見出し画像

お笑い批評について考える

はじめに

私はお笑い批評をするほうだ。
趣味でネタを書いているためロジック面が気になるというのもある。
お笑いに限らずコンテンツに一意見を持つことは当然だと思っていて、一般的にも他の創作物は盛んにレビューがされているのに
なぜお笑いはそれがNG行為とされているのか疑問である。

ファン側も芸人さんが嫌う行為という認識があるから
コメントを控えたり、「皆目見当違いと言われるだろうけど〜」などと予防線をはりながらコメントしており、見ていてもどかしくなる。

ここらへんでお笑い批評は何故だめで、どうあるべきなのかを整理したい。

※素人が好き勝手に書いているだけなので根拠はありません。
※批評と書いていますが、「面白い/つまらない以外の細かい感想を言うこと」くらいの認識で書いています。
批評、評論、分析、解説、考察、感想、あたりの使い方が正しくないかもしれません


なぜお笑いの批評は嫌われるのか

ほかと何が違うのか?という観点から考えていく。

・距離が近いから

お笑いは自分と創作物との境界線が薄く、観客との距離も近いので
人格に結びつきやすそうと考える。

・ネタを修正していくのに邪魔だから

他コンテンツは修正がきかないものが多い。映画公開後、いくらぼろくそ言われようともそれをリメイクすることはない。
一方お笑いは何度も修正して面白さを追求していく。
その修正にあたり、お笑いには正解がないので、信頼できるプロの意見ならともかく、一般人の批評はノイズに感じるのだろうと考える。

・ネタバレ防止のため

これは音楽のライブや最新映画のネタバレ禁止と同じ。
まだ観たことのないネタの内容が流れてくるのは誰も得しない。
全国ネットの賞レースだけは足並みが揃うのでネタバレの観点ではOKかな。
劇場などクローズドでのネタレポはNGかと。

・自分にもできると勘違いしていそうだから 

実際面白いネタを素人がやってもウケない気がするが、
一見するとスキルがわかりづらく、自分にもできると軽んじられることがあるのかもしれない

・お笑いに限らず嫌われている説

そもそも他界隈も本当は鬱陶しがっているかもしれない。お金を落としてくれるのと公に訴える機会が少ないから目を瞑っているだけで。
芸人さんは仕事柄発言の機会が多い、団体戦ができる(芸人同士まとまって話す機会が多い)、笑いに変えて文句を言える、
から浸透したのではないかと。



・・・ここらへんで自分の思考の限界がきたので、
本疑問に触れている人を探したら素晴らしいNOTEを発見した。

ここからは上記記事にてあげられている意見に対し、私なりの考えを述べていきたい。

>演芸の歴史を踏まえた批評が少ない

逆にいうと演芸の歴史を踏まえた批評であれば芸人さんは受け入れるということなのか・・?
ただ、谷口氏の記事にある通り、素人書き手としてはお笑いはそんなに崇高なものではなく自分が面白いか面白くないかでしょ?と思ってしまうし、素人読み手としても(あったら読みたいが)特別求めていない。

谷口氏の記事から引用


・そもそも批評できる余地が少ない
文芸批評などは、読者がその作品を読んでわからなかった部分を、理解しやすいように価値を提示するという部分に意味があるのだと思いますが、お笑いは端的に言えば「笑うか笑わないか」しか無いので、見た本人が簡単にジャッジできるので、観客側もあまり求めていないのではないかと思います。それを演者側もわかっているから拒否をするのかも知れません。


>野暮だから、無粋だから

言いたいことはわからないでもないが、記事にある通り言語化してほしい。

構造をバラされると、次から笑いが減る。分析が笑いを消してしまう
この意見はしっくりこない。具体例を教えて欲しい。

色んなネタを観ることで展開が読めて笑えなくなってくることはあるけど、
批評によって見方が変わるというのは想像できない。

いくつか例をあげると、
何度もあざとい仕草をされてその可愛さに慣れてくることはあっても、「なぜその仕草は可愛いのか」のロジックを説明されたところで可愛いものは可愛いだろう。
ロジックがわかったら可愛いと感じなくなる、ことはないと思う。
また音楽で例えると、 「この曲がおしゃれに聴こえるのはこのコード進行だからだよ」と解説されたところで聴き心地は変わらないだろう。

例外として、ネタの最中にロジックがよぎって笑いに集中できなくなるという意味の笑いの減少はあるのかもしれないが、それはもともとロジカルな部分を楽しんでいる人なので、手を叩いて笑ってはいなくとも満足度は高いはずだ。
※私の友人は「何故自分がそれを面白いと思ったのかなんて考えたことがなかった」と言っていたが、そういうロジカルな部分に興味がない人は構造を知ったところで次の日には忘れているだろう。  

つまりは分析が笑いを消してしまうということは杞憂だと考える。

>芸人さんは現場で観客のリアクションを直接受ける立場にいるから

やはりこれに尽きるのだろう。
谷口氏の記事もとてもわかりやすかったです。


・「自分」を批評されたような気持ちになるから
批評に対して感情で「とにかく嫌だ!」と否定してしまうのは、建設的ではないし良くないとはわかっていますが、これがかなり大きいような気がします。
お笑いのネタは、台本を考えた本人が表に立って披露するものになるので、かなり「自分」の要素が大きいです。
漫才に対しては「ニンが出たら面白くなる(≒その人の本来の人間性がネタに出たら面白くなる)」という考えがあるほど、本人の人間性と密接な関りがあります。
お笑いへの攻撃的な批評はそのまま、自分への攻撃だと捉えがちになってしまうので拒否してしまう気がします。(逆にネタと自分を完全に切り離している人は気にならないかもしれません)


>お笑いは塗り替えられていくから

谷口氏の記事より引用


例えば「これは漫才ではない」と言われても、(漫才か漫才ではないかという話は一旦置いておいて)新しい、誰も見たことが無い事をやりたい、という気持ちで作ったものだから、それを否定的に捉えられてしまうとやるせない気持ちになるはずです。


→なるほど批評はより良い方向に向かうためにあるべきで、狭めるためにあってはいけない。


お笑い批評はどうするべきなのか


気をつけながらも堂々と批評していい

と思う。言論の自由だもん。
「面白いしか言われたくない」「素人がごちゃごちゃいうな」とか言われても知らん。
ただし絶対に配慮は必要だよね。

NG行為

・誹謗中傷、暴言
・人格否定や芸人さんを見下す行為(例:なんでこうしなかったの?頭悪いだろ、俺の方が面白い など)
・芸人さんへの直接の面白い以外の感想(ネタへのアドバイス、つまらないなど)

注意

・人格否定につながりやすいことを自覚する
・リスペクトを持つ
・100%自己満足だと自覚する
自分の批評が芸人さんのためになると思わないこと。
自分が芸人さんに何かできると思わないこと。
直接芸人さんにアドバイスDMとかありえない行為。

個人的な願望

映画や本はレビューサイトが存在するけどお笑いにはそれがない。
Xは芸人さんのエゴサを気にして思うように呟けないためこの度noteに移行した身としては、例えばお笑いレビューサイトを作って主な賞レースのレビューができたらいいなと思う。
(=Xではなるべくプラスの感想のみとする)
そしたら結局多くの芸人さんもファンもレビューサイトを見ちゃうだろうけどそこは自己責任ということで。  


最後に

自分のなかで整理できてスッキリした。
イタイと言われることなく感想を言い合えるようになりますように。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?