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サラリーマンとトトロととろろご飯

やあ。
今から書く導入はめちゃくちゃつまらないけど、本編は面白いはずだから。我慢して読んで。頼む。

ちなみにタイトルは語感が良かったというそれだけの理由でつけました。
ブログの内容とは2%くらいしか関連がない。とろろご飯に至っては登場すらしない。とろろご飯ファンのみんな、ごめん。

では、どうぞ。

2022年が終わろうとしている。

今年は、僕も、世界も、変化した。
と、なんの捻りもない総括をしてみる。

僕は2022年、大学生、塾講師の肩書を失い、ピチピチの新入社員、サラリーマンの肩書を得た。
生活は一変。毎日ブログを更新していた日々など、遠い昔のようである。

世界も大きく変わった。
ラブアンドピース。とだけ記しておく。


変化について、思うことがある。
あ、本編です。おまたせ。

変化の観測は、かなり多くの場合に、主観的に行われるんじゃないかって話である。

しばらく前、まだ大学生だった頃かな。ココスに行ったんすよ。ドラドラ〜つって。
そんで、それがまた久しぶりのご来店だったわけなんだけれども。ご来店ってお店視点じゃない?行く側は何?訪店?訪店だったんす。

おそらく小学生の頃ぶり。
僕はもうワクワクしてたわけです。
なんたって、小学生の頃めちゃくちゃ好きだった「包み焼きハンバーグ」を食べられるんですもの。

蛇足ですけど、僕幼少にピアノ習ってまして、発表会終わりのご褒美ご飯がこの「包み焼きハンバーグ」だったんね。メモリアル味。思ひ出テイスト。

だがしかし、約10年ぶりの再会を果たした「包み焼きハンバーグ」を口に入れるや否や、僕のワクワクはなんだか萎んでしまったのだ。

「なんか、味、変わった…?」

10年も経つのである。材料の仕入先とか、変わっていて何も不思議ではない。弁当の上げ底ここに極まれりな昨今、製造方法なんかも変えてたりするんだろうか。

そんな再会のお話。
は一旦置いておいて。


僕、最近ね、
ブラックコーヒーよく飲むんです。

昔は「何が悲しくて焦がし豆絞り苦汁なんか飲まなあかんのだ」なんて思ってたんですけどね。
不思議なもんで、いつの間にか美味しいと思うようになるんですね。

まあ、ネギなんかも昔大嫌いだったけど、今や普通に美味しく食べるもんなあ。

んん?


「包み焼きハンバーグ」の味は、本当に変わったんだろうか…

歳を重ねると味覚が変化するのはなんだか当たり前のことなのに、
ココスにいた僕は、なぜ「変わったのはハンバーグの味だ」と決めつけ、
微塵も疑わなかったのだろう。

ブラックコーヒー飲むときは、
「最近のブラックコーヒーは美味しくなったなあ!企業努力の賜物だ!」
なんて思いもしないのに。


思うに、僕は無意識に「変わり得るもの」と「変わらないもの」を区別している。それが正しいかは別にして。

変化を観測したその時、僕の脳内では、まず「変わったのは自分ではない」という先入観の中で捜査が始まる。なんだ、何かが違うぞ!
しかし、僕が目の前にしているものは「変わらないもの」である…
おかしい。缶コーヒーの味なんて変わらないはずなのに!!
そこでやっと、「変わったのは…俺か…?」となる。のだ!

聡明な読者諸君はこう思っているだろう。

缶コーヒーの味、変わるだろ。と。

そうなのである。変わるのである。
実のところ、先の2つの事例だって、たいして性質の違う例ではないのである。ココスの「包み焼きハンバーグ」も、缶のブラックコーヒーも、味が変わるかもしれないもののはずである。

にもかかわらずブラックコーヒーが「変わらないもの」判定になっていたのは、単に「オトナになると味覚が変わってコーヒーが美味しくなるんだろうなあ」という通説的なものを聞きかじっていたからにすぎないのである。

「変わり得るもの」「変わらないもの」ジャッジは完全に僕の先入観によるものであり、サッカーワールドカップでこんな判定しようものなら、「火星移住の下見」とかいってとんでもなく雑に宇宙に捨てられるであろう。

「変化したものの特定」という作業は、実は人間にとってかなり難しいはずである。

なんたって、変化を観測する主体が、そもそも変化し続けているのである。
そしてその主体は、しばしば乱雑に「俺は変わってねえ!」と決めつけてかかるのである。

顧みれば、「実は変わったのは俺か…?」案件は結構思いつく。

「この番組、昔は面白かったのに」なんて、人間が30年生きる間に必ず一度は言うセリフである。

また雑談挟むんですけど、Amazonプライム、いいですよね。
プライムビデオ、たくさん見れますよね。映画とか。
そんでね、結構昔の作品に再会するんですわ。
ああ~懐かしいわあ…(祖母ボイス)って。見るっしょ。
そうすっとね、面白く感じなかったり、するんですよね。
不思議ね。あんなに好きだった作品なのに。

そりゃそうである。なんたって、僕が10歳にも満たぬうちに楽しんだ作品である。擦れ切ったサラリーマンに同じ感想を抱かせるのは不可能に近い。

トトロは今も好きな作品だけど、最近は「お父さん」の子どもたちへの接し方に感心したりするのである。10歳でそんな感想文書いてきたらドン引くだろう。そういうことである。

面白くなくなったあの番組も、ただ単に自分がターゲット年齢から外れたから面白く感じなくなっただけかもしれないのである。

2000文字超えたんでそろそろ締めようかな。

なんにしても、何かが変わったと感じたときには、
頭ごなしに変わったことを非難することは避けたいと思う。

一度立ち止まって、自分に変化はなかったのか、顧みるべきである。
顧みたからといって正しい結論が導けるとも限らないのではあるが、やらぬよりは幾分かマシな結果に終わるような気がするのである。

でも多分、ココスの味は変わった。

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