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さぁ、色付けを始めよう

 好きな作家の新刊を買おうと本屋に入ると、オードリー若林の紀行文が平積みにされていた。TVで顔は知っていたが、僕の頭の中では「トゥースの相方」、「人見知り」のイメージしかない。
 そういえば、バイト先の娘が「好きでラジオも聴いている」と言っていた。最近、そんなことも話す機会がなく、このまま疎遠になるかもしれない。まぁでも、周りに自分の気持ちがバレるよりは恥ずかしくなくていいのかもな、と苦々しく諦めかけている。しかし、ラジオも聴くってどんだけだよ、と突然、胸に湧いて出た少しの嫉妬と好奇心に駆られて、頁を繰ってみる。
 4年前、彼はキューバに赴いた。「ぼくは今から5日間だけ灰色の街と無関係になる」と帯にもあるが、これは日本が灰色の街だという意味になるだろう。彼は日本でそこそこ売れている筈。一体どういうことなのか。今後わかるのか。
 読み進めていくと、キューバの現在のこと、昔のこと、これからのことが書かれていて、この国に明るくない僕には新鮮に読み進めることができた。
 サービスとpayを交換している日本とは違い、交流を楽しみながら案内してくれる現地の人たちと、観光とは一味違う本当のキューバを全力で楽しむ。その様子は今や難しくなった自身の旅心を大いにくすぐられた。
 しかし、突如として景色が一変する。彼は一人でキューバに来ていたわけではなかった。彼の大切な人がずっと隣にいたのだ。あぁ、ずっと僕は騙されていた。これはただの紀行文ではない。紀行文に見せかけた何か、だ。
 大切な人とは彼の亡くなられた父親だ。キューバはお父さんの来たかった国だそうだ。彼は日本で泣くことができなかった。悲しいと言えなかった。意識的にしても無意識にしても、周りを気にしてのことだろう。彼曰く日本は「世間」を信仰している。世間からの目を気にしている。これが帯に書いてあった灰色の内訳の1つだろう。
 彼のヒーロー、1番の味方であるお父さんとの思い出が蘇る。彼がお笑い芸人だということはもう忘れていた。日本ではできなかった自らの解放がキューバではできた。「ここまで来ればいいだろ?」という台詞が滲んで読めなかった。
 僕は彼と自分を重ねながら、2人から目が離せなかった。僕も「世間」を意識することによって自分のすることが縛られたくはない。だが、きっと既に縛られている。そして不自由を感じている。しかし、縛るのは他でもない、自分自身だ。彼を見ていたらそう思えた。
 彼はキューバののちにモンゴル、アイスランドへ行ったことや、コロナ後の日本についても書いている。そこで更に彼自身の成長と言うのはおこがましいが、良い方向へのゆっくりとした変化を感じられる。
 大事なことは、日本が嫌になったのでは決してない、という点だ。あくまで、彼は灰色の街に色をつけにキューバに行ったのだ。(これはのちに感じることではあるが)場所に関係なく、自分は自分が没頭できる楽しいことや血の通った関係を作ることができた、または元々存在していたことに気づいたのだ。要するに、自信がついたと言えるだろう。
 僕は途中からこの本を買って家で読んでいた。あまりにもこの人と自分が酷似していたから、読まずにはいられなかったのだ。20年上であろうこの人が僕と同じようなことを考えて、そしてもうある程度の解決を見ている。そこに至る葛藤に自分を見た。もしかしたら、この本に書いてあることは、この先人生のヒントになるのではないか。最後のマツナガという人の解説には少し泣いてしまった。きっとマツナガさんはこの人に物凄く救われたのだろう。
 翌日、僕はこの本を持ってバイトに出かけることにした。今週末のラジオも聴いてみようか。血の通った関係になりたい人がいるからだ。機会は自分でつくることができるんだな、と玄関から一歩外に出た。
#読書の秋2020
#表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

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