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「痴漢に違いないけどガッツリではないので現行犯で吊し上げるには気が引ける姑息な中途半端野郎」vs「冤罪を恐れる僕」 〜すげえ長い蛇足を添えて〜

さてと。

社会人2年目に突入いたしました。僕です。
皆さん久しぶりだね。元気してた?
最近どう?僕はぼちぼちです。

しばらくブログを書いてない間、僕が何をしていたかというとですね。
ズバリ。社会人です。
いやー。社会人すごいよまじ。
週5で働くもん。そんなんできひんやん。普通。
働く人全てに感謝。皆に幸あれ。あと連休あれ。勤労感謝の日を5日間並べて9連休作るって公約掲げたら総理大臣なれると思う。

総理大臣で思い出したけど、世の中なんだか物騒ですね。皆気をつけてね。

そうそう、物騒といえば今日、満員の通勤電車で「痴漢に違いないけどガッツリではないので現行犯で吊し上げるには気が引ける姑息な中途半端野郎」に遭遇したんですよ。具体的にはね、さっきまで両手でスマホ持ってたのに、隣に女性が来るや、そっち側の手をポッケに突っ込んで密着させようとするという。経験ある人、いるんじゃなかろうか。悲しいことだが。

というのもな。僕もやられたことあるんじゃ。コレ。なんか好みやったんやろうな。
忘れもしない高2の夏。オープンキャンパスに向かう電車の中。奇遇にも今日と同じ路線じゃった…
満員とは言わないまでもそこそこ混んでいた車内、サラリーマンぽい男がワシの前に立ったんじゃ。手さげカバンを持っておった。
ワシはドアに向かって立っとった。その男も前ならえで向こう向くのが普通じゃと思うた。
しかしその刹那!ワシは目を疑った。
かれは横向きに、ワシの前に立ったのじゃ。意味が分からなかった。ドアの前に別の人が内側向いて立ってたとかならまだ分かる。しかしな、ワシとドアの間にはその男以外誰もいない。理解不能じゃ…
そう思った刹那!!ワシは股間を疑った!!
奴の手さげカバンを持つその手の甲が!!ワシの股間にファーオ♡してたのである!!!

「これが東京か…」

幼きワシは痛感した。これが奴らの手口。
普通に考えて完全に痴漢であるこの状況、しかし一見、彼はカバンを持って立っているだけなのである。これで「この人痴漢です」は言い辛い…
なるほど痴漢の泣き寝入りが多いわけである。くそったれである。

というわけで、僕は「痴漢に違いないけどガッツリではないので現行犯で吊し上げるには気が引ける姑息な中途半端野郎」、略して「中途半端痴漢野郎」に強い恨みを持っているのである。回想終わり。

で、正義の塊こと僕。動きます。
「中途半端痴漢野郎」の手in theポッケと女性との間に、無理やり割り込んでやったとです。「中途半端痴漢野郎」の手in theポッケは僕の太腿を避けようとしながら、それでも僕の太腿を触っていたのです。

逆上されたら怖えなあ…と思いながら、避けようとする奴の手in theポッケを執拗にマークし太腿を押し付けてやったとです。結局乗り換え駅まで太腿こすりつけ男になったとです。

ふはははは。どうだ。ムチムチじゃろうて!!
ハッピーエンド!!!!

と、思ったんだけどさ、今考えたら、女性目線では痴漢同士の痴漢バトルに見えていたのでは…?と。恐怖を与えていたとしたら本当に申し訳ねえなと。

こういうのどうするのが正解なんですかね。なんか最近、「痴漢されてない?大丈夫?」的なメッセージをスマホ画面に表示するアプリとかあるらしいですけど、あれも「中途半端痴漢野郎」だと使うの勇気いりますよね。

なんかもっといい方法あればコメントで教えてください。ちなみにこの先、蛇足(本編)です。


さてと、見ての通り僕、正義の塊なんですけどね、なんか最近、「世の中の争い事のほとんどは正義vs正義なんだよね」みたいな論調をどっかで見た気がするんです。どこで見たんでしょうね。この出典不明の記憶がふわふわするのって、ネット時代らしさだよね。

出典は置いといて、僕はなんか、この言葉がしっくりきて、そんで矜持にしなきゃと思ったんす。

例えば昨今の戦争とか、僕にはどうしても彼の国の理論は理解できないし、絶対悪だと思っている。
でも彼の国には、自分たちこそ正義であると信じている人がいる。
持論だが、自分が悪だと思うことに命を繫けられる人は、そんなにいないはずである。
両者、自分こそ正義であると信じているからこそ、争いは大きくなり、泥沼化する。

かの「中途半端痴漢野郎」が、僕にあんなにもガン詰めされて文句の一つ言わずに引き下がるのは、彼は自分の行いが悪であると認識しているからだと思うのである。


さて、「双方に正義がある。喧嘩両成敗じゃ!」と言ったところで、当事者にしてみれば余計なお世話である。

等の僕とて、彼の国にも正義があると自分に言い聞かせても、どうしても中立にはなれないのである。それは自分に危害が及ぶことへの防衛本能によるものでもあり、またある種のイデオロギーの中で育まれた、僕の論理的思考によるものである。

そしてそれは、相手方も同じである。
だとするならば「話せば分かる」はとんだ夢物語であることは明白だ。
話せば分かるのは、自分にごく近い思想を持ち、同じ利害関係をもつ人とのみである。

じゃあ「双方に正義がある」を矜持にするなんて意味ねえじゃん!と思うじゃん?

戦争の例はちと争いの規模が大きすぎて、深刻すぎるから解決しなきゃいけないじゃないですか。
世の中には、「解決しなくてもいい問題」って結構あると思うんですよね。

で、「解決しなくてもいい問題」には、この矜持はかなり大事な意味を持つと思うんです。

例えばね、ある人との意見の相違、日々の言い争いみたいなことを考えてみてほしいんです。
なんとしても自分の正当性を主張したい!そう思うほど、争いはヒートアップします。そりゃお互い正義だもんで。
そんな時、「あ、向こうにも向こうの正義があるんだな」と。「相手の中では筋の通る理論があるんだろうな」と。そう立ち止まることができれば、それは「解決しなくてもいい問題」になると思うんです。要するに、白黒つけずに寝かせるのです。相手がどうしても白黒つけたがるなら、相手を立てれば良いのです。
それでこちらの溜飲が下がらないのなら、そこがその人との仲の限界です。よほど大事な人でなければ、距離を置いてみるのも良いでしょう。

いつの間に占いみたいになってしもた。

さてさて、上記の例に対して、問題解決してねえ!は通用しない。なぜなら解決してないから。
「解決しなくても人は死なん。」という温度感の話なのだ。

理解し納得する必要など全くもって無いのであるが、「相手の正義」を認知しておくことは、人との丁度良い関係を保ち、自分の心を守るにあたって、非常に有効なんじゃねえかって話である。

疲れたから寝ます。またね。


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