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この銀河が終わるまで。

小さい頃から、「人は死んだらどうなるんだろう」ということをずっと考えていた。

きっかけは父の仕事の関連で持ち帰られた仏教の絵本だった。おそらくそれが初めて私が「死」を認識したものだったと思う。

今でもたまにふと「死」について考えると(考えることにハマってしまうと、)漠然とした、言いようのない恐怖に襲われる。

別に何かの宗教を特別信じているとか、スピリチュアルなものを常に気にしている訳でもない。
こちとら女性ファッション誌の占いページでさえ見向きもせずページをめくる女である。

こういうテーマって、意外と日常の些細なシーンでふと考え込んでしまう。

例えば、数十年前の雑誌を見たとき。「昔はこんなのが流行ってた」みたいに紹介されていたんだけど、私はそれを見て、「数十年前に二十代だった人、今はもう五十代、六十代になってるんだよな…。人によってはもう…」と思ってしまった。
そして、「私も例に漏れず、いつか死ぬんだよな」という思考に陥る。


人は二度死ぬ。一度目は肉体が死んだとき。二度目は人々の心から忘れ去られたときだ。

こういう言い回し、あるよね。私が怖いと感じるのは「二度目の死」の方。
いや、もう少し正確に言うと、その「人々」がこの世から完全にいなくなったとき。

もう数十億年もすれば地球は寿命を迎える。銀河系もいつか遥か遠い未来で終わる。そこで生きている生物も跡形もなく消えてしまう。もちろん人間も。

きっと静かになるんだろうな、と思う。誰かの話し声も音も人工的な光もない、暗い宇宙がただずっと広がる。

そう思うと少しゾッとする。誰も私が生きていたことを覚えていないし、私と関わった人のことを知る人も、言ってしまえば記憶する生命体すらいない。

そこには生命体も文化もない。ただ空間が広がっているだけ。
ただ人が死ぬということから話題が宇宙レベルの話にまで飛躍してしまう。ここまでが私の死生観の一連の流れである。

まあこの世にいくつもある考えても仕方のないことの一つであることだとは分かっている。でも考えるのやめられないよね。怖いよね。

そんな中で出会ったある1曲を紹介したい。

https://youtu.be/goU1Ei8I8uk

藤井風 ”帰ろう”


この曲の作詞作曲をした藤井風はテレビのインタビューでこう語っている。

「死ぬときのことを考えるのは全然ネガティブな話とか怖い話じゃなくて、死ぬっていうか、帰るときのことを考えることが、じゃあ今どうやって生きていけばええか考えるきっかけになる」

彼は「死ぬ」ことを「帰る」ことと言葉を変換している。
帰る場所があると、人って安心できる気がする。私は「死」の連想から「安心」なんてきっと思い浮かばない。

この言葉を聞いて「そっか、じゃあ死ぬことを怖がる必要なんて全く無いね」とは私はなれないけど、少しだけ恐怖から逸れることはできた。

久しぶりに音楽を聴いて感動する体験をした気がした。



去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物 手放そう
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう
あぁ今日からどう生きてこう

藤井風 “帰ろう” より

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