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7月7日「可愛い七夕飾りを見て思い出す可愛くない記憶w」

七夕ですね。近くの幼稚園の庭に、子どもたちの短冊が飾ってあった。
色とりどりで可愛らしい。どんな願い事が書いてあるのかな。

自分も小さい頃は短冊に願いを書いていたんだよなぁ。
何を書いたんだろう?って思い出してみたりした。

幼稚園の頃の七夕なんて記憶に残っていないんだけど、七夕以外でも「なりたいもの」とかを書くことが結構あると思うのですよ。
通っている保育園なり幼稚園なり学校なりで。

七夕は覚えてないけど、それ以外でそういうのを書かされているときのことは覚えている。

だって「書くことないな・・・」っていつも思ってたから笑
ほんとうに昔から変わらないなぁ。

「なりたいもの」とかって全くなくって。
でも何かしら書かないといけなかったから、近くの子の真似をして書いていたな。
だから先生としては「この子、こんなこと考えてたんだ!?」って驚いたらしい。by母情報。

クリスマスとか誕生日だとかに好きなものを買って貰える、という時でさえ無反応だったんだって。
おもちゃ売り場に連れていって「好きなもの選んでいいよ」って言っても、その場からほぼ動かないしなんにも手に取らないから、大人としては味気ないし困ったらしい。
う~ん。。。覚えてない。。。
今なら大喜びで買って貰うのに笑

私とは正反対に、弟は猛ダッシュで好きなおもちゃへまっしぐら!なタイプだったから、両親はとても嬉しかったみたい。

まぁそんな私も小学2~3年くらいには、しっかりと欲しいものをねだるようになってましたが。
でも相変わらず「夢」とか「なりたいもの」に関してはなかったな。

絵を描くのは好きだったけど、だからといって「画家になりたい」みたいなことにはならないし。
昔から「淡々とその場のことをこなしていく」みたいなタイプだったのかもなぁ。

なんか「夢」とかって、「もってないといけないもの」って風潮がめちゃくちゃ嫌で。
別にないならそれでよくないか?
といつも思っていた。

最初から「宇宙飛行士になりたい」と思う人もいれば、
宇宙やロケットや科学が好きで、それをやっているうちに最終的に求めたのが宇宙飛行士だった、っていうこともある。

特にこれといったものがなくても、いまその時にやっていること、やるべきことをやっていたらちゃんと道は先へと繋がっていくから、無理やりに「夢」を創り上げなくていいと思う。

無理に力を加えると変な方向に矢印がむいちゃうだけだし。

自然な状態でいて、その時々で自分の素直な感情などを感じ取ることができていれば、ちゃんと道はできていく。

「こうあるべき」っていう全く要らないおせっかいを受け入れちゃう癖がついてしまうと、ほんとうの自分を感じ取るセンサーがどんどん鈍っていっちゃうから、そういうのは全部無視しちゃえばいい。

ほんとしょっちゅう「なんでこんな思ってもいないこと書かなきゃいけなんだ。めんどくさい」って思ってたなぁ。
色んなこと覚えてないのに、こういうのはしっかり体感として覚えてるんですよねー。っていうか、そういう記憶ばっかりだ笑

七夕の可愛い飾りをみて、なぜかこんな可愛くない記憶のお話でした!

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