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自信の材料が何なのか分かった

「もっと自信持って!!」

幼い頃からよくこんなこと言われ、自信って果たしてどうやったらつくのだろうか…と考えてきた。


わたしは小学生の頃、空手少女だった。

日々、練習漬けの毎日。

自宅にも練習部屋が作られていた。


ある日、小学校5年生のときに東京で開かれた全国大会で優勝した。

このときほど人から褒めちぎられたことはない。

歩く度に「すごいね、おめでとう!」と声をかけられた。

町の新聞にもデカデカと写真が載って、スポーツ大会の開会の挨拶もして、名前入りのトロフィーまで貰った。

小学生にしては多すぎるのではというくらいの金一封も貰った。

このとき、わたしに『自信』が生まれた。

これだけ人が自分を絶賛してくれるのだから、わたしはすごいのかもしれない!

そう思っていた。

でも、そんな夢のような時間が続いたのは束の間で、そこからはピーク地点に達した棒グラフがめまぐるしく下がっていくようだった。

先生には「いいなと思うところが1つもないわ!笑」と試合を止められ、試合で負ける度に父親に怒られた。

人からの期待が、無くなっていくように思えた。

どんどん、自信がなくなっていった。

子供ながらに泣きたくなった。

iPodに入れていた元気の出る歌が当時のわたしの栄養ドリンクみたいな存在で、それを聴きながら、ガマンして練習に行った。


幼い頃の体験というのは大きく

当時刷り込まれた


自信とは、他人に評価してもらえたときに
与えられるものだ


という定義がなかなか消えることはなかった。


なのでこれまでの人生、波のように自信が生まれたり、なくなったりしてきた。

自信のあるときは背筋がピンと伸びていて、何でも出来てしまう気がするし、ないときは背筋がまんまるで、出来損ないのような気分になる。

そんな、気分の上下に疲れてしまった。


✳︎


わたしは英語を長い間学んできた。

会話も問題なくできる。

なのに誰かから「英語ペラペラなんですか?」と聞かれると「いやいや…ははは」と答えてしまう。

でも、海外で友達になった人はそこまで英語を話せなくても「ぼくは英語が話せます」と自信満々に言う。

どんどん喋る。

間違っていたとしても、終始ドヤ顔。

そんな彼らは、特に褒められもしていないのになぜか”自信がある”のだ。


そんな人に出会えてよかった、と思う。

彼らのおかげで

自信って

誰かから与えられなくても、自分で作れるものなのかな

と思い始めた。


そもそも、自信って漢字の通り

『自分を信じること』なんじゃないか?


自分がやっていることを、信じること。

誇りを持つこと。

認めること。


それは、自分が自分をどう思うかということであって、他人からの評価に左右されるものではないのだ。


✳︎


人から褒められたときに「そうでしょ。フフフ。」と言えることから始めたい。

「ありがとう」でもいい。

そんなことないよ〜!とは言わないこと。


誰かからネガティブな評価を受けても、わたしはいつなんどきも自分を信じる。


大丈夫だ、わたしは必ずできる。


そう思えることが自信なのだ。


自信の材料は、人から自分宛に与えられたレビューでも星の数でもない。

ただ、私自身が、私ならできるといつなんどきも信じ続けてあげることなのである。



✳︎

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