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九天九地8:天地どよめく、大異変

朝元斎との再会

債務問題が一段落と見えたある日、清三郎改め遠州屋嘉兵衛は、浅草の山口千枝の元を訪れた。

「ほほう、山でご苦労なさったせいか、たくましゅうなられたものじゃのう」

「あの時は先生、私は苦労を切り抜ければ、万両分限になるとおっしゃっていましたが、今は数千両の借金を抱える身です。もう万両分限の相は、消えたことでしょうな」

「いや、消えてはおらぬ。万両分限の相は変わってはおらぬが、その後の人災が問題だ。念の為に一筮立てて進ぜよう」

天地否!

二代目遠州屋嘉兵衛を前に、千枝の出した卦は、「天地否」の上九だった。
読者は前に、嘉兵衛がまだ清三郎と名乗っていた時、釜石の易者の元を訪ねたことを、覚えておられるだろうか。
あの道中で、鳥の鳴き声を易に見立てて下した判断を、思い出していただきたい。

あれは、鳥の鳴き声が一回、七回、六回で、これを易に見立てれば、「山天大畜」の上九だった。

易は少し変わった独特の名称を使うので、少しだけサワリを紹介しよう。
「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」
まずこの八つの卦に、1から順番に番号を振っていただきたい。
読み方は、「けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん」と丸暗記してしまえば、不思議と忘れることはない。

1の「乾」は、広大無限の天空を指し、7番目の「艮」は、どっしりした山を指す。
山は普段はあまり動かないが、いったん動き出すと、山崩れ崖崩れの激しさとパワーは、モノの比ではない。

この場合は、変爻(六十四卦の、更なるバリエーション)が上九だったので、一番上の卦が翻って、陰卦となる。

上九とか六四というのは、易独特の呼び方だが、とりあえず、六が陽、九が陰と覚えておくだけで良い。

「艮=山」の卦象は、上が陽、下の二本が陰であるから、上の陽が爻変で裏返ると、三本とも陰になる。
陰三本は「坤=地」であるから、山天大畜の上九は「地天泰」に変わることになる。これは、もっとも安定した天下泰平の卦であって、よく易者の看板にもなっている。

易卦の変化

天は明るく活動力に満ち、高く上るものであり、一方で地は静的で従順な性質を持ち、下方に向かい平坦になろうとするものである。
その為、上側に坤があり、下側に乾がある状態は、両者の方向性がうまく噛み合って和合し、最も安定する大吉の卦となる。

逆に、今回出た「天地否」の卦は、前記の山天大畜変じて出来た地天泰とは、全く逆の状態だ。頭と体が背き合い、相手と自分も気持ちがバラバラ、という解釈になる。

しかし、変爻まで考え合わせると、そこにはまた違う解釈が出てくる。上九であるから、この天地否の不運な状態も、ここに極まったとみることが出来る。

極まれば変ず…

千枝の元を辞した嘉兵衛は、ぶらぶらと浅草観音のほうへ歩いて行った。頭の中は、金策でいっぱいである。
その後嘉兵衛は、知人から少額の金を借り受けたり、小口の貸金を取り立てたりしつつ、小規模ながら何とか材木商を再開した。

遠州屋の再建

次に嘉兵衛がしたことは、資金回収により、やっとのことで集めた、なけなしの五百両を持って、加賀屋の元へ行くことだった。
加賀屋は先日、嘉兵衛が自分を信用して出世払いにしてくれ、と頼んだ時に、自ら先陣を切って、嘉兵衛の肩を持ってくれた、大口の債権者だ。

「加賀屋さん、お褒めにあずかり、おそれいりますが、お願いついでに今ひとつ、お願いを聞いてはいただけますまいか。実は、お宅の材木を、五分の口銭で譲っていただきたいのです。私のほうも五分の口銭といたしますから、それだと市価よりも一割の値引きになります。このように、薄利多売の商売をすれば、材木は飛ぶように売れましょう。そうなれば、私からのご返済も、速やかにできようというものです」

加賀屋は快くこの条件を飲み、遠州屋は繁盛して、昔の活気を取り戻した。
嘉永五年、二代目嘉兵衛が家を継いで三年目にして、店の借金は一文残らず、見事に返済し終わったのだ。
遠州屋の事業は着々と伸びてゆき、雇い人の数も増えた。

江戸の凶兆

この日、清三郎こと二代目嘉兵衛は、用談で市谷の松平佐渡守の屋敷を訪ねたのち、半蔵門から桜田門の方へ歩いていた。
用談が長引いて遅くなってしまったので、夜中でも賑やかな、江戸城の内堀添いの道を選んだのだ。
嘉永六年(1853)、六月三日の夜のことである。

当時この堀端には、おでん、うどん、蕎麦などの屋台が出ていたが、夜とはいえ六月初夏のこと。嘉兵衛は屋台に立ち寄り、乾いた喉を麦湯でうるおしていた。
その時、嘉兵衛に向かって、提灯持ちの手代、長吉が「旦那、旦那!」とただならぬ様子で叫んだ。

はっと振り返ると、中空を大きな火の玉が飛んでいる。半蔵門から桜田門一帯の空は灼熱の炎のように燃え上がり、次の瞬間、千代田城内にパッと白い閃光が上がった。

同時に大地も大きく揺らめいたというから、現代で考えれば、隕石でも落下したのであろう。
しかし、当時の彼らにはそんな知識はない。その体験は嘉兵衛の脳裏に、鋭い直観力を呼び覚ました。

…今に、天下国家の一大事が起きる。今の火の玉は、その大事件の前兆だ…

いったい、何が起きるのだろうと、嘉兵衛と長吉が話しながら、数寄屋橋の仕出し屋の前を通りかかると、こんな時間にもかかわらず、店の灯りが煌々と灯り、人が慌ただしく出入りしている。

店に入って事情を尋ねると、相州浦賀に黒船が入り、江戸中が大騒ぎになっている、というのだ。
更に、将軍家慶の病状が悪化し、江戸城に多くの武士が駆けつけている為、急ぎ二千人ぶんの、仕出し弁当の注文が入ったというのだ。

この時、浦賀に入港したアメリカの提督ペリーは、船室から赤い巨大な流星が、夜空を南西から北東へ走り去るのを、目撃したという。

驚きながらも家路についた嘉兵衛だったが、翌日、髪結い床に行った時に、また不思議な話を聞いた。
江戸城内白河口に建つ、杉の大木三本が、風もないのに倒れたという。
これらの杉は、江戸城築城の時に植えられた老木と言われ、しかもその倒れた時間というのが、嘉兵衛が堀の水を赤く染め上げる火の玉を見たのと、同時刻であった。
嘉兵衛は、大きな事件の起こる前兆を確信し、忙しく思案を巡らせた。そして、商人としての彼の才覚が、大きく開花するのは、安政二年(1855)のことである。

この時期から数年は、非常に世情の騒がしい時期で、十一代将軍家慶の急逝、黒船来航、吉田松蔭投獄など、歴史的事件が続いている。
これらの事件をきっかけに、日本の鎖国体制が崩れだし、徳川幕府時代はだんだん、幕末の動乱期へと、雪崩を打つように動き出すのである。

九天九地9へ続く
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