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みちくさ②‥母の会の誕生とPTA

★当コラムの題名を「みちくさ」と名付けました。
学校法人明星学園発行の『明星学園報』に、資料整備委員会が連載している「資料整備委員会だより・みちくさ」を転載します。

資料整備委員会だより第2回
‥‥2013年9月発行分、明星学園報No.101に掲載

明星学園が誕生してから90年が経とうとしています。小さな学園が、幾多の困難を越えて過ごしてきた歳月を支えた「母」の力を紹介します。

写真:夏季学校(1924年7月21日撮影)

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■明星学園のあゆみと「母の会」
 明星学園には創立間もない時期から「母の会」がありました。正式に結成されたのは1927(昭和2)年1月ですが、それ以前にもお母さん方は積極的に集まって活動し、学園を支えてきました。創立者の赤井米吉先生は、1929年1月発行の雑誌『渾沌』(広島高等師範学校出身のペスタロッチー研究者が中心となって作った教育誌)に寄稿した「明星五年」と題する文章の中で次のように述べています。
「児童の教養に母の力の大きなものであることは今更言うまでもない。従って学園の仕事にも私達は出来るだけ母の共働を求め、これを学園の教師の一人とみなそうと考えた。それは単に児童一個人の問題に対して教師と母とが十分に連絡しようとしただけでない。母親達島後の間の理解と同情と共働をも望んだのである」と。
 赤井先生の望んだとおり、創立期の母親たちは自主的に、学期ごとの集まりや講演会を頻繁に開き、夏季生活の付き添いや炊事なども積極的に行いました。こうして学年を超えた母親同士のつながりが密になり、ついに1927年に「明星学園母の会」が立ち上げられたのです。
「明星学園母の会」の特徴は、母親たちの自主的な会であり、学園に対する援助もするが、自分たちの文化活動をすることを主目的としたことでした。また発足した年の秋には、頓挫しかけていた中・女学校設置の資金集めのために父親たちを動かして「明星学園後援会」を立ち上げ、上級学校実現の原動力となりました。
 その後、アジア太平洋戦争の激化により活動を中断せざるを得なかった母の会と後援会は、戦後1950(昭和25)年に「明星学園P.T.A.」として再スタートしました。
 このように、明星学園では教師と親が協力し合って子どもと学校を育ててきました。それは昔も今も変わらない、明星のよき伝統です。

■PTA会報『道』の誕生
 新発足したPTAが1952(昭和27)年6月に創刊した機関紙が『明星学園P.T.A.会報』です。最初は会務報告のみでB5版8ページ、ガリ版刷りの印刷物でした。回を重ねるごとにボリュームが増して内容も充実し、保護者や先生方の寄稿が目立ってきます。戦後の混乱がまだ残る時期の親たちの考え方、関心、心配ごと、生活の様子などがよくわかります。
 1956(昭和31)年発行の第33号から活版印刷化され、1957年6月発行の第38号から、『道』として発行されるようになりました。その後も体裁や内容的な変更はありますが、2010年3月5日発行の第134号まで、『道』の題名を踏襲して発行され続けました。
 1979年12月に『明星学園報』が創刊されるまで、『道』はPTAの機関誌という枠にとどまらず、教師たちが研究や実践を発表したり、学園から関係各位への連絡用としての役割も担っていました。PTA主催の座談会や講演会なども頻繁に開かれ、その詳細な内容が『道』に掲載されています。また誌上討論会の形で親同士、教師同士、親と教師、さらに生徒も加わっての話し合いが数号にわたって掲載されるなど、明星ならではの活発な意見交換が行われてきた歴史が『道』によって伝えられています。学園内外で起きたさまざまなニュースも臨場感を持って知ることができる、ひじょうに重要な資料と言えるでしょう。現在の明星に関わる方々にも、ぜひ読んでいただきたい資料です。

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(資料整備委員会・大草美紀)

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原点に返って ~ 第1回児童募集!
◆資料紹介その1「明星学園設立趣意書」

 大正13(1924)年の設立にあたり、児童生徒募集の『ちらし』として用意された「明星学園設立趣意書」。「浮草の如くに転々として定まらぬ教師と点数と競争でかられる児童が雑然たる知識の断片の蒐集を事としている現代の小学校」から幼い魂を救い出し、豊かな自然の中で育もうとう熱い理想とともに、当時の状況を垣間見ることのできる興味深い資料です。

設立趣意書1

設立趣意書2

設立趣意書3

設立趣意書4

募集人員は1~3年生まで各学年1クラス 男15名 女15名。
気になる授業料(月謝)は6円。
通学電車代は、たとえば新宿―吉祥寺間(所要時間25分)で年間11円23銭。
大卒初任給が50円、放送受信料が1円の時代のことです。

※この資料紹介コーナーは資料整備ボランティアの保護者が交替で、興味を持った資料を紹介しています。

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