帰ってきて上着をハンガーにかける所でも古賀は何にも気にせずさっとかけて火に当たるのに泉は丁寧に上着とマフラーかけてずーっと襟直したりしてるのとかね!ほんとね!人間性出てて大好き!古賀の紋付袴かわいい!泉はずっと運転が下手!! シボレーに謝りな!
加藤常吉/川原一馬
エログロ小説家ではなく耽美小説家。処女の柔肌への執着が凄い。母への度を超えた愛に悩んだりした心優しき青年。加藤の美的感覚はちょっと理解出来ないなぁ〜蜘蛛ならまだわからんでもないけどなぁ。
4人の中で一番年が下なんですかね。小首を傾げて古賀に手を広げたり諸岡に優しく囁くようにダンスを教えたりするの柔らかくてかわいいよね。お腹下した古賀の事最初から心配してたり扇子で扇いであげたりしててほんとに優しい。優しさを具現化したら加藤になるんじゃないの?3人を一歩引いたところから見守っている感じがしてなんかもう旦那をたてる古き良き理想の妻みたい。川原さんおめめが大きくて落ちそう。 急に思いついたけど花に例えると桃の花とか梅の花みたいなイメージ(?)
諸岡一馬/加治将樹
豪放磊落、脳に口が付いてるんかなって思うくらい思った事を素直にストレートに口にする気持ちの良さ。でもそれが古賀には上手い事伝わらなかったりするんだよね。伝わってるけど古賀が素直に受け止められないだけかもしれないけどね。
自由で破天荒な天才だけどどこか必死になる事も執着を抱く事も出来なかった諸岡。
いつもなんか食べてる。春には戸棚にある麩を食べ夏には台所から胡瓜とカルピスを持って来て(すごい食べ合わせだな)秋には稲荷寿司や煮物を食べる。(夏のカゲロウの裏表紙にはカルピスの広告が出てるんだよね〜)
古賀が狂おしいくらい求めた諸岡の才能は諸岡にとっては取るに足らないものだっていうのがとても残酷だけどまぁそんなもんよな。諸岡が欲しかったのはそれではなかったのだから。
歌がめちゃうまい。きゅうり庭に投げたら駄目だよ。言動に一番共感できたのは彼だなぁ。 花に例えるとひまわりとかハイビスカスみたいなバーン!ってやつ(は?)
泉謙一郎/鈴木勝大
バイオリンと車の運転が下手。
ほんっっっっと古賀の事好きよね。三人が三人ともそれぞれに古賀の事を愛していたけどダントツで泉が古賀への愛がダダ漏れてたよね。(いちいち言わなくても分かると思うけど性的な愛ではないですこの愛は)大好きだからこそ古賀が辞めるって言った時あんなに激昂したしあんなに哀しそうだったんだろうなぁ。ぐずぐずうじうじしてる古賀の事をしょうがない奴だと思っているし面白いとも多分思っているんだろうけど、だからこそそこを抜けて欲しいとも思っているんだろうね。
冬に小説の構想を得たって古賀から聞いた時のうれしそうな顔よ。虹の亀裂もあんな事言ってたけど本当は好きなんでしょ?書籍化されてるかは知らないけど虹の亀裂が載ったカゲロウとか大事に取っておいてそうだよね。自室の本棚に並べてあって(書斎でも書庫でもなく自室の本棚)書いた本人よりきっと大切に思ってる。(という妄想)
後半から地団駄に拍車がかかって畳が浮くくらい地団駄踏んでて面白かった。富士子と幸せになってくれ。 君も本当に優しい人だ。いやもう薔薇でしょ。
古賀大介/安西慎太郎
安西慎太郎いた?(いたわ)
茶色ばっかり着てるな古賀。古賀にアンジェリコ様を感じた方そこそこいたようですが私は全然でした。フラ家の御子息はうじうじぐずぐずしてない。古賀は古賀でありアンジェリコ様はアンジェリコ様だ(君は僕であり?)(すえみつさんもアンジェリコ様感じたとか言ってたの解釈違いです)(お前がな)
