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新型コロナウイルスの水際対策体験紀〜羽田・米国からの帰国便〜

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つい先ほど(2020年9月25日19時すぎ)、来月(2020年10月)から、「新型コロナウイルスの水際対策」を緩和するという政府方針が発表になり、全世界から再び人が流入してくることが明らかになりました。

これにより、その「水際対策」がどのようなものだったかを知らない人は知らないまま、過去のものになっていくのだろうと思われるので、私が実際に2020年6月に米国から帰国した時の実体験を、一つの記録として紹介したいと思います。

予約便が航路ごとなくなる

渡航制限中も邦人の帰国は可能ですが、平常時のようには行きません。なにより、帰国困難な状況になりました。飛行機は乗客が圧倒的に減るため、ほぼ全ての航路で減便・欠航が相次ぎました。

私が滞在していたサンディエゴからの帰国便(JAL)が、5月以降全便欠航となり、陸路でロサンゼルスまで行くことで、なんとか帰国できましたが、もっと遠い場所に滞在していたなら、出国自体が大変困難になったことでしょう。(出国困難になった話は、こちら(↓)併せてどうぞ。)

空港はガラガラ、最低限の店舗のみ営業

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ロサンゼルス空港は、普段は多くの利用者でごった返す巨大な国際空港ですが、多くの便が欠航しているため、閑散としていました。万一を考えて時間に余裕を持って到着したものの、チェックインもほとんど並ばずで、時間を潰すのに工夫がいるほどでした。

ブランドショップや免税店などはシャッターが閉まり、開いていたのは、カウンター式のコーヒーショップと有名フライドチキンの店くらい。見て回るものがないため、乗客はベンチで静かに搭乗時間を待っていました。

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航空機の中は、緊張感がいっぱい

搭乗すると、シートは1席ごとに空席が設けられ、人と人の距離が保たれていました。しかしトイレを利用する時などに狭い通路を通る時、どうしても他人に接近したり、誰かが触れた場所に接触するため、都度消毒したり、緊張感がありました。使い捨てのビニール手袋がちょっとしたお守りになりました。

途中、客室乗務員から税関申告書類の他、空港で受ける検査に使う書類を渡されました。

全員、PCR検査を受ける

羽田空港に到着すると、同じ便に搭乗した人以外と接触しないための措置なのか、少し離れた待合室まで誘導されました。そこでは乗客同士の距離が十分に保たれた状態で、申告書の記載方法や検査後の14日間の待機期間毎日受けるヒアリング(体温や体調に関するもの)、この後に控えるPCR検査についての説明を受けました。受け取った書類の一部はこんな感じでした。

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説明が終わったら、順次PCR検査へ。検査会場は、通路の一部をブース状にパーテーションで仕切ってあるもので、ブースは2箇所ありました。検査員に呼ばれて入ると、インフルエンザの検査と同様の、長い綿棒を鼻の奥に差し込むタイプの検査が行われました。

検査が終わり廊下を進むと、(当時はまだ試験中だった)唾液による検査のための検体(唾液)をとって任意で提供するブースがありました。(こちらは検体収集のために行われていたため、検査結果を知らされることはありませんでした。)

鼻綿棒が苦手な人にとっては、ずっとマシに思えるかもしれませんが、個人的にはこちらの方が辛かったです。長時間フライトの上、(本来は良くないことですが)トイレに立つ回数をなるべく抑えるため、機上での水分摂取を控えてきたことがたたり、唾液が全然出ず。。。推奨量の半分も出せず、検査員に「もう少し、頑張ってください!」と言われましたが、悲しいほどにカラッカラで、、、。でも平常時で普通に水分取れている時なら、きっと大丈夫だと思います。

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検査が終わると、再び待合室に誘導されました。待合室では、検査結果を空港で待つか、自宅に帰宅して待つかを申告することになります。(原則、空港内のスペース又は検疫所が指定した施設等で、待機すること、となっています。)

自宅に帰ることができるのは、公共交通機関を利用しないで帰宅できる場合のみ。つまり、電車やバス、タクシー、国内線、船などを使わず、自家用車やレンタカー、コロナ対策で認可を受けた交通機関を利用する場合だけ(あるいは、徒歩や自転車??)です。ここが、結構なハードルです。

検査結果を待たずにその待合室から出るには「公共交通機関を使わずに帰る」ことを証明しなければなりません。私は、羽田からそこまで遠くなかったので、厚生労働省が紹介している「新型コロナウイルス感染症対策の基準を満たすハイヤー(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00020.html)」を事前予約しました。

予約状況と待ち合わせ時間とを係員に示しすと、ペライチの紙切れ(写真↓)を渡されました。そこから空港を出るまでは、入国審査ゲートや税関など、要所要所でその紙を提示しなければ通れないという、パスポートのような役割を担っていました。

ぶろ

私は、予約したハイヤーの運転手さんが早めに空港で待機してくださったので、想像していたよりも相当スムーズに部屋を出ることができましたが、空港で検査結果を待つ方も一定数いらっしゃいました。いろいろ制約のある長旅の後、そのまま何時間かかるか分からない結果待機は、肉体的にも精神的にも大変そうでした。

14日間の自主隔離生活を乗り越えて

コロナ対策ハイヤーは、大型のバンにたったひとり、運転手さんはフォーマルなスーツにネクタイでお迎えくださり、実に贅沢。運転席との間にはビニールのしきりがあり、ペットボトルの飲み物の提供や運賃支払いは、蓋付きの小窓からで、マスクに手袋と対策は徹底されていました。

帰宅してホッとするも、ここから14日間自宅で缶詰となります。

PCR検査の結果が陽性だった場合は、翌日には通知の電話がきますが、陰性だった場合は電話はなく、4〜5日後にメールでお知らせとのこと。翌日は、旅の後始末をしながら、電話は常に手元に置いておきましたが鳴らずに夜になり、たぶん陰性だったんだろうな、と思いながらも、陰性を伝えるメールを受診するまでは、なんとなく落ち着かない日々を過ごしました。

自粛中は、生命に関わること(食糧、薬などの調達)以外の外出は原則できないため、食事は非常食として買い置いた缶詰やレトルト食品が中心。3日もすると、お刺身やサラダなど生ものが猛烈に食べたくてたまりませんでした。

ネットばかりみてても(美味しそうな写真が目に入り)お腹が空くばかりなので、ベランダの植物の世話や、普段できない大掃除などをしていたら、意外と2週間は思ったよりもあっという間にすぎました。

水際対策緩和が決まった今、思うこと

新型コロナで世界一の大打撃を被ったアメリカから帰国した直後は、日本人の良くも悪くも楽観的な生活様式を信じられない思いでみていました。それで14日の自粛期間を越えても、自主的に緩やかな自粛を続けていましたが、そんな私も、数ヶ月たった今は、次第に外食したり、徐々に元の生活に近づいていっています。

しかし、新型コロナについては、まだ未知の部分があり、この先何が起こるかわかりません。数年後に振り返った時、どんなことを学んでいるのだろうか・・・そんなことをぼんやり考えつつ、今はまず、シンプルに「今」の記録を残すこととします。

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