「自分で考えて進む力」だけは、絶対に奪われてはいけない
わたしは本が大好きで愛してるし
これまで散々助けられてきたけど
本に書いている内容を
「そうなんだ….!!!」
と心の底から信じることはない。
お世話になった人、親しい人、尊敬する人、いわゆる凄い人からの
「こうした方がいいよ」
っていうアドバイスも同じで
“この人の言うことなんだから間違いない!“
なんて思わない。
本も誰かからのアドバイスも、あくまで
(こういう考え方もあるんだなぁ…!)って
価値観の引き出しを増やしていくものだ。
だから、不確かな道を照らしてくれる『お告げ』として信頼しすぎないようにしている。
だから
「そうなんだ…!!!」と思って聞き進める(読み進める)よりも
「ほんまにそうか?」って吟味しながら触れるくらいがいいのだとも思う。
私は、例え本や尊敬する人が「右に進め」と言っていたとしても、自分の心が左に進む方がいいと判断したら左に進む。
わたしはいつだって
自分で考え、自分が正しいと思った方に進む。
自分>>>>本>誰かのアドバイス って感じ!
例えそれが遠回りだったとしても、間違っていたとしても。
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誰かが正しいと判断したものが
自分にとっても正しいかというと
そうじゃないって思っている。
万人に当てはまるセオリーなんてなくて
人の数だけ性格や価値観があるし
その時置かれている状況だって1人1人違う。
「こうすれば上手くいくよ」っていうのは
しょせん
“その人がそうして上手く行った結果“でしかなく
私も同じ結果になるのかというと
それは試してみないと分からない。
だから、参考にはしてもいいと思うけど
100%自分もうまくいくと信じ込むのはキケン。
あの本にこう書いていたから
あの人がこう言っていたからって
鵜呑みにするのは楽チンだ。
でも、その“代償“として払っているものについても考える必要がある。
代償とは、『自分で考える力』だ。
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社会人になって
色んな世界の蓋をほんの少しだけ開けて感じた
身も蓋もない、残酷な事実なのだけど
自分で考える力がない人は搾取され続ける。
世界には優しい人も多いし
泣きたくなるくらい美しい絶景も多いけど
この世で生活している限り、あの手この手で
あなたや私から
考える力を奪おうとする人はいるし
そんな仕掛けだって、知らず知らずのうちに
たくさん張り巡らされている。
だって、考える力を奪って
自分の都合のいいように誘導できたら
その人たちは甘い蜜を吸えるもん。
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自分で考えることを丸投げして
他人の考えに頼りっきりになった結果
どうなっていくのかというと
人生の舵を自分で取れなくなってしまう。
つまり、他人に舵を切ってもらうことになる。
すると、それに慣れてしまう上に
うまくいかなかったときに
必ずお決まりのセリフを言う。
「あの人がこう言っていたから」
「悪いのは自分じゃない!」
そうやって、人のせいにしちゃう。
そして
人のせいにしはじめた途端
人生は停滞していく。
不満を言いながらも人頼み状態だから
誰かが自分の船をいい方向に動かしてくれるのを
ずーーっと待つことになるのだ。
でも、誰かが切った舵というのは
必ずや自分の望む方向に進むとは限らない。
むしろ気付かないうちに
“その人が望む方向“に進んでることだってある。
なんかそれってこわいしもはやホラーだよね…
だから私は、舵はいつだって自分が握る。
常に自分が船長でありたいし
自分の進みたい方向に進む。
こわいし、責任もあるし、リスキーなんだけど
他人に舵を握られることに比べたら全然リスキーではない。
失敗しても、自分で選んだ道だからこそ素直に認めて引き返せるし
認められるからこそ、教訓と経験値が増える。
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今の世の中は便利だ。
知りたいことだって、悩んでることだって、ググったら何かしらの答えが表示される。
凄そうな人の生活や価値観だってSNSを通して覗けるし
スタバのコーヒ一を買ったら心ゆくまで読書を楽しめる。
こんなにもカンタンに情報を貰えるんだから
昔の時代の人はハンカチを噛んで羨むだろうね。
でも、得たものばかりにスポットがあたって
“失いつつあるもの”にはスポットがあまりにもあたってないと思うのだ。
失いつつあるものというのは
生きていく上での最大の武器
自分で考えて選ぶ力だ。
自分で考える力を死守しよう。
常に自分の舵は自分で切ろう。
いつだって自分の船の船長であろう。
自分で自分の舵を握った者だけ
ちゃんと望んだ場所に到着できるのだと思う。
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