番組感想 ハートネットTV「生きづらさと凸凹」

夜8時からのNHKの番組見てました。
鳥居みゆきさんがご自身の半生と転機について、生きづらさに焦点をあてて語っておられました。

「変」というくくりでみたマジョリティとマイノリティを入れ替える力が欲しい!!と思ってらっしゃったこと、すごく興味深く思いました。実際のところ、変なやつばっかりになっても、変なやつの中で一番変なやつがまたマイノリティになるという可能性もあるな・・・いや、変なやつばっかりだとどこかで何らかのシステムが破綻するのでは?つきつめるほどおもしろそう。

病院の先生には、発達障害は脳の個性というふうにいわれましたが、尋常とは違ったやりかたの回線で動いてるみたいなもんですかね・・・むしろかっこいい部分もあったり?

鳥居さんの話の中で出てきた変っていうのには二種類あって、「凸」部分の変は、ほかのひとには思いつかないやり方で動かせる、という変、
「凹」部分の変は、匙加減が分からない、という変だなあ、というふうに
解釈しました。

発達障害が障害と呼ばれてしまう所以は、「匙加減のわからなさ」にあり、
これは、料理に喩えると分かりやすいと思います。

ふつうの人がつくる料理は、目分量が守れていて、形も、味も、それなりに整って、普遍的に受け入れられるもの。どのひとが食べても、差はあっても納得できる味。
発達障害の場合は、その匙加減がわからないから、ケーキとかは爆発しちゃうかもしれないし、魚だったら焦げるかもしれないし、味噌汁だったら、塩辛すぎて高齢のお義父さんが卒倒しちゃうかもしれない。
ようは、どれをどのくらい入れるか、それを間違ったから料理に「失敗」しちゃってるみたいなもんだと思うんですよ。

お話の中で出てきた「自分の存在を認められたい」「自分沼にはまる」「吐き出す場が欲しくてこの場所にいた」という部分は、私にもあてはまって、とても共感しました。鳥居さんが半生の中で少し慢性的にむなしい気持ちを抱えておられるようにも受け止めました。それは鳥居さんに自分を投影している部分も、あるのかな。一生懸命やってるつもりなのに、なにかかっちりうまくいかない感覚と、それでも自分のアイデアを共有したいパッション、
私の他にも持ってるひとは多いかもしれないな。

やっぱり他人と違う生き方をして、ひとりぼっちな気持ちになる経験をしたからこそ、同じような気持ちになるのではないかな・・・。
昔のいやな記憶が思い出せないのは、記憶の概括化といって、こころの防御反応だと以前習いましたし。

番組の最後に、天龍源一郎さんが「信念をもって積み重ねて、唯一になったほうがいい。」と鳥居さんを励ましていらっしゃったのも印象的でした。
きっとそうしていくことで、本当の自己肯定感とか、健全な自己愛とか、「やり遂げて来た感覚」というのが芽生えると思います。
唯一、これ、とってもいい言葉。沁みました。

信念はブラさず、周りへの匙加減を練習しつつ、自分にしかできない生き方を実践していく。
こういった生き方ができればほんとに理想的だと思いませんか?


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