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ゲームをすることに義務感を感じていないか。SNSでゲームに溺れないための手引き

私は最近ゲームに溺れかけている。

「積みゲーなんて当たり前じゃない?」と思った人も多いだろうが、そうではない。

Twitterで流れてくる名作ゲームの思い出・クリエイターやメディアが絶賛するもの・高名な人が紹介する隠れた良作……こういったゲームの情報が波となって押し寄せてくるのだ。

そしてそれらはあたかも「ゲーム好きなら当然知ってますよね?」と言った顔をしてくるのである。当たり前だがそんなことは誰も言っていないし、私の被害妄想に過ぎない。それでも私は事実その波に溺れかけることがある。

なので今回、溺れないための手引きを自分のためにも、もしかしたら居るかもしれない自分と似たような感覚を味わっている人のためにもここに残しておくことにする。

ゲームをしなければならないという義務感の正体

Twitterを眺めていると「ゲームをしなければならない」という義務感に襲われることがよくある。

まず、その義務感を構成するものは何か。ツイートの種類を整理しよう。

・新作ゲームのプレイ経過報告
・名作リメイク・続編の情報
・著名人のゲーム紹介やゲームへの絶賛

大きく分けてこの3つだ。

では、これらがなぜ義務感となってしまうのか、1つずつ解析していこう。

「新作ゲームのプレイ経過報告」

新作ゲームはお祭りだ。新作ゲームの1ヶ月前から人々はそわそわしだし1週間前には予定をどうしようという話が流れ始める。この時点で「まだ今やっているゲームを消化できていない」というプレッシャーが生じることになる。

そして新しいゲームが発売されるとタイムライン上にはそのゲームのスクリーンショットや感想が流れ始める。このとき、自分だけ違うゲームをプレイしていたなら「話題に乗り遅れるのでは?」「感動を共有できないのでは?」「古いゲームの話なんて誰も興味が無いのでは?」というプレッシャーに襲われることになるのだ。

「名作リメイク・続編の情報」

ここ最近(2020年現在)はとくに多くなってきたように思う。

単なる移植に留まらず、過去の名作がフルリメイクとして話題となることは多くなった。具体的に言えば「FF7R」「ゼノブレイドDE」「聖剣伝説3 トライアルズ オブ マナ」「The last of us part ii」などがそうだろう。こういった名作は熱狂的なファンが多く居るので過去にプレイしていた人もまた多く、そういった人々はタイムライン上でその思い出やリメイク前との違いを熱く語り続ける。もちろん私もそのうちの1人だ。

これは続編でも同じことが言える。直近では名作「The Last of Us」の続編が発売された。少し前にもFPSの大巨頭「DOOM」の続編が発売され話題となったし「どうぶつの森」は社会現象レベルにまで達した。

そしてこれらは「名作ならばやっておかねばならないよね」「せっかくなのだし、この機会を逃してはならないよね」というプレッシャーを産むのだ。

「著名人のゲーム紹介やゲームへの絶賛」

Twitterで積極的にゲーム情報を集めていると、ゲームクリエイターやゲームメディア関係者のツイートを目にすることも増えるのではないだろうか。

彼らはその道の専門家であるためアンテナも広く、一般人と比べてあまり知られていない作品をよく発見してくる。そして目の付けどころも鋭いのでその紹介も非常に興味をそそられるし関心させられる。

これはコアなゲームだけではない。有名なゲームにおいては当然すばらしい部分が多いので、業界の著名人から数々のコメントやレビューが送られる。

そしてこれも「ゲーム好きを自称しているのならばやっておかなければ」などと言ったプレッシャーを産むのである。

義務感とは1人違うことをすることで産まれるプレッシャー

ここまでの話から、ゲームをプレイすることへのプレッシャーを大まかに分類すると以下のようになる。

・仲間外れになることへの恐怖
・名作に触れるのは当然だよねという圧力
・ゲーム好きと名乗ってもいいのかという自信の喪失

これらすべてに共通するのは「他人と自分が違うこと」への焦りだ。

とくにTwitterはTime Lineというだけあって、常に話題が移り変わっていく。フォロワーは自身と同じゲームをしている人に対してツイートをRTやいいねで反応する。TLは話題のゲームの話だらけだ。その流れに乗せるべきツイートはやはり同じような話題、すなわち話題のゲームでなければならないのではないか? そういった恐怖に支配されるのである。

現実はこう。全員やってるわけがない

さて、ここまですべての話は幻想だ。

そもそもTwitterのTLは自分で作り出したものなのだ。

誰もフォローしていなければ何も流れてこないし、レトロゲーム好きばかりフォローすれば最新ゲームの話なんて流れてこない。TLの表示形式を「ホーム」から「最新ツイート」にすれば他人のいいねも流れてこない。他人のRTを流さないようにする機能もある。

