怒りの変遷

最近は人知れず一人で怒るなどをしている。
銭湯に行った時、数が限られている椅子でいびきをかいて寝ている人、サウナでは喋らないでという張り紙があるのに大声で話している人、ドライヤーをずっと占領している人に怒っている。
電車で一人で二人分の席を使っている人に怒っている。
電車では基本的にずっと怒っている。良くない人間が多すぎる。
そして、そういう人にかぎって最寄り駅が同じだったりする。
こいつと同じ町に住んでいるのかと思うと怒りで頭がパンパンになる。

ライブでは怒る事は滅多にない。
特に今日は仲のいい人たちしかいないライブで、最初から最後までずっと楽しかった。その楽しかった帰りの電車で怒ってしまったのだから、最終的には少しマイナスの感情になってしまっている。

人間の顔はずっと怒っていれば怒ったような顔、笑っていれば笑っているような顔に段々なっていくと思っている。昔の写真と比べて表情が全然違う、という人をよく見る。自分の顔が昔と比べて、しかめっ面になっていないか心配になっている。

この年になると流石に自分がどんな時に怒りを感じるか分かってきている。
そして、小学生の時も「自分はこんな時に怒りを覚えるんだな」と理解したこともよく覚えている。
ちなみに「自分が明らかに下に見られる、バカにされる、蔑ろにされる」時に怒っていた。普段は怒らないから周りは「なんでこれで?」という顔をしていたが、自分の琴線に触れたら感情を抑えることもせず大暴れをしていた。今は大暴れをする事は無いが、少し怒りを覚える事はあるかも知れない。

ただ上記に挙げた例はそれとは違う。
端的に言うと「ルールやマナーを守らない奴」に怒っている。
ちなみに、銭湯に行くのが大好きなのだけど、特に銭湯にはその怒りの琴線に触れる人間が多い気がして(自分が行く場所が特に顕著)足が遠のいてしまっている。それにも腹が立つ。なんでこちらが嫌な思いをしなければいけないのだ、と思って余計に怒りの感情が高まる。

そして、この類の怒りの感情は昔はあまり無かった。
そういう人間が嫌いで軽蔑していた、という気はするけどそれがどのように怒りに変わっていったのか、その心情の変遷をたどりたい、というのがこのnoteを書いてみようと思ったきっかけだった(文章を書いている脳の奥の部分が開いて色々思い出したりする)。
なので、ひたすら自問自答だけをする。

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