初めてのお墓問題
3月の末に父が亡くなった。よく入院をする体の弱い人だったが90歳越えのいわゆる老衰で天寿を全うした感がある。
コロナ禍の老老介護に限界があり、背後の1年半くらいはデイサービスで利用していた施設にお世話になった。コロナ感染防止で会いに行ける機会が少なく、行けても人数や時間が制限されていた。徐々に私のことも忘れていくのだろうなぁと覚悟はしていたけれど、意外にしっかり覚えていて嬉しかったり驚いたり。
年が明けて何度か誤嚥性肺炎になり、最期の時が近づいてからは面会制限がなくなった。お医者さんや看護師さんを派遣してもらったりしていたが食べる気力が減り、とろとろと眠っている時間が増え、風邪のような症状になり、夜中に息を引き取った。
キリスト教系の施設でとても綺麗にしていただき、葬儀屋さんと話がまとまるまで、小さな礼拝堂に安置していただいた。ステンドガラス越しの光を浴びている父は幸せそうに見えた。つい、キリスト教もいいなと思ったが、目の前に家庭内宗教問題が控えていた。
さほど信心深くない両親だが、宗派が異なること、父は三男坊で実家のお墓に入れないこと、そもそも他県のお墓は現実的でないことから、目前に迫った葬儀を決めるのが難航。戒名はつけない、お墓問題は後日相談ということで、父の宗派の行ったこともないお寺のお坊さんにお経をあげてもらうことでおさまった。
夫曰く、君の実家はレストランで注文するだけでも議論になる、そうで、案の定、お墓問題は難航。四十九日までに決着せず、前回のお坊さんに実家に来ていただき、またお経をあげていただくことに。三途の川を渡れないといけないので、戒名はつけてもらい、位牌も届いた。
暑い夏は一時休戦。お墓の候補として、母の実家がお世話になっているお寺さんがあがった。母の粘り勝ち。まだ暑い9月末頃にお寺にお邪魔して空き墓地を見学。どこでもいいんじゃない?と