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当たり前が当たり前に存在することの幸せ

毎日の何気ないことの中に、どれだけの奇跡的に陰での働きがあるのか、改めて気づくことができた。

昨日の夕方、パソコンを立ち上げようとしたら、「デスクトップは利用できない場所を参照しています」というような長たらしい警告文とともに、画面が真っ黒になって、デスクトップにはゴミ箱とPCというアイコンだけが残された。

・・・はい?

初めての現象に、とりあえず再起動。同じ現象。なんか、すごく嫌な予感がする。タブレットを開き、検索をしてみる。この現象はすごくやばいという内容のサイトを見つける。やばい、やばいやばいやばい…

書かれている様々な方法を試してみてもダメで、もう寿命なのか?と足が震えてくる。どうしよう、たいしたものは入っていないけれど。

昨日は結局、最終的に役に立ったのがこのサイトだった。

最初、スタートアップ修復をしたけれどダメで、その次にシステムの復元をするとよいと書かれていたけれど、そこで充電がなくなり、疲れ果てて次の日に持ち越した。

そして、システムの復元で10日ほど前の状態に戻したところ、復活した。

ふぅ、良かった。ものすごく焦った。重くなったので、削除できるものはないかいじっていた時、何か内部システム的にバグったのだと思う。詳しい人はどこかのシステムを触って直すことができるようだけれど、とりあえず私はシステムの復元で直すことができたのでラッキーと思わなければいけない。

最近はタブレット重視だけれどパソコンで入力した方が早いし、パソコンに触らない日はないので、パソコンがないと生きていけないと思う。これはもう依存だと思う。他にも生活の中にそれほど大きな割合を割いていないけれどなくてはならないものはたくさん存在する。パソコン、自転車、荷物、水筒、洋服、下着…そんなもの一つひとつに感謝したい気持ちになった。

いつも、気が付かないところで私を支えてくれて、ありがとう。私が健康で運動できるのも私の体重を支えてくれるシューズだったり、暑さ寒さをガードしてくれる服を持っているから。知識習得に励んだり、映画やドラマを見ることができるのも、そこに本があるから、TVがあるから。水を飲めるのも水筒があるから。すべてが当然に私の周りにあるし、買ったのは私だけれど、そこで自分の機能を十分に発揮してくれるから。

目に見えないけれど、自分の役割を果たすことがどれだけ重要なのか身に染みて感じた。私も目に見えなくても自分の役割を果たせる人でいようと思った。

ともかく私のパソコンに感謝をし、これからも大切にしていきたい。けれど、調べている最中に、PCを購入したのが2013年と出てくる。7年だ。そうだ、7年も使ったらそろそろガタが出てくる。来年の夏のボーナスまで持ってくれれば、そこで新しいパソコンに買い替えるのもありかもしれない。とても愛着があるから、壊れるまで使うだろうけれど。

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