見出し画像

自分の内側から出したものは巡り巡って自分にかえってくる。


昔から

因果応報、

天に向かって唾を吐く、


などの言葉があります。


最近、本当にそうだなあ、とあちらこちらで感じる日々でした。


例えば、会社や家庭で、


立場的に上(父親、社長、上司など)などに対して従順な人がいて、一見その組織は何も問題が起きずに日々流れているように見えます。


が、本当はNOと思いながらYESと言っていたり、立場が上の人に不満を持ちながら、そこでは意見がないかのように振る舞っていると、鬱憤が溜まってきます。


いつも自分に不一致なことをさせていると心に負荷がかかっています。


これを私がダメだからだ、とただ自分のせいにして処理しようとすると、内攻化と言って自分を攻めるので、自分が壊れていきます。


かつての私はこれをやっていました。


それとは逆に外攻化と言って、外に出して発散しようとするやり方もあります。


いろいろなやり方がありますが、最近私が感じたのは他者を攻撃して解消しようとする方も意外といるんだな、ということでした。


例えば自分より立場が下の人に対してのみ、やたらと攻撃的だったり、理不尽な思いをさせ、その人を苦しませることで、自分が優っているかのような気持ちを味わい、心の負荷が軽くなったと錯覚している状態があります。



長ければ、何年も何十年もそれで取り繕えているようにみえて、その行為は周囲を巡り巡って結局は上の立場の人の耳に必ずどこかで届きます。


上の人は、「私の前ではそんな態度は微塵もないのに」とはじめは疑ったり時間がかかっても、そう言えば違和感を感じることはあった、私が過信していた、となります。


下の立場の人からでなく、上の立場の人から、制裁を受け、結果その人が1番窮地に追い込まれる、こんな流れが結構あるな、と感じます。


自分の内側が不一致なことになっていないか、
その不一致を一致させて心に余分な負荷をかけずに過ごすのにはどうすればいいか。


この作業をするとき、他者を必要としません。


もちろん必要があれば、誰かに助けを求めたり相談をしたりすることも、大切なプロセスです。


が、結局は自分はどうしたいのか?

に行き着きます。


自分が自分に問いかけ、自分で応えを見出す作業です。


自分の応えを見出す手間を省き、ただモヤモヤを弱者に当ててしまう、攻撃、八つ当たり、理不尽な行為は、その弱者の立場の人を傷つけるだけでなく、いずれ、自分が大きく傷つく要因になります。


自分の力を過信し、内観をせずに他者を使って解消しようとしたり、他者のせいにしたりしていると、いずれは自分に大きな被害が出る、そこを見通せていない人も意外といるのかもしれない、そんなことを最近感じました。



自分の内側にあるものはいずれ明るみに出てしまう。



であればいかに自分の内側を整理し整えていくのか、これに尽きるのだと思います。



私自身が、そのような点検する手間と時間をしっかり取っていこう、との思いからも書きました。


お読みいただきありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?