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SHINeeに対して溜め込んでたこと全部書く

自分の話

SHINeeが好きだ。毎日Xこと元Twitterにて気持ちの悪い愛情を吐き出している。主にメンバーのキーに対して。たまにいいねを貰う。ありがたい話。キムキボムでツイート検索すると恐ろしいほど自分のツイートが出てきて己の感情の発露が少し気持ち悪い。

このnoteでは、SHINeeを初めて見たときのこと、SHINeeから離れたのにまたここにいることについてつらつらと書く。正直人に読ませる文章ではない。しかし、何ひとつも忘れないようにまとめておこうと思う。人に読ませることを想定していない乱文になるが、でも記憶の整理をしておきたい。でないときっと、今私が毎日見ているSHINeeによって、この思いは薄れてしまう気がするから。

昔の話

SHINeeのファンクラブに入ったのは2023年9月末、きちんと好きだと思ったのも2023年9月、しかしながら私とSHINeeの出会いはと言うと恐らくSHINeeのデビューした2008年に遡る。

当時私は4歳。母が当時東方神起を熱狂的に応援していて、その延長、SMに所属しているという形でSHINeeを知ったことがきっかけである。4歳にして顔のいい男に目が無かった娘、つまり私はその頃から東方神起の缶バッジを幼稚園バッグに付けている子どもだった。そのためよりどりみどり顔のいい男を5人引っ張ってきました、みたいなSHINeeにも当然メロメロだった。探したら小学二年生くらいの私のキーとの合成ショットが出てきてしばらく悶絶した。何をしてるんだ当時の私は。そしてそれを作成したであろう私の母は。

とにかく、私の幼少期は4歳から長いことSHINeeが付かず離れず存在した。嫌いだった習い事に行く時はLuciferを聴かせておけば黙るので車内はLucifer一択、お手伝いをしない時も曲を流しておけばそれを聴くために台所に来るため、まるで撒き餌のようにSHINeeが流れる。奥歯を抜いた痛みで泣いていた時も慌てふためいた父がテミンさんの顔面をひたすらパソコンで見せてきていた。こういった思い出って思い出せば覚えているものだ。テストでいい点を取れた時も母にねだって、パソコンでSHINeeを見ていた。Dream GirlのMVが好きだった。married to the musicのMVも好きだったから、どこかファンタジーめいた世界観が好きだったのかもしれない。思えばSHINeeはそういうのが多い。羽が生えたり機械人形になったりゾンビになったり口が取れたり目玉が取れたり首が宙を飛んだり。

そんな私が初めて自分で金を払って行ったSHINeeのライブは、2024年2月に行われた東京ドームライブなのだけど。私は東京ドームで、以前にもSHINeeを見たことがある。


当時小学6年生、私はSHINeeのライブに母と行った。5人を、そこで見た。未だ脳裏に焼き付いて離れないパールアクアグリーンの原体験は、いつだってあの日の東京ドームだ。


2016 DDD

驕った話し方をしてみたけれど大したことは覚えていない。思い出す時に最初に浮かぶのがその日食べた池袋駅のつばめグリルなんだから手に負えない。非常に美味しかった。今でもたまに行く。

覚えていることをひたすら書いていく。時系列も知らない。参考にしているのはセットリストだけ。まだDDDのBluRayは見たことがない。見たら、私の主観の記憶に客観の映像が上乗せされてしまう気がしてとても怖い。

東京ドームの天井席も天井席だった。上を見上げたらメロンパンのような天井があって、私は今どこにいるんだと怖かった。だから席に置かれていたフライヤーを読んでいた。WOWOW独占放送を謳うフライヤーには、DDDのメインビジュアルが大きく載っていた。当時ポスターも持たなかった私は長いことそれを勉強机に貼っていた。

母にその場で誰が好き?と問われ、私は皆好きだったけどテミン!と元気よく答えた。あとミノも好き。ジョンヒョンも。そう続けた。当時は濃い顔が好きだったのである。もう一度言うが全員好きだった。というかMVやアー写ごとにナンバーワンがころころ変わった。DDDのビジュアルはたまたまテミンさんが1番だったので、そう答えた。

ライブは結構すぐに始まって、レーザーが真っ直ぐ飛んできてびっくりした。今までそんな演出のあるライブに行ったことが無かったから、恐怖すら覚えていた。専用のペンライトを振ることも無く胸元で抱きしめながら、随分と遠いステージを見た。大きいDの形した薄いペンライト。電池無くならないかなって不安で曲の合間は消して持っていた。消しても淡くエメラルドの色したペンライトが自分の手の中にあって、暗い座席の中でとても綺麗だったのを覚えている。宝物箱にしまって、本棚の一角で大切にしていたのに無くしてしまった。

