悪は存在しない

生きていてめちゃくちゃ怒る事ってそんなに無いんですけど、電車の席を2席使うとかエスカレーターの割り込みをするとか、そういう人を見るたびに腹が立ちます。
でも、自分と関係ないところで2席使ったり、自分以外の人が割り込みされていても、腹は立ちません。
結局、「自分に対してどう」かだけでしか自分は怒らないのだと思います。

これは怒りだけなのか、それ以外の感情もそうなのか。
例えば、自分と関係ない人に嬉しい事があったとします。
その人の嬉しい事が、自分にまで届いてこなければ当然自分は何の感情も動きません。
その人が、自分の好きな人で「こんなに嬉しい事がありました」と報告された時に自分は喜ぶ可能性があります。
「よかったね」「頑張ってたもんね」と心の底から言える可能性があります。
ただ、それが自分の好きな人であっても、自分と同じパイを奪い合う相手だったら。
自分がお笑いの賞レースの準優勝で、好きな人が優勝した時に「よかったね」「頑張ってたもんね」と心の底からは言えないと思います。
口では「おめでとう」ぐらいは言うかも知れませんが、家に帰ってからすごく悔しい気持ちになると思います。

その他の感情も全て似たようなものです。
自分に直接関係のある事なのか、自分と関係があるとしてその対象と自分の距離はどれぐらいか、その対象は自分にとってどういう存在か
対人間に対する感情だけでも、一筋縄ではいきません。
一言で全ての感情を説明する事なんて絶対にできない。
我々は同じ言葉だけを繰り返す村人Aでは無いのだから。

それがもっと大きなコミュニティ、社会までも関わってくると話はもっと複雑になります。自分の目は自分にしかついていなくて、自分の目でしか物事を見るしかありません(『ガンバ!Fly high』の主人公が、他人の見ているものがわかるみたいな能力を持っていた気がするけど、それって本当にとんでもない事だぞとたまに思い出します)。

だから、自分とは全く違う人間の全く違う考えに触れて楽しかったり、自分とは全く違う人間の全く違う考えに触れて怒ったりするのだと思います。

『悪は存在しない』という映画を観ました。

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