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Dear U

内面に関する文章を書くことを卒業してから1年と数ヶ月、今日はnoteへのOB訪問だ。

卒業、という体のいい言葉に逃げて「趣味で文章を書く」ことを辞めてしまってから早2年弱が経つ。その間に語彙力や発想力はすっかり錆びついてしまい、たまに書こうとしても全く指が進まなくなった。社会人として、事務的な文書に触れるスキルは必要かもしれないが、私的な、自らの思いの丈を冗長に書き連ねる技術など無くても困ることはない。

書きたいことも特に浮かんでこない。有り体に言えば「ネタ切れ」である。人生において様々な経験をし、少しは精神強度が向上したとは思うのだが、引き換えに鈍感になったような気がする。己が傷つかないために、嫌なものからは目を背け、嫌なことは考えないようになった。結果、表現したいと燃えることもなくなった。

私は職場の人間にnoteの存在を明かしていない。同期等とどれだけ仲良くしていても、だ。自己愛に塗れ、かといって芸術性を持つわけでもない文章が、もっと言えばそれを臆面もなく世に放つような人間が世間に受け入れられないことくらいは理解している。今後数十年にわたって働こうとしている組織において、必要以上に我を出すことで得られる快感と、その後に抱き続けるであろう居心地の悪さを勘案すると、この趣味は隠しておきたい。文章を隠しておいたとしても、歪んだ性根が言動から露呈するのも時間の問題かもしれないが……。

では何故、私が新たに書いた文章が世に出ているのだろうか。必要もないし、書く技術も精神も失い(元々大したものは持ち合わせていないが)、書く理由もそれを公開する理由も存在しないのに、何が私を駆り立てたのか。

大きい要因としては「約束」がある。とある友人に、私の文章を久々に読みたいと言われたのだ。書かなくなったとはいえ、そう言ってもらえるのはとても嬉しいもので、彼に向けてまた書く、と軽率に伝えてしまった。結果、そこから半年近くの時間が経過してしまっている。もし彼が待ち望んでくれていたら、非常に申し訳なく思う。

―――いや、ただ単に私が内面について吐露したいと思い直しただけだ。友人の言葉を格好の理由として使っているだけの浅薄な思考に違いない。そして、「内面について考え、表に出す自分」に酔いしれる。私にとって、文章を書くことは、あくまでも己が気持ちよくなるためのツールでしかない。

まだ前置きの段階にもかかわらず、もう既に保身が始まっている。これを読んでいる貴方はどう思っているだろう。コイツ変わってねえな、と笑うだろうか。笑われるならばまだ良い。頭を抱えられているかもしれない。どちらにせよ、他人の印象に残っていれば、それはとても有り難いことだ。

そもそも、明確にテーマを決めて書き始めている訳ではないので、前置きも何もあったものではない。本論と呼べる部分がないのだから。見切り発車で書きはじめ、最初の1000文字で出てきたのが自己弁護とは情けない。

これ以上自分カワイイと書き続けても仕方がないので、ここ1年ほどの私について大まかに記していく。前述の友人(以下、『君』とする)に向けた文章として書いているので、他の読者の方にとっては些かイメージがつきにくい部分もあるやもしれないが、面識のない人間から個人を特定されないためにも、ここはひとつご容赦願いたい。

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君と最後に会った時、私は就職を控えていた。今、その通りに社会人となり、およそ1年弱が経過した段階だ。仕事は概ね順調で、先輩や同期とも比較的良好な関係を築けている。もちろん失敗もあり、まだまだ未熟ながら、悪くない生活を送っているとは思っている。

中学、高校、大学と1年生の時期に失敗を繰り返してきた人生の中で、社会人1年目はつつがなくやり過ごせそうだ。これは成長だと思いたい。

プライベートの面においては、複数あった趣味のうち、やめてしまったものもあるが、完全に仕事人間になったわけでもなく、それなりに充実した日々を過ごせている。

具体的に言えば、スポーツ観戦や音楽鑑賞は続けているが、文章に触れることや深夜ラジオなど、パッタリと途切れたものもある。時間がないというのもあるが、己の好みが変わってしまったのもまた事実だ。

音楽の好みも多少は変化した。数年前に幾度となく聴きこんでいたバンドの曲を追わなくなり、いま現在最もよく聴くアーティストといえばチャットモンチーだ。次いでスーパーカー、東京事変といったところか。前者2つは既に活動していないが……。

人間関係にも変化があった。元々他人とそこまで多く連絡を取り合う方ではないが、就職してからそれが顕著になった気がする。高校時代の友人で今も時たま連絡するのはついに1人になってしまった。大学時代の友人でさえ、君を含めて片手で数えられるほどだ。
以前は「人間関係リセット癖」のある人間の意味が分からず、それを寂しいことだと思っていたが、気が付くと自分もそれに近い存在だった。各々の成長――とは限らないので変化といったほうが良いか――に際し、ズレが生じてしまう、そんな経験をして、己の器の小ささを嘆いている。

自分で言うことでは絶対にないが、私を語るうえで、恋愛の話をしないわけにはいかない。私の、もっと言えば私の書くnoteで最もセンセーショナルな話題、それが異性関係である。
きわめて個人的かつ相手のあることなので、詳細はここには記さない(閉鎖的な場所ならいくらでも話したいところだ)が、小さな失敗をして、今はまたひとつの成功を掴みに向かっている、といった状況だ。
簡潔に、君にだけ分かるように書くと、昔のような不義理は起こすまいと心に決めて行動している。一方で、チョロい部分を克服できているかというと全くそんなことはない。身近な人間の魅力を感じ取りやすい性質は変わっておらず、むしろ悪化しているまである。
略奪が私の趣味でなくて本当によかった。そこは安心してほしい。

ともかく、私は元気でやっているということが君に伝わればいい。

ところで、君は元気か。近況はどんな感じだろうか。

君は私のようにSNSを頻繁に更新したり、そこで内面を語ったり長文を書きなぐったりはしないから、遠方に住んでいるとなかなか現在地を知ることができないが、繊細さと力強さをもった君がどうしているか、時々気になることがある。

理不尽に苦しんでいないか。何かと何か、誰かと誰かの板挟みになっていないか。逃げ場はあるか。

周囲に散々心配をかけてきた私が心配するようなことではないが、やはり友人たる君にはできるだけ幸福であってほしいし、実りの多い人生を過ごしてほしいのだ。

相談してほしい、とは言わない。君から相談を持ち掛けられることなど稀だし、君の悩みに対して良い答えを持っているのは恐らく私ではない。そもそも、これまでも君は自分で結論を出してきただろうから。

君が自分のストイックさで自分を追い込むことにさえ気を付けてくれれば、私からは何も言うことはないし、言うべきでもない。


1年も会っていないと妙に重たい文章を書いてしまったが、伝えたいことをまとめると、また会ってバカ話したいし、それまでお互い元気でやろうぜ、というだけの話だ。それを言うのと自分の近況報告だけで3000字も使ってしまった。忙しいだろうに最後まで読んでくれたことに感謝する。


書き終わってから読み返すと、やはりまとまりを欠いているな、というのが正直な感想だ。ブランクがあるとこうもスラスラと書けないものなのか。

次はまたいつになるかわからないが、公開の有無は別として、文章は書きたい、と思った。書く人間にも読む人間にも何の身にもならない自分語りではあるが、私は結局文章を書くのが好きなんだな、と再認識した。
今後は出来るだけ狭い範囲にしか見つからないように、細々とやっていくようにするか。いくら私といえど、誰にでも内面を見せたいわけではないのだ。

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