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雪だるま戦争

とある山で、雪まつりが開催された。

雪まつりと言っても、イベントとして市や団体が運営するものではない。詳しい背景はわからないが、たぶん一人の登山者が初めて、徐々に別の登山者や有志によって広まったお遊び的なものだろう。そして、規模は極めて小さい。その山の山頂には、ライブカメラが設置されており、画角の範囲が会場といった具合だ。

雪だるまが、一体、二体と増えていき、人気キャラクターを模したであろう雪像が出現するようになっていた。ライブカメラを閲覧する人たちは、その様子を楽しんでいるようだった。

しかし、ある夕暮れの時間帯。数名の男性グループが現れた。その中の二人が、雪だるまに殴る蹴るの暴行を加え始め、次々に破壊していった。そして、雪まつり会場は、ただの雪塊が転がる無惨な雪原に変わっていた。

当然、この様子もライブ配信された。それを見た者は、「せっかく作ったのに...」、「悲しい」など、悲痛なコメントが並んでだ。一方で、「絶対に許せない」など、男性二人に怒りをぶつける人もいる。更には、ライブ配信の映像を拡大し、二人を特定しようとする過激な人まで現れるようになった。

何だろう、こういう出来事、昔あったなと思い出した。

子供の頃、学校の通学路に梨畑があった。梨農家の人が善意で、傷はあるが食べられる梨を「ご自由にお取り下さい」と張り紙をして、ダンボールに詰め、路上に面する場所で配っていた。
子供達は学校の帰りに、そこから1つ2つ梨を持ち帰っていた。ところが、誰かがダンボールごと梨を持ち帰ってしまうという出来事があった。
そこから、誰が取ったのかと犯人探しが始まり、ある子供が取ったと判明した。
この事は、学校側にも知られることになり、梨を取った子供は先生から「ダメじゃない全部取っちゃ」と注意を受けた。でも、その子の言い分は「だって、ご自由にって書いてあったから」だった。
この出来事は、保護者も交え大きくなり、結果的には学校から梨農家に対し、「通学路で梨を配るのはやめてください」と連絡がいく結末となった。

子供頃の自分は「アイツのせいで梨がもらえなくなった」と怒った。ただ、今考えてみると、果たして誰が悪かったのだろうか。欲張って梨を取った子は、本当に悪いのだろうか。もしかすると、こうなることを想定できなかった梨農家なのかも。または介入してきた先生また学校という組織なのか。あるいは、保護者なのか。
そもそも、悪者はいたのだろうか。

さて、話を戻すと公共の場で、雪だるまを作るのは自由だ。何なら、壊すのも自由だ。そこにルールやマナーは存在しない。善悪のないイノセントな世界である。
誰かが良かれと思って始めたことが、誰かの喜びと悲しみと怒りを生む。そして、当事者でない人が集まりグジャグジャになっていく。

世界を巻き込むような大きな戦争も、雪のように真っ白なところから生まれているのかも。そんな縮図のようなものを考えさせらる出来事だった。

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