見出し画像

初めて薬を大量摂取した日

児相の一時保護所で一ヶ月半軟禁生活と言っていいような日々を送り、やっと解放されたあの日、私は父の運転する車に乗って灰色になった窓の外をボーッとまるで異国の景色を見るかのように眺めていました。

何回も繰り返し鳴る起床と就寝の異常なチャイム、南京錠のかかった日に焼けた柵、職員の持つカードキーでしか開かない重たい扉。いままであったものが私の目の前から無くなっていて、あるのは今この瞬間開けることのできる車の扉一枚だけ。

私が閉鎖空間に連れてかれた車は中からじゃ鍵が開かなくて、児相職員に外から開けてもらうしか出る方法が無かった。逃走防止のためらしい。

まるで初めて目を開けて世界を見た赤ちゃんのように車から見える外の世界を眺めてた。夕方を過ぎた空の色は灰色に近かったのに、児相の小さな窓からみた青空よりはずっとずっと鮮やかだった。

そうこうしてるうちに家に着いたけど、玄関の鍵を回す方向はどっちだったか頭も身体も忘れてて、親に開けてもらうしかなかった。小さい頃は裸足で座ってたこともあった冷たい玄関。
家に入ると目に入るもの全てが強い存在感を放ってた。児相の部屋は何もなくてただ音が異常に響くエアコンと茶色くなった畳だけ。何もない場所からいきなり存在感を放つ物ばかりの部屋にワープしてきたみたい。

中学生のときに行ったスキー教室で、朝は雪山を滑ってたのに夜はいつもの静かな家の布団で寝ていた、そんなような、同じ日に遠いあの雪山で滑ってたのが嘘のような、あの気持ちを思い出した。

死ぬほど嫌で嫌で出てきた家にまた戻ってきたのに妙な安心感がある。でもそれ以上になんとも言えない大きな不安が首を絞めてくる。そんな気持ちで味のしないカレーを食べた。

児相に来る前に散々荒らした汚い部屋に戻って、自分のベッドを眺めた。いつも寝ている布団と違うふわふわの毛布。贅沢に感じた。まるで自分のベッドじゃないように感じて、IKEAに展示されてたお試しベッドに座ってみるかのように自分のベッドに座ってみた。児相のぺたんこの布団とは違うことを指先で感じながら、ペットショップで買われて初めて飼い主の家に入った猫みたいに恐る恐るベッドに潜り込んだ。誰か人の使った感じがある。自分の身体が入った記憶がある。でもなにかしっくりこなかった。

頭のほうにゴリゴリ異物感があって、シーツをめくってみた。児相に行く何ヶ月前かに買っておいたブロンがあった。無意識に手にとって20錠を手のひらに出して口に含んだ。使ったことないのにまるで毎日歯磨きするときみたいに自然とそれをどうやって使うかがわかっていた。

水で強引に流し込んでそのまま横になった。横になろうとしたのではなかった。横にならきゃという気持ちもなく、身体が勝手に横になるのが賢明なんだとでもいうように動いていた。こんなことをしている時点で賢明でもなんでもないが、今はこうして横になることが賢い選択なんだと言っていた。

いきなり家に放り出されて、自分の部屋の異常さに泣いた。畳じゃない、エアコンの音がしない、家族の足音が聞こえる。子どものいびきしか聞こえなかった児相と違うことに異常を覚えた。

泣いてどのくらい時間がたったか知らないけど頭がぽわぽわしてきた。自分で薬を大量に飲んだのは知ってるけど、なんでこんなにぽわぽわしてるのかがわからない。薬を飲んだことと身体の感覚がおかしいことをリンクすることができなかった。もはや薬を飲んだこの身体の状態が、従来の私の身体状態なのではないかと思い始めた。薬を飲む前の感覚がわからない。

カフェインで脳を休ませてくれない。コデインでうっとり私を寝させようとしてくる。

眼圧が上がってものが二重に見えた。焦点が定まらなくなったのか1秒おきに脳に送られる部屋の映像があらゆる場所へと変わる。部屋の天井、眩しすぎる豆電球、ここにあったっけ?と思わせるアルパカのぬいぐるみ。時間の概念がなくなり、1秒おきなのか1分おきなのかわからないが場面が移り変わる。

なぜかわからないけど涙が出てきた。助かるはずだったのにどうしてここに戻ってきてるんだろう、どうして、どうして。どうして?

どうしてと思うたびに、マジカルバナナをやるときみたいにどうしての疑問も移り変わっていった。
「どうしてここにいるの?」
「どうして助けてくれなかったの?」
「どうして外に出したの?」
「どうして殴った?」
「どうして連れていったの?」

もう過去のことも今のこともごちゃごちゃで時間軸なんてなかった。小学生の頃お腹を殴られた記憶と、今日までいた児相の記憶が同じくらい鮮明に押し寄せてくる。どうしてが止まらなかった。

でも、ずっとどうしての疑問の中について回ったのは「どうして愛してくれなかったの」ということだけ。言葉では愛するというのは頭の中に出てこなかったけど、感覚として愛してくれなかったというのが全ての「どうして?」について回った。

そんなことを考えてたらいつの間にか5時間が経っていた。その5時間の体感は1分の様にも思えたし、一日の様にも思えた。

気がついたときには胃が気持ち悪くて身体もダルくなっていて、いわゆるこれが離脱症状というものだったのだろう、高熱を出したときのように重くなっていた。

自分の身体なんかどうにでもなれ、と思って飲んでしまった。今まで怖くて飲めなかったのは自分の身体を大切に思えていたから。今回振り切ってしまったのは自分の身体がどうでもよくなったから。

そして自分の身体をどうでもいいと思わせたのは、あの閉鎖的な空間と愛されてないという気持ち。

ここから先は

121字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?