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山と屁こく

井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさうであつた。

太宰治「富嶽百景」

太宰治の「富嶽百景」の有名な一文である。執筆のため、山梨県の天下茶屋に滞在し、三ツ峠山に登りに行ったときのシーンである。
この小説は国語の教科書に採用され、「放屁」という新規に覚える下品なワードの登場を、記憶している人は多いかもしれない。

そう、下山中は屁が出る。

山頂で食事を取ったら、下山中は屁が止まらない。

おにぎりも菓子パンもカップラーメンもカレーライスも可愛いあの子がメスティンで作ったパスタも、全てが屁に変わる。

後続に人がいないことを確認したら、ブッブッと放屁。「ちょっと前を歩いてくれない」と先頭を譲って、ブッブッと放屁。「山にゴミを捨てないで」そう書かれた看板を心苦しく思いながら、ブッブッと放屁。

一説には、登山ドキュメンタリーやバラエティで、下山シーンが放送されないのは、屁の音を集音してしまうからという理由が少なからずあるとか。

食事直後の運動で胃が驚いているのか、標高が下がることによる気圧の変化なのか、科学的なことはわからないが、とにかく屁が出る。

ソロで登る人も、パーティで登る人も、山岳レースに出るランナーも、登山Youtuberも、鉄人のような山岳家も、好きな人も嫌いな人も、下山中はブッブッと放屁しているんだと。

そう考えると、登山がより愉快なものに思えてくるではないか。

ちなみに井伏氏は、放屁の件を事実無根と否定したらしい。太宰が話を盛ったのか。それとも、後世に名を残すであろう太宰の書き物で、屁をこくオジさんのイメージが付き纏ってしまうことを恐れたのか。

なんとなく、後者な気がしてならない。

苦労の末、展望まるで無しは、登山者であれば誰しもが経験あることだろう。
そんながっかり感、倦怠感や脱力感がとても伝わる名文だ。

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