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生きることに疲れたら思い出すドラマ

ワタシの人生って、他の人とは全く!違う人生だと自覚している。
みんなそれぞれに違う道を進んだり、たまに合流点で出会うようになっている。
「面白い!人生」って思う時と、「今の人生で満足してるか?」と「今、生きていて何か特段、後悔がない人生だった」とワタシは言い切れるけど、「この先は?」と聞かれたらちょっと戸惑う。
ちょっと、考えたんですが私って、特別に何か技術なんかないんですが…よく人に「ここに数十年いるお局様のよう」とか言われたり、自分でも感じることがあって、いろんな場所でもそうなんですが…自分が意識してるわけでも、印象付けたくてコメントしてるわけでもないんですが、自分のことを覚えてくれる方が多い。
「多い」というべきか?「有難い」ことだと思う。SNSなんかでもそう。会話してって、ま、SNS上でですがやりとりがあって覚えてくださっていたり、気にかけてくださったり・・・本当にありがたいことです。全く見ず知らずのかも本当の名前も知らない人間なのに。。。(FUMI©︎は本名の下)でも、見ず知らずの仲だからこそちょっと本音が話せるような関係も、正直に慣れるような人にも出会う気がします。
本当に有り難いツールです!!!
この状況の中、ネットって本当にありがたいモノです。ま、よくない情報の方が多いけど。

今日は、韓国ドラマ「ディアマイフレンズ」を、あの!BTSのRMさんもお薦めされていたと言うことを今日知って、ワタシは2017・8年くらいの時にもうすでに、CSでやっていたのを観ていたんですが、もう自分の状況的にぴったりの時だったので、母と観ていました。あの物語に描かれている全てが「まさか自分に起こる」なんて想像もせずに最初は見てました。脚本家のノ・ヒギョン氏の「言葉の選び方」とっても好きな作品です!「障害、老人、親、友人、夫婦、子供、恋、病、生活、愛とはなんなのか?一体私たちは誠実なのか?どういう死生観か?」というワタシ的にはそう問われるような物語でもありました。ワタシは、そのドラマを母と観ていた数ヶ月後?
一年後?記憶は不確かですが、登場人物とは異なりますが、事態は登場人物の「ワン」が自分になったような形になりました。全く予想もしていないし・・・本当に、あのドラマで描かれている「娘として、人としてどう生きるか」という難題にぶつかっていました。あのドラマを観ると初心に返るというか、あの時の気持ちが蘇ってきます。ワンと似たような気持ち「母をできるだけ守りたい。でも自分の人生は?いや、母は今まで十分すぎるくらい苦労してきたのに、それにここまで育ててもらっている。見捨てることなんか眼中にない絶対に!助けないと!ワタシしかできないことをしないと!」そういう気持ちが湧いてきます。今もそう。でもだからって、母のせいにして生きてたくはないので、自分なりに、少しづつ距離感を大切にしながらも生きてる。色んなことを母と大きな山を乗り越えた時に思った。「自分の人生、上等だ!」って、母にもう二度とあんな思いをさせるのは嫌!だし御免だから。。。「神様、何かあるにせよ私にしてほしい」見ているだけなのは辛すぎるし、自分だったら気持ちのやりどころもあるだろうって。。。
本気で願っていた。願いは通じたし、神様やご先祖様に感謝している。今も。

あの物語のワンと母親のナンヒの関係に似てるワタシと母。笑っちゃったくらい。
「人生を生き抜いてきた親世代の人たちが抱える悩みや、不安、そして何より幸せであることや子供のことなどいろんな人の心に響く作品になっていると思います。
その物語、「ディアマイフレンズ」の中から「名言じゃないか?この言葉たち✍️」をここで・・・

「‘人生‘の残酷さに気づいた。若い頃には一つでも多くのものを得て 手放さないよう必死になれと発破をかけた ‘人生‘   老いてからは自分が得た全てを たとえ命より大事な子ですら手放すように仕向ける 未練も期待も手放して身軽に逝けと あおっているのだ ‘人生‘はなんと残酷なものか  しかも人生は いつ終わるかすら教えてくれない  始まりも終わりも告げぬ‘人生’に対しーーー年配者の代わりに問いたい。。。‘人生‘よ一体私たちにどうしろというの?」
      『ディアマイフレンズ』から引用。
韓国ドラマ『ディアマイフレンズ』より引用


ワンの祖母に、ワンが「人生を一言で言うと何?」って聞くと。。。
祖母は「どうってことない!」「これくらいが上等!」って答えるシーンも最高!
締めくくりにワンが言う「唯一の願いは。。。」の先の言葉も、今の自分の願いと変わらない気持ちです。一度は見た方がいいのでは?とお薦めする作品。では!

To be continue。。。



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