古賀ほんと実際周りにいたらうわ〜めんどくせ〜ってなっちゃうな〜でもなんかみんながほっとけないのも分かるな〜。意外と私の周りには古賀みたいなうじうじぐずぐずしてる人いなくて新鮮だなぁなんて思って見てました。まぁでも秋の古賀は表に出さない自分自身を見せられているようでちょっとなんとも言えない感じでした。しんど。
春夏秋冬で古賀の表情が全く違うのほんと素晴らしいなぁ。ふとした時に顔に影がさすのがね。うまいなぁ。眉毛と目の表現が好きなんだよなぁ。体育座り似合うなぁ。
明るく晴れやかな未来と希望に満ちた慎太郎さんがとても好きなんですけど昏い病みがちな慎太郎さんも最高に好きです。どっちも似合うのずるい。
仏様のシーンはキレ気味だったり笑うの我慢できてなかったり本当にもう勘弁してほしいって懇願したり泣きそうだったりと様々な仏様を見れてとても楽しかったです。
慎太郎さんの声と語りが本当に好きなので落語とかやってみたりしてくれたりしないですかね。丁度セクシャルバイオレット平野さんがレジェンドとして君臨しているハンサム落語っていうのがあるんですけどどうですかね。あれメイクも衣装もキメまくってる若手俳優ばっかりだからどうせ内容は大した事ないんでしょって思われがちですがめちゃくちゃ力の差が出るので実は難しいと思いますよ。死神とか幾代餅とかやって欲しいですね。破壊神平野と組んで翻弄されて下さい。古賀と全然関係ないですね。
最近は夏の古賀に泣かされてばかりです。遂には春の後ろ姿で涙が流れる様になってしまって困っています。秋のおキヌに手を出したところもきっと君は事が成せずにそんな事をしようとしている自分の不甲斐なさと愚かさに涙して謝るのだろうね!そういうとこだぞ!!おキヌちゃんだってお前さんにきっと想いを寄せていたぞ!タイミング悪いな君は!それでこそ古賀って感じするけどな!うーん、白詰草とか?桔梗とか水仙とか。
絢爛とか爛漫とかを観て久しぶりに才能とか非凡であるとか凡庸であるとかそんな事を考える時間が増えた。
私自身は今の仕事を志した時から自分には特別な才がない事を自覚していた様に思う。
始めたばかりの頃は古賀の様に何かに追われる感覚やこのままでいいのかと危機感に駆られ訳もなく不安になったりもした。夢や理想に押し潰されそうになったりもした。そういえば胃に穴も開いたし夜も眠れなくなったな。はははは、うける(うけない)まぁ眠れなくてベロナールとアルコールを摂取して中毒になりかけた古賀と違ってひたすらにジャムを煮ていたんですけどね(こわ)
けれどいつの日からか焦燥感というものが姿を消してしまったように思う。
足元に湧く水に目を向けるようになったからかもしれない。
己の足元に微かに湧く水を見て悟った。
それは諦めでも拗ねている訳でもなく自分に配られたカードで勝負するしかないんだと。まぁやれる事とやりたい事自分なりに頑張るしかないしね。
あと嫉妬をあまりしなくなったのは素直に己の不出来を認め他者、というか身近な人の才能や人間性を認めて素晴らしいと思えるようになったからなんだろうな。私の周り凄い人(色んな意味で)ばっかりなんですよ。最高。大好きな人達ばかりです。
幸いにも執着という才能が私にもあったので今の今まで続けられているんですけどね。まぁ毎日全然駄目だなって思ってばかりですが。でも伸び代がまだあるという事で。ね。自分の底が見えてから大切にするものも目指すものも大きく変わったりして人間ここまで考えが変わるものなんだなぁなんて他人事のように思ったりします。ふしぎだね。まぁ私の話なんかどうでもいいんですよ。
大袈裟かもしれないですけど今このタイミングであの4人が演じるこの話に出会えた事って奇跡的な事だと思うんですよね。
ライブでも演劇でもそうなんですけど同じ公演ってひとつもないじゃないですか。ないんですよ!!行かない人達には全然理解されないですけど!