TwitterのTLから感じるプレッシャー、そこから生まれる義務感はすべて自分が作り出したものに過ぎない。

それを踏まえたうえで、次のデータを見てもらいたい。

ゼノブレイドは前作Wii版は15万8,988本の売り上げを誇る。そしてWiiの売上台数は日本で1,275万台だ。新作ゲームとして(ゼノシリーズではあるが)はかなりの売り上げであるが、それでもWiiユーザーに対してほんの1%程度にしか満たないのだ。

そしてFF7Rは100万本。対してPS4は日本では911万台だ。凄まじい数字であるが、ユーザー数は10%やそこらである。

そこでいくと「あつまれ どうぶつの森」は社会現象にもなったレベルであるが販売本数は448万、Nintendo Switchは日本において1,344万台売れているのでユーザー数は33%といったところである。

どれも驚異的な数値であるが「全員やっている」訳ではないことは十二分に分かるはずだ。

どのゲームも「やっていない側」が多数派なのだ。

またこれらはハード毎の割合であって、全ゲーマー人口を合わせればさらに割合は薄くなっていくことだろう。

誤解無きように言っておくが、売り上げ本数がどうとかを語りたいのではない。ゲーマーなどという曖昧な枠で一括りにできるほど人間の好みは浅くなく、十人十色さまざまな人間が好きなゲームを自分のタイミングでプレイしているのだ。

そもそも全部プレイする時間がない

社会人が残業無く仕事をしたとして、だいたい8:00~17:00。睡眠時間を7時間確保し、朝晩の食事を1時間。風呂を1時間としても残り6時間。さらに通勤時間や洗濯・掃除など加味するとゲームに使える時間なんてほんの少ししかない。

こうなってくると話題に挙がるすべての作品を片っ端からプレイなんてできるはずがないのだ。大手の出すゲームだけでも相当な数があるし、インディーゲームにまで手を出すととんでもないことになる。たとえば、このあいだ放送されたばかりの「INDIE Live Expo 2020」では150以上もの作品が紹介された。これらをプレイしている間にも続々と新しいゲームは発売されていくし、すべてを網羅しようなどというのが到底無理なのである。

土日もすべて使えば話題の大手だけならばギリギリ追うこともできるだろう。しかし、ゲーム以外の体験によってゲーム体験がより深く楽しくなることも多い(実際、現実の映画や小説がゲーム内でパロディやオマージュとして登場することは多い)し、ゲームを楽しむことがゲームをすることだけとは限らないのだ。

好きなゲームを貸したりしたことってない?

友達に「このゲーム面白いよ」とゲームを貸したりおすすめしたりしたことはないだろうか?

今はDL版だったりアカウントの紐付けだったりでそういう貸し借りはないかもしれないが、Twitterなどで周りに「これやってみて!」と言ってみたり、あるいはそういうツイートが流れてきたのを見たことがあると思う。Steamなどではギフト機能によりフレンドにゲームを購入してプレゼントすることもできる(Switchとかでもできるようにしてほしい)。

こういった布教活動の背景には「自分の好きな作品をもっと知ってほしい」「同じ感動を味わってほしい」という気持ちがある。

このような気持ちは時間が経っても色褪せることはないし、そもそも布教している時点で、布教された相手は布教した人より後にプレイしていることになる。

つまり、好きな作品の話題や感想、それを楽しむ人を見ることに流行なんてないのだ。いつ話しても楽しい。いつ語られても嬉しい。だから古いゲームに対する感想ツイートやnoteが何度だって話題に挙がってくるのだ。

他人の感想を見ることで追体験し、懐かしんだり、新たな発見をしたり、様々な感動が得られる。

だから胸を張って自由に好きなタイミングでプレイすれば良い。

SNSで曇りがちだが、ゲームへの愛し方は千差万別だ

SNSによってゲームが好きなもの同士が繋がりやすくなり、他人のゲームに対する発信を見る機会が増えた。

そして同好の士が増えると、その趣味の最新情報は話題に挙がりやすくなる。これは好きなジャンルが広い人ならばより顕著となるだろう。前項でも少し触れたが、年間におけるゲームの発表数はなかなかに多い。SNSには往々にしてトレンドを追いかけたりピックアップする機能があるし、話題の密度としてはなかなかになるだろう。

しかし、そんなものはゲーム業界全体で言えば一握りの話題でしかないのだ。皆が皆、ゲームの最新情報に張り付いているわけではない。テレビでCMを見て初めてFF7Rの存在を知ったという人も多いのだ。

ゲームに対する楽しみ方は人それぞれだ。最速クリアを目指す者。じっくりすべてのNPCと会話する者。何度もクリアする者。世界観や背景を考察する者。キャラクターを追いかける者。各々がゲームに対して自分なりの愛を持って接している。そこに正解はなく、いろんなプレイヤーが居るから多種多様な感想が生まれ、趣味の世界はより深みを増すのだ。

無論、新しい作品はできるだけ早く買うことが作者への応援になるのは事実なので、お金に余裕がある方は私と一緒に積もう。

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