見出し画像

未来に残したい風景に寄せて

生まれも育ちもほぼ東京。父の会社の社宅で育った私は本当に少しの風景しか思い出せない。

場所は渋谷区広尾。
いまでこそ高級住宅街としてその名を轟かせているが、私が見てきた広尾は、森などの緑に恵まれたまだまだ未開の地だった。

生まれ落ちた病院は日赤医療センター。病院の裏手には広い空き地があり、幼い私にはジャングルといえるほどの探検しがいがあった。夏休みになるとそこでオニヤンマを追いかけ、突然現れる殿様バッタにびっくりさせられていた。

虫にロマンを感じ、緑に憩いを感じていたのはつかの間。日赤医療センターは病棟の拡張工事に入り、わたしの「ジャングル」は近代的な建物に成り代わった。

わたしの住んでいた社宅ももうない。Googleマップでみると、なんとなくその土地が浮かび上がり、社宅の庭を走り回っていた自分も思い出す。両親がいて妹と幸せに暮らしていた当時の生活が懐かしい。

未来に残したい風景は自分が幸せに暮らしていた記憶と重なることに気づく。煩わしい人間関係や金銭、病気とは縁遠かったあの頃。昔とは違う景色のなかに自分はいるが、思い描き残したかったことは文章にしてこれからの人に残したいと思い立った。

これからまだ長いであろう人生。過去にみたほんの僅かな東京の風景をもとに、文章という絵の具を使って彩りを添えながら伝えていきたい。わたしの未来に残したい風景は、まだこの世に出ていない。純粋な心のまま綴っていこうと思えた2021年12月28日。

#未来に残したい風景


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?