話自体は同じでもステージの上に立つ彼らの表現も客席を含めた空気感も本当に毎回違くて、人間なんだから良い日も悪い日もあるのが当たり前だしまぁ正直なんだこれ…みたいな事もあったりする中これだけ毎回集中力が切れる事なく胸を打つ芝居を見せてくれる作品中々無いと思うんですよ。
それは勿論話の構成がいいっていうのもあるしそもそも話自体が面白いというのが大きいとは思うんですけど一番は4人のこの作品にかける愛が大きいという事だと思うんですよね。
4人がそれぞれに愛をもって真摯にこの作品に、この登場人物に向き合っているのがひしひしと伝わってくる。生きてるんだもん。言葉のひとつひとつが。
まっすぐに、真摯に。時には間違えてしまう事もある。惨めな思いをしたり後悔したり。それでも思いを、言葉をまっすぐにまっすぐに相手に投げる。そんな4人の人生に、あの4人だから胸を打たれるのかもしれない。あの春夏秋冬は喜怒哀楽でもあるんでしょうね。
何が言いたいかっていうとめちゃくちゃ面白いから全人類見て欲しいし明日で終わっちゃうのやだし素晴らしく満ち足りたこの時間を永遠に手元に残し全人類に勧めていきたいから円盤を出してくださいっていう事です。お願いします。(裕美さんがはっきりと映像に残らないと仰ってましたね…)
だいたいアフタートークも全部いいってなんなの??私が今まで見てきたアフタートークなんだったの?(こら)なんか狙ってアフト回入ったわけじゃなくて気づいたらほとんど入る日アフト回だったんですけど、わかる〜〜!って心の中で首がもげるくらい頷いたり膝打ち過ぎて膝割れるくらい共感できる事が多過ぎるしハッとする事ばかりなんですけど。今まで出てない奴のアフタートークってなんなん?とか思っててすみませんでした。あと絢爛のアフトがどれも良すぎて同時期にあった某作某アフトの文句言ってすみませんでした。あれはあれで面白かったです。貴方はもう座る位置ちゃんと交渉してください。
暇さえあれば反芻していてあそこが良かったとかここが最高だったとかなんか沢山ありすぎて書こうと思った事どんどん忘れてしまうんですけど。あのビールノンアルコールビールなのかな?ちゃんと泡出てたよね??加藤一回だけお麩食べてたよね? 鼻垂れすぎて鼻ちょうちんできてたとか泉がいつもよりアクロバティックに滑ってて古賀笑っちゃうとか加藤に迫られて椅子を抱えながら泉の方がいいぞと友人を売る古賀とか稲荷寿司一口で食べちゃう諸岡とか2人の靴を並べ直す加藤とか春の徐々に暮れていく日の光とか…明日であの4人が居なくなってしまうの信じられないな。永遠にあそこでうだうだぐだぐだあーでもないこーでもないって言いながら集まったりしてるんじゃないかな。泉とか結婚してもなんだかんだ理由つけてしょっちゅう来てそうだな。出ないって言ったじゃん!とか絶対言わないんで今からでも映像残しませんか?
あの4人の姿は在りし日の自分でもあり今の自分でもありこれから迎える自分でもあるのかもしれない。
彼らの言葉にハッとさせられたり己の内側に向き合う事になったり心に寄り添ってくれたり、本当に満ち足りた4週間だった。
そこにある絢爛は華美に装飾された豪華なものではなく彼らがそこでもがき苦しみ答えを探し生きる美しさだった。大きな事件や派手な出来事はないけれど彼らの日々は尊いものであった。
彼らのこれからが爛漫たる日の光に照らされ時に立ち止まりながらも自分の信じた道を歩んでいけますように。
始まった頃は嘘みたいに暑かったのにすっかり秋の風が吹いていてああ、4人と出会ってからこんなに時間が過ぎたのだなぁと嬉しさと寂しさが混じった気持ちで駅まで歩く。
明日の千穐楽まで怪我なく楽しくいつものように4人が笑いあえますように。
古賀に、泉に、加藤に、諸岡に出会えたこの晩夏はいつまでも大切にしていきます。
氷水を飲みながらラムネと西瓜とアイスを買って帰ろう(フラグ)
みんなは明日会場で当日券を買うんだよ!
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