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人間は一面だけでは語る事ができない。
現実に「明るい人」「暗い人」「優しい人」なんていない。
みんな、それぞれに「明るい部分」「暗い部分」「優しい部分」を持っていて、それを場所や人や状況に合わせて使い分けているだけだ。
それは意識的に、または無意識的に行われる。

部活の時は明るいがクラスでは暗い人と認識されている、という事を高校一年生の時に経験が、人間の多面性を考えるきっかけになっている。
いや、その時はそこまで考えずに教室で誰とも話せない時も心の中で「本当の自分は部活の時の自分」と思っていた。今はそういう状況だから、誰とも話せないだけで本当は俺は明るくて面白い奴なんだって言いたかった。
しかし、今振り返ればその時の暗い自分も紛れもなく自分だった。
自分には「大勢の人間の輪にうまく入れない」という性質がある事も今ならよく分かる。
しかし同時に「気を許した友人の前では明るく振舞える」という性質もある。
これは、同時に表出する事は無いが、確実に自分の中に存在している。

平野啓一郎さんの著書『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読んでから、そんな自分ともうまく付き合えるようになった。人間は個人ではなく、分人なのだ。

自分に関してはそう自然に考える事ができるのだけど、それを他人に当てはめた時に難易度は跳ね上がる。
(そもそも、私は自分と他人が「同じ世界」を見ているかどうかという事にとても懐疑的である。今見える景色をそのまま全く同じように見えているという確信はどこにもない。その可能性がとても高い、というだけだ。同じ映画を観ていても、全く同じシーンが流れているかどうか分からない。感想をすり合わせてようやく同じ映画かも知れない、と思えるだけだ。それでも完全とは程遠い)
他人も私と同じように多面的である(可能性が高い)、と分かっていても、やはり一つの面だけを見て「こういう人だ」と認識しそうになってしまう。

そして、私は多面的であるという絶対的な自信があるが、それも他人からはどう見えているか分からない。私の一面だけを見て「こういう人間」だと認識されている可能性が非常に高い。

しかし、それも仕方ない事だとは思う。

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