遠いのに、本当に豆粒のようにしか見えなかったのに美しかった。塊のように分厚い声が朗々と東京ドームを埋めていて、私は東京ドームにいたかやその塊に沈んでいた。歓声や大きな声が苦手だったのに、それすらシャットアウトするほどSHINeeの歌声と曲は素晴らしかった。それしか耳に入らなかった。遠いのに、目いっぱいにSHINeeを見ていた。
breaking newsを歌ったことはよくよく覚えている。何故かと言うと、母と好みを違えて好きだった曲だから。私のリクエストでしか家で流されないその曲を歌われた時、私は本当に嬉しかった。自分の好きを大きな会場全部で肯定された気がした。

コールなんて何一つ知らなかった。ムッキンチェくらいは知っていたかもしれないが。でもstrangerのコールはやった覚えがある。覚えやすくやりやすいコールって素晴らしい。
それから、ソロ曲でオニュさんが素晴らしく太い声で朗々と歌っていたことは覚えている。人の声の美しさに感動したのはあの瞬間が初めてで、だから歌の上手さに圧倒された原体験はそこにある。

正直に言って、曲に関して覚えているのはここまで。あと覚えていることといえばミノさんがソロ後のMCで「本番直前までラーメンを啜り込んでいた」と暴露されていたこと。めちゃくちゃに笑った。MVばかりを見ていた私が知っているSHINeeはいつも凛々しくメイクをして、綺麗な服を着て踊っているお兄さん達だった。そんなお兄さんでもラーメンを食べるのか、とびっくりした。

それから覚えているのは、サプライズタイムで紙を掲げた瞬間。当時小学生、周りの身長に負けないようにと横の人に高さをきっちり合わせたことを覚えている。天井席だから文字がきちんと読めて、こんな方法があるのかとしきりに感心した。こんな方法で、SHINeeに言葉を投げられるのかと。

ライブの最中、いくら叫んでも叫んでも自分の耳に自分の声が聞こえなかったのだ。子どもの声量なんてたかがしれているし、その上ライブ会場の爆音。東京ドームという反響が特殊な環境。そりゃそうだと言ってしまえばそうなのだが、当時私は酷く不安だった。同じ場所にいるのにいないみたいで、SHINeeはそこにいるのに遠すぎて、私の声が除外されているみたいで。

だから、掲げた文字をメンバーが追って、泣いたのを見て私はとても嬉しく、安堵した。自分の思いが伝わるんだと知った。
そこに掲げられていた言葉はもう覚えていない。けど、横の人に高さを合わせて、下ろさないよう長い時間腕を張って、メンバーの目に入る景色になっている意識は、間違いなく自分の真っ直ぐな気持ちがSHINeeに直線で繋がった嬉しさがあった。自分がこの腕を下げたら変わってしまう景色を、今SHINeeは見てる。その事実が嬉しかった。ライブが、レーザーのような一方通行ではなく、こちらからも届けられるものがあるんだと知った。嬉しかった。私のいることを、声を上げる意味を、行動を肯定された気がしてならなかった。

私が覚えている全てなんてこんなものだ。夢見心地に会場を出て、気圧差に吹っ飛ばされたことはよく覚えているくせに上記以外のライブの記憶が一切ない。けど、あの時の感情の機微は今も尚私に根付いている。


ブラックバイトVS自己肯定

私は、1度SHINeeを離れている。小学6年生でライブに参加し、中学生に上がって忙しさに少しだけ見なくなった。だから私は、1of1を去年知った。

本当に、既存のMVすら見なくなったのは2017年の冬を過ぎてからだった。当時の私には地が崩れるほどの衝撃だった。耐えられなかった。親族の死すら経験したことがなかった私は、何に触れても痛くて、だから触れなくて済むようにグループを見なくなった。



そこから日本のネットアーティストにハマり、約6年追いかける。曲の系統も違うし、ライブパフォーマンスも全然違う。K-POPも触れるには触れたが、1年経たずに熱が冷めた。ネットアーティストを自分のペースで追いかけるのが楽しかった。SHINeeを思い出すことはそんなになく、自分で検索することもなかった。
なのに何故今こんなにSHINeeにとち狂っているのか。
ちょっとしたトラウマと付随した記憶になっているが、私は確かにSHINeeに救われた。


大学生になり、始めたアルバイトが散々だった。
飲食のホール。しかしセクハラあり残業あり、聞いてた話と違う業務に聞いてた話と違う給料。なんなら面接と態度が違いすぎる店長。この店長が嫌いすぎていまだに店の前を通れない。
高校はアルバイト禁止で、だからアルバイト経験の薄い私はこのバイトがおかしいのかどうかの判別が付かなかった。つかないままに続けて、朝から日付が変わるまでワンオペをさせられるバイト。知らない業務のことで怒られる。手書きのシフトはやたら読みにくい。5月に始めたアルバイトは、9月に差し掛かる頃には1番の憂鬱になっていた。辞めたかったけど、店長が怖くて言い出せなかった。

