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聖霊に委ねたら、夫も私も愛だった。

今私は奇跡のコース、というものを学んでいます。

コースの学びの初心者ではありますが、その教えに相当癒され救われています。

私は夫との関係に、今思えば結婚した当初から、情緒的に繋がりにくい、と戸惑ってきました。

いやもっと言えば結婚前から、

共感されたい!という欲求を沈めたまま私が夫と結婚したゆえ、その癒されていない部分が、夫と居ればこそ疼いていたのだと感じます。


なんでお母さんは私に愚痴を聞かせるばかりなの?
なんでお父さんは全く人の話しが聞けないの?


そんな怒りや哀しみを奥底に抱えたまま、無意識に人の世話をする他人軸で生きてきた私が、バリバリ自分軸の夫に惹かれて一緒になったならば、夫も父親と同じように人の話しを聞く、共感することが難しい人だったのは、今から思えばさもありなん、という気がしてきます。


私はなぜ夫と一緒になったかと言うと、夫は両親とは違い、わかりやすく愛の表現をしてくれる人でした。私をよく褒めてくれる人でした。


何をしたって、頑張ったって、一向に褒めてもらえない、と小さな頃から絶望してきた私は、あなたは賢いね、あなたはきれいだね、あなたはスタイルが良いね、あなたは素敵だね。


まるでロマンス詐欺師に言われたら、すぐ騙されてしまいそうな言葉ばかりですが(笑)、純粋に言ってくれる夫の姿をみて、癒されていたのだと感じます。

が、次第に夫に対して

人の気持ちが分からない??
人の立場に立って物を見るのがすごく難しい??私を都合よく自分の盾にして自分を守っている??


私が夫に不信感を抱く機会が、増えていきました。

共感、情緒的な繋がりをとても大切に感じている、他人軸傾向の女性(妻)と、発達障害傾向のある男性(夫)、逆に言うと自分軸がバリバリ強いので仕事の成果は上げやすい、というような価値観が真逆にみえるパートナーシップの間で、妻が独りで疲弊していく現象を、カサンドラ症候群、というそうです。


その言葉を知ったとき、  

「あー、かつて、母が近いところにいるけれど、母は鈍感で父より気づかないところもあるから、母の代わりに私がカサンドラみたいになっているな。」なんて浅い分析をした日々を思い出しました。

でも先日、私が今参加しているコースの外部講師の男性に夫との話しをしたならば、めちゃくちゃ私は癒されました。


だって、聖霊の邪魔をしてしまう罪悪感を取り除ういてもらうよう、精霊に助け委ねて癒してもらっていけば大丈夫なんだ!って本当に思えるような力のある言葉ばかりだったから。

みんな大丈夫、必ずリカバリーできる。
そこに奇跡をみていくことができる

もう本当にその方から包まれるような愛を感じられたのです。

奇跡のコースを学び続けて20年の経歴だそうですが、

すべてを愛しているし、すべてに愛されている。

そんなことを体現するのは、本当に本当に言葉でいうのは簡単で、体現するのは難しいことだけど、私たちがみんな癒されていき、愛を体現していける人になれたら最高じゃないか!!と思いました。

そんな気持ちで昨日落ち着いて、夫ときちんと話しをしたかったため、わざわざ外でお茶をして、集中しやすい環境をつくり今の私の気持ちを夫に伝えました。

理解する、とか共感する、は難しくても、私の意向を一生懸命に汲み取ろうとしてくれ、どうすればいいのか、と聞いてきてくれました。

聖霊にしっかり委ねながら話せば、私は夫を責めることなく穏やかに話せるので、夫も穏やかに受け止めてくれました。

本当は私たちはみんな愛なんだ、と感じました。

人から傷つけられたり、攻撃されたりすると、やり返したい!!などたくさんの癒されていないものが吹き出して、自我に乗っ取られた状態になり、愛から、神からは離れた状態になります。

いいことはありません。

聖霊に委ねる。

私たちはみんな神の子であることを心に刻み、愛から対話をしたならば、いろんな話しができました。


夫がいかに仕事に集中し、いつも仕事のことで頭がいっぱいかわかりました。


そういう話しも今までの私は心配のエネルギーを出して聞いていましたが、昨日は愛のエネルギーから聖霊に委ねて聞いてました。


夫が癒されますように。


みんなが癒されますように。


私が癒されますように。


自分が癒されることも夫が癒されることもみんなが癒されることも一緒だなあ、と。

行きつ戻りつしながらも、癒されて、矛盾を抱えられている人になりたいと思います。

お読みいただきありがとうございます。

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