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”概ね良し”のキャリアを変えた決断、 なぜ南相馬にJターンしたのか


自己紹介

皆さん、はじめまして。MYSH合同会社、古川裕大と申します。
福島市出身の社会人4年目、25歳。
2024年の1月に南相馬にやってきました。

それまで大学・社会人と東京で生活をしてきた私ですが、
地元志向が強かったので「福島に帰る」と周囲に言っても、それほど驚きはされませんでした。
ただ、福島のなかでも南相馬に行く、というと「え、出身の福島市ではないの?なんで?」と聞かれることが多かったので、地元からほど近い南相馬へ
Jターンすることになった経緯についてお話したいと思います。

学生時代

何から書くべきか迷いましたが、大学時代の経験から書こうと思います。

福島から上京した私は、大学入学初日に勧誘を受けた”中央大学辞達学会”という弁論部に入部することになります。

弁論とは、定義が難しいのですが、社会問題を取り上げ、解決する政策を演説にて訴えるもので、スピーチとディベートのかけ合わせのような競技をイメージしてもらえると実態と近いかもしれません。

大学のいちサークルではありますが、約120年の歴史があり、政界、法曹界をはじめ、各界で活躍する人材を輩出している伝統ある団体で、(詳しくは、Wikiにあるのでご覧ください!)
上京したばかりの田舎者の私は「ここにいたら自分も大きく成長できるんじゃないか!」と胸の高鳴りを感じたのを今でもよく覚えています。

弁論なんてよく知りもしないのに
本当に浅はかな考えだったと思います、、笑

ただ実際、当時の自分の勘は当たっており、入部前からは想像もつかないほど色々な経験を積ませてもらった場所でした。

弁論では、社会問題について調べ、なぜこの問題を弁論として取り上げる必要性があるのか、どのように解決するべきなのか、をひたすら考えます。
それまで、地方でのほほーんと学校生活を送っていただけの私からすれば、使ってこなかった脳の一部を機能させている感覚です。
世の中のことを知り、思考するというきっかけになり、特に地方の課題に関心を持つようになる原体験となった場所でした。

(本当はこれだけで、1本のNOTEを書きたいぐらいですが、今回はこのぐらいで…(笑))

ー学生時代の仲間たちとー

”概ね良し”の1社目

新卒では、東京でWEBマーケティング業界に飛び込みます。

当時の就活の軸としても「地方」は自分の中の軸の1つとしてあり、色々な業界を比較した結果、WEB×マーケティングが地域を活性化させるのにどうやら役立てそうとわかり、かつ自分の感性としてそれが面白いと感じられたのが業界を選んだきっかけだったと思います。

新入社員の私は、「バリバリ活躍してやるぞ!」と鼻息の荒い人材でした。
意気込んではいましたが、残念ながらそううまくいくことばかりではなく(笑)

周囲と比較して、とりわけ仕事ができる方でもありませんでしたし、1年目、同期がほとんど昇格していく中で、自分は取り残され、悔しい思いをしたのを今でも覚えています。

「あれ、俺って思ってる程、仕事できないなー」と理想とギャップに
悩む日もありました。
今思えば、スキルもない新卒なので当たり前なのですが、、、

それでも、自分をよく見てくれる上司と出会い、切磋琢磨できる同期にも
恵まれ、モチベーション高く働けていました。

すると不思議なもので、結果は後からついてきました。

2年目以降、ポツポツと成果と呼べるようなものが出始め、
全社員の前で年間の表彰をして頂けたり、周りも行きたがるような希望の部署に配属されたりと、振り返ると大変だったことももちろんありますが、”概ね良し”と言えるようなキャリアだったのかなと思います。

がむしゃらに突っ走ってきて、少し視野も広がってきた3年目以降でしょうか、これまでにはなかったようなことを感じ、考えるようになってきました。

これまでは、自分ができなかったことができるようになる、少しずつ成長している実感が仕事の原動力でしたが、ふと自分はどこを目指しているのか、何をできるようになりたいのか考えるようになりました。

周囲とのギャップも感じ始めたのはこの頃です。ある人は「この職位を目指す」、ある人は「独立をする」「年収をいくら稼ぐ」と言っている中、「あぁ、やばいなぁ…自分はその目標には本気でコミットできないわ。どうしようかな、、」なんて悩みもありました。

何となくもやもやとしていましたが、自分と向き合っていくなかで、1つの答えのようなものは、ぼやっとですがでてきました。

「福島が好きなのでいつか帰ろう。今のWEBマーケティングの仕事でスキルを磨いて、もともと関心があった地方の課題を解決するような仕事ができればいい。そんな人材になりたい」

ほとんど新卒就活の時と変わらない粗い考えです。
細かくは計画していませんでしたが、何となく30ぐらいまでに実現できたら良いなと。
それまでは、東京で、今の会社で、大きな不満もないし頑張ろうと思っていました。

南相馬との出会いとこれからやりたいこと

この考えには、自分でも気づいていなかった前提がありました。
「地方には、今、自分がやりたいと思えるようなおもしろい仕事ってないよね」という前提です。
だから、いつか時が来たら、チャンスがきたら地元へ帰ろうと、そう思ってました。

今振り返ると、特に根拠のない考えだなと思うのですが、
・地方の代表的な仕事って、行政や金融機関かな
・自分はそのどちらの出身でもないので、今から地方転職は厳しそう
・すると、自分が持っているスキルを活かせる環境はあまりないな
・新しく事業を作るなど、チャレンジに興味はあるがそれは東京で行われるものだよな。

そんなことを固定観念で思っていました。

そんな時に、情報収集をしていて出会ったのが、MYSHであり、南相馬というフィールドです。
まさか自分が知っている福島の中で、「まちの課題から事業を立ち上げる」そんなことを本気でやっているところがあるなんて、思いもしませんでした。
正確には、あるんだろうけど何となく自分にはハードルが高いというか、特別な才能を持った起業家みたいな人がやるもので、自分からその情報にアクセスしようとしてこなかったというか…

しかし、どうやら自分と同じような20代のメンバーで活動しているらしい。。それだけ、地方には課題が多い。裏を返すと新しくチャレンジに取り組む余白が多いのだなと、後になって理解しました。

もしかしたら、自分ができることもあるかも…?
そんなわくわくを感じてからの行動は早かったです。

「自分も地方で面白い仕事を作って行く。」

初めて言語化しますが、これが自分が南相馬に来た理由なのかな、と。

ー開発中の6次商品ー

MYSH合同会社が運営する移住相談窓口 よりみちにて、これまでの経験を活かしたマーケティングやプロモーションを担当しています。
その傍ら(隙間時間で)、地域の企業の課題を解決する“コンサルティング事業”やまちの魅力を作る”6次商品の開発、事業化”など、南相馬で新しく始まったプロジェクトに携わっています。

最終的には、自分の仕事を通して、地方に面白い仕事(自分がやりたい仕事)なんてないでしょ、と思っていた過去の自分のような人の価値観を変えることができたらうれしいな、なんて思います。

いつ頃実現できるだろうか、、未来を想像してわくわくする。
そんなフィールドが南相馬には広がっています。

以上、ここまでお読み頂いた方、ありがとうございました。

ー南相馬メンバーの集合写真(2024.4)ー

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