人は疲れると趣味の意欲すら削がれるものらしい。新曲、流行りの曲を追う気力も沸かず、私はひたすら聞いたことがあるメロディをなぞっていた。自分の記憶を手繰って、耳馴染みのある曲をイヤホン越しに聴き続ける。多分精神的にどうにかなっていて、当時は音楽か意味のある言葉を聞いていないと店長の声が幻聴で聞こえてくるために自室ではひたすら音楽を聴いていた。

そこで、SHINeeと出会い直した。記憶の扉を開けた。知っているメロディばかりの、幼い頃の記憶越しに聴くSHINeeは暖かくて力強かった。HELLOでぼろぼろ泣きながら朝を迎えた。その日にバイトを辞めると言った。

店長に酷く罵られて、残りわずかのバイトをどう過ごしたかも覚えていない。ちょうどラストのシフトに被せてコロナに罹り、最後の挨拶はLINEで済ませた。大学生の長い夏休みの真っ最中だったから、私は蒸し暑い部屋でひたすら寝て療養した。

そうしたら、バイトというものが全く怖くなってしまった。

もうひとつ掛け持っていたバイトもひと月単位で休んだ。休みで、暇なのに布団から出られなかった。もう辞めて関わりもないのに、店長の顔が見えた。怖かった。働いてこんなに怖いのなら、バイトなんてしたくないと思った。ひたすら丸まって音楽を聴いた。両親はコロナの後遺症だと思ったのか、私を放っておいてくれた。けどたまに、次のバイト探しているなら一緒にチェックするからね、と声をかけてくれた。両親にそう言わせるほど、元のバイト先に向かう私の顔は酷かったみたいだ。同じ顔をして家にいた。

そんな中、Twitterもチェックしていなかった私の目の前にどーんと出てきたのが、なんか社会人みたいな格好をしているキーだった。

SHINeeを聞いていたとはいえ、元々日本のアーティストのオタク。ティザーがなんなのか理解していたかったのだ。なんかのモデルでもやってるんかなと思ったらMVの話で、そのため度肝を抜かれながらMVを再生した。

初見で無茶苦茶に泣いた。

good&great初見で声を上げて泣いたシャヲルは、世界中を巡っても恐らく両手の指ほどもいないだろう。そのうちの一人が私である。
歌詞があんまりにも今の私に刺さっていた。アルバイト中、教わったことを間違えないように、店長の機嫌を損ねたりしないように大丈夫大丈夫、上手くやってる、平気と繰り返していた自分が泣いていた。無理やりに肯定して向かっていたバイトのことを、その気持ちを明るく書き換えてくれる歌詞だった。そこから逃げ出したことも、間違ってないと言われた気がした。ずっと存在していた罪悪感が解けて、涙になっていた。

9月の末まで、ずっとG&Gばかり聞いていた。心のつっかえ棒だった。その1本を頼りに、私はまたバイトに応募した。受かったから、SHINeeのファンクラブに入った。そうしようと決めていた。


現在

あの時G&Gで周りの音を遮断しながら面接に向かったバイトは、今も続けている。めちゃくちゃいいバイト先である。雑談のし過ぎで上司がキボムの顔を覚えた。K-POPの話をできる友人もいる。

今もG&Gを聞くと胸が少しだけ苦しくなる。つらかった経験と紐付けられてしまったらしい。けど、まあそれも仕方ないかと思っている。Luciferを聴くと幼い頃のドライブを思い出して、Dangerを聴くと歯の痛みを思い出して、Why so serious?を聴くと母とダンスを真似たことを思い出すように、曲と関連づけた記憶というのは強い。DDDのライブだって、DDDとbreaking newsによって覚えているようなものである。

多分私はこれからもSHINeeの曲で色んな記憶や感情をどうにかこうにか丸め込んでいくと思う。曲に対する付き合い方なんて千差万別十人十色ではあるが、私の場合は記憶が付随する。曲を聴くとミュージックビデオのように、当時の記憶が鮮烈に蘇る。それは小学生の記憶も同じだ。
そうなるのがSHINeeの曲で良かったと思う。
SHINeeを好きになり直して良かった。キーに目を奪われて良かった。アトランティスのエンディング妖精で爆笑して良かった。東京ドームにいけて良かった。美しい人達に出会えた。

記憶と思いを書き出すのって難しい。けどこれを書く前よりぐんと整理がついた気がする。書きながら、私は記憶に紐付けて曲を覚えているんだなと自認した。

また私は、こうしてつらつら書けるくらいにはSHINeeとSHINeeの曲で記憶を溜め込みたい。SHINeeは私の事なんて知らなくて良いしむしろ綺麗なものだけ見てて欲しいので鏡とメンバーの顔面のみを見ていて欲しいのだが、私はSHINeeを見続ける。その中で結び付けられた記憶もたまにこうして眺めたい。
楽しかったから読み返して、そしてまた書こうと思う。それまでに目下目標とするのは、Like itをアラームにしたがためにこの曲に結びついた記憶が眠気であることをなんとかしたい、それくらいである。

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