また哲学に興味が出てきた。

以前別のブログで書いていた記事です。
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また近頃哲学に興味が出始めて、ちょくちょく本を読んでいるのだけれど、漠然と本を読んでいるだけではなかなか前に進めないような気がしていて、やはり自分でも文章を書きつつ、自分の考えを前に進めながら読んでいかないと、はっきりと得られるものも得られないのかなと思いはじめた。自分の問題意識をはっきり持つことが大事なのかな、と。
 とはいえそれ、つまり自分の問題意識が何か、どこにあるのかなど、簡単にわかるようなものでもない。大学生の頃に哲学を勉強していたときと同じで、文章を書きつつなんらかの問題に突き当たるようにして、それを見つけていくものなんだと思う。
 大学生だった当時と今とでは、変わった部分もある。何点かそれを書きながら整理してみようと思う。

 まず、言語に対する考え方が変わった。

 化粧品会社で事務として働いていたときに、給料が大して変わらず、会社の先の展望も率直に言って絶望的で、転職を考えていた。転職する際は、もう事務職はやりたくないと思っていた。経理補助としてこの会社には入ったけれども、仕事は毎日同じことの繰り返しで、経理としてキャリアを積めていたわけではなかったからだ。本当にしっかり経理職でキャリアを積んでいくことを考えている人の場合、学生時代から商学部などで簿記をしっかりとやり、会計事務所や会社の経理部で経験を積む。そういうものだ。自分の場合はスタートからして遅かったし、そこまで経理職に情熱を持てているわけでもなかった。
 転職しようと思っていたときに、新たな仕事のキャリアを積みはじめたい、年齢的に間に合うものはなんだろう。そう考えていたときに思い浮かんだのは、日本語教師だった。
 国語の教師は今から目指すにはさすがに遅すぎる。でも、日本語教師だったら、資格を取って今からでもなることができるじゃないか。そう考えた。それで、当時読んでいたのが、日本語学に関する本だった。
 経理職時代は、経理に関する本なんかろくに読まずに、歴史や文化に関する本ばかり読んでいた。ちょうど、会社が皇居のすぐ近くにあったから、東京の歴史的建造物にアクセスするにはちょうどよかった。定期券圏内か、あと少し電車賃をだせば行けるところがたくさんあったのだ。そうして日本文化のことをよく考えるようになったのだけれど、その延長線上で、日本語についてよく考えるようになった。
 学生時代はよく外国語を勉強してたし、それなりに成果もあったと思う。ただ、自分がまさにそれによってものを考えている言語、すなわち日本語に対する理解は、まだまだ甘かった。今なら、完璧とはとても言えないまでも、もう少しまともになっているとは言えるだろう。
 ともかく、転職を考えていた際に、興味を持っていた日本語学の知識をもとに、日本語教師をやってみることを考えはしたものの、結局そちらの道を選ぶことはなかった。仕事内容としては魅力があったものの、勤務体系や給料面で、ステップアップと言えるような選択にはならないと結論したからだった。
 とはいえ、このころの勉強が、今の自分の日本語理解を深めてくれただけでも、十分意味はあった。ひとつぱっと思いつくのは、ヨーロッパ言語の勉強や翻訳に引きずられてわかりにくくなっていた自分の文章が、日本語本来の構造を理解したうえで書けるようになったことで、素直に書けるようになった、そんな気がすることだ。日本語の文章の一番の土台は格助詞である。ここがおかしくなると、まともな日本語の文章にはならない。

 日本語について書きはじめると長くなってしまうので、今回はやめて別の機会にしておく。とにかく、まず言いたかったのは、自分の言語に対する理解が、哲学とフランス語を勉強していた大学生当時と、日本語学と韓国語を勉強した今では変わったということだ。
 そこから、自分の哲学的思考がどう変わるか、変わったか。それはまだ自分でもよく掘り下げられていないことなので、これから考えていきたい。

2024/04/24

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