私らしくいると疲れにくいし楽しめる〜その人らしくいることはギフトになる〜
昨夜、久しぶりに夫の好きな歌手のライブに行き、ライブとお食事を楽しみました。
歌手の生の歌声から、本来みなが持っている生命のエネルギーを彼女が存分に使えている喜び、生命の躍動、魂からの表現だと感じて、胸が熱くなるものがありました。
歌手が、難しい歌を素晴らしい声量で歌い終わるたび、
嬉しい!!
と客席に投げキスなどをするのを観ているとき、
彼女のインナーチャイルドも、それを観て微笑む私たちのインナーチャイルドも繋がっていて、お互いに癒されているだろうと感じました。
聞きながら、美味しいお食事も堪能しました。
夫が帰りに、あなた楽しそうね、と私を見て言ったとき、あっ、私ずいぶん変わったな、と思いました。
3年前そのような場所に夫と度々行くたびに、私は緊張していて、お食事をリラックスして楽しむ、もあまりできていませんでした。
その歌手は夫と繋がりのある方なので、はじめまして、と、夫の知り合いにそこかしこでご挨拶するたび、私は緊張していました。
場慣れしていないだけでなく、人からのジャッジを恐れていたのだ、と思います。
人からどう思われるか?
どう振る舞うのが正解なのか?
自分主体でなく他人主体で動き、私はOKと思えていないとき、どこに正解があるか分からず、疲弊するし、楽しむことができません。
それだけでなく、人からのジャッジを恐れているときほど、無意識に自分が他人をジャッジしていたりします。
私が私にOKを出せるようになるほど、自分と違う価値観、あり方の方にOKも出せるようになる、と感じます。
自分の制限を外すほど、自分が出会えたり、繋がれたりする人の範囲も広がっていく、とも感じます。
かつての私は、〇〇でなければいけない、がたくさんあったので、無意識に自分の中に受け入れる人も同じように制限していた、と思います。
たとえば、女性がやたらに肌を露出するものではない、という制限が私の中にあるとき、そういう女性を見ると心の中でジャッジしていました。
が、今は、背中が大胆に見えるカットのドレスを着ている女性を見たとき、
あら、綺麗ね〜
ドレスのカットが素敵!!
とただ、美しいと賞賛します。
そのような自分の変化を思うにつけ、私がネガティブな自分も深く受け入れ、自分を赦すほどに制限から解放され、入ってくるものが豊かになる、と感じています。
法律的に道徳的に絶対してはいけないこと、などを抜いて、その方がその方らしく自己表現し、人生を楽しげに軽やかに過ごしていることは、周りにも無条件で良いギフトを与えている、と感じます。
外側を気にするのでなく、内側の自分を満たしていくことにフォーカスし、誰もが生命のエネルギーを臆せず外に出していくことができますように、との願いを込めて今日の記事を書きました。
お読みいただきありがとうございます。
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