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#22 豊かさの種類
外に出て、ちゃんと街に溶け込めるのって、すごく豊かなことなのではと最近思う。
今日私がどこに行って、誰と会うのか、誰も興味を示さないこと。
一見悲しく寂しい感じもするけど、でもきっとそうでもない。
自分のしている活動が評価されて、認知度が高まって、自分を見かけるだけで喜んでくれる人がいるのは、それはそれで豊かなことなんだろうけど、私はそれはそんなになくてもいいかもと思うことがある。
このブログも、リアルであんまり会わない方に向けて発信しているし、どこかの知らない誰かの人生っていう感じになれれば理想的。
歌を聞いてくれるのは嬉しいけど、内密にやっていきたい感がある。
その程よい具合が一体どこら辺なのか難しいけれど、そのちょうど良い“知られ具合”で活動を留めておくのが、ちょっと私っぽいかもと思うのだ。
昔は多数派になれる人たちを見て、羨ましいと思ったし、私もその輪に入りたいと思って、ちょっと努力してみた時期もあった。
でもそれは努力でどうにかなるような種類のものではなく、あっけなく惨敗。
仕方なく諦めて、私は少数派でいいやと開き直る。
少数派というか、正確には独立しすぎた個人なんですけど(笑)
そう、今までは致し方なくこの環境を受け入れていた。
それが、私は“これが”良かったのかもと思うようになった。
有名なアーティストさんが、旅行に行った話をされていて、その感想の中心にあったのが、その土地のことよりも、「自分が気づかれるか気づかれないか」であったことに、すごくショックを受けた。
「どこどこに行ったら、みんな展示を見るのに夢中で自分も楽しめた」
そんな感想ばかりだった。
きっと楽しかったということを言っているんだとは思うんだけど、私には想像もできないような日常を過ごされている人の話は、私が持っているものがどれだけ恵まれているかを、教えてくれているかのようだった。
私は人から監視されていることがすごく窮屈に感じるし、きっとすぐ具合が悪くなってしまう。
私にとって、小さく小さくやっていくこと、人がたくさん集まり過ぎないことは、ちょうどいいことなんだろうと、すごく納得できました。
豊かさとはあらゆる場所に落ちていて、それをちゃんと拾い上げて生きていけるか、それを味わう余裕があるかどうか。
この大切な変化の時期に、あるものをしっかり感じられた私でした。
のりこ
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