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みちくさ⑧‥丸山眞男と明星学園

学校法人明星学園発行の『明星学園報』に、資料整備委員会が連載している「資料整備委員会だより・みちくさ」を転載します。政治思想史家の丸山眞男氏と明星学園とのつながりについて書きました。

資料整備委員会だより第8回
‥‥2018年3月発行分、明星学園報No.109に掲載

明星の保護者たち 5
 ここに一冊の冊子があります。みすず書房発行のPR誌『みすず』1998年9月号、この冊子に「60年安保への私見」と題した論評が掲載されています。論者は『超国家主義の論理と心理』(岩波文庫)、『現代政治の思想と行動』(同上)、『日本の思想』(岩波新書)等で知られる東京大学法学部教授の丸山眞男。戦後日本を代表する政治学者であり、民主主義を探求し続けた思想史家です。
 この20頁にわたる文章は、1960年7月11日、明星学園PTA主催で行われた講演の速記録に、丸山自身が加筆・訂正を施したものです。
 丸山と明星学園との出会いは、1958年11月に長男彰さんを6年生に編入させたことに始まります。

1958年の丸山夫妻(写真提供 丸山彰氏)

丸山夫妻

■安保闘争のただなかで
 このころ、岸信介内閣はアメリカとの間で安全保障条約の改定交渉を行っており、それに連動させて1958年10月8日、「公共の安全と秩序」を名目に警察の権限を拡大強化する“警察官職務執行法(警職法)改正案”を突如として国会に上程しました。これは昨年2017年5月、野党の猛反発の中、衆院法務委員会で可決された組織犯罪処罰法(共謀罪)のルーツでもあります。岸内閣の動きに対する国民の反発は大きく、反対運動は瞬く間に全国的に広がりました。多くの市民団体、民間団体と市井の人々が抗議運動に参加しました。そのような中、丸山も文化人による「静かなデモ」に参加し、やはりデモに参加していた明星学園教諭の無着成恭に長男の編入について相談しました。まもなく彰さんは明星に転校して6年生に、またその3年後には次男健志さんも5年生に編入しています。
 彰さんが入学すると、母のゆか里さんはPTA活動に積極的に参加し、1959年度にはPTAの編集部員として、学園の保護者で版画家の棟方志功氏へのインタビューを行ったり、教師と保護者の座談会を開催して記事にするなど、PTA会報誌『道』の内容充実に努められました。
 この年1959年から翌1960年に掛けて、安保条約改定に反対する運動(60年安保闘争)が国民の間で急速に高まりました。太平洋戦争敗戦から十数年が過ぎ、米ソ冷戦の激化の中で、日本が再び軍国主義に逆戻りするのではないか、アメリカの戦争に巻き込まれるのではないかという懸念が人々の間に広まっていったのです。国会議事堂周辺では連日政府への抗議活動が行われ、明星学園の教員や保護者たちも抗議のデモに参加していました。そして当時の高校生たちも政治の動きに大きな関心を持っていたことが、この頃発行された『道』No.50(1960年7月11日発行)等に載っています。

デモ行進

■お茶の間政談
 1959年11月27日には安保改定に反対する学生や各種民間団体、労働組合員など2万7千人を超えるデモ隊が国会議事堂を包囲し、警官隊の制止を破って国会構内になだれ込みました。
 『道』No.48(1959年12月21日発行)にもこの事件のことが「お茶の間政談」という題名で書かれています。寄稿者は“中一の母”という筆名で、国会デモ事件についてのやりとりが夫婦の会話形式でまとめられています。
 妻の言葉「ヤレヤレ昨日は大変なことでしたね」で始まるこの1ページの記事には、“政府与党のやり方への批判”、“本当の議会政治とは”、“民主主義の精神”などについて核心を突いた意見が続きます。

 議事堂があって議員がいるから議会政治が行われているというわけにはいかない。その中で何が行われているかが問題なんだ。大体議会政治ってのは簡単にいえば、国民一人一人が政治に対する要請を、自分が選んだ代表者――つまり国会議員だな――を通じて政府に要求する。その為に4年に1回選挙があるわけだが、国民はその代表者に4年間の白紙委任状を手渡したというのでは決してない。気に入らなければいろいろの形で――今度の請願もそうだし、警職法が潰れた時の一般輿論の喚起もそうだ――議会のやり方に干渉する事が出来る。そうでなければ絶対多数をとってしまえば、採決すれば必ず多数党の方に決定してしまうから、何も討議する必要はなくなってしまう。多数決の原理というのは少数意見を尊重した上のものであるという民主主義の根本精神なんてものは、どっかに忘れられているね。

そして明治から昭和にかけて続いた帝国主義政策と、その後に続く資本主義の発達にともなって顕著になる“日本人の政治的無関心”についてふれた後、

 でも私達の学生時代には凡(およ)そ政治教育なんてなかったけど、近頃の子供達は社会科などで随分そういう批判的な眼を養い、自分の頭で考えて判断し行動するという傾向に育って来ているので、私なんか本当に喜んでいるんだけど……、

 そうね、戦後の新教育ではその点は大変結構だと思う。ところが文部省あたりはそれに対し、又着々と反対の手を打ちつつあるね。今度の新しい教育課程指導要領なんかもそうだろう。教育委員任命制、勤評問題、みんな一貫している。又々「考えざる草」を養成して行こうというわけなんだろう。しかし飼い馴らされた羊達だけで、どうして自分の国を立派に強く育てて行く事が出来よう。これは又「愛国心」にもつながる問題だ。

と締めくくられます。
 この匿名記事の筆者が丸山ゆか里さんで、お茶の間で語り合っていたのが丸山夫妻だったことは、本稿を書くに当たり、彰さんにお聞きして初めて分かりました。

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■PTA文化部主催の講演会
 年が明けて 1960年1月、多くの国民の懸念をよそに岸首相は渡米し、日米新安保条約が調印されます。これに続く2月からの国会審議は紛糾し、「安保闘争」はさらに盛り上がっていきました。明星でも高校生の政治参加について議論が高まり、そのような中で教員の間からPTAに対して専門家を招いた講演会開催の要請がなされます。7月11日、PTA文化部主催で丸山の講演会が開かれ、会場となった小学校の講堂には父母、教師のほか高校生たちも集まりました。この講演の内容は速記者であった夫人のゆか里さんによって記録され、前述の通りのちに『みすず』誌上に発表されました。
(文中敬称略)

文責:資料整備委員会 大草 美紀

※今回紹介している『みすず』『道』などをお読みになりたい方は、資料整備委員会までご連絡ください。
shiryo@myojogakuen.ed.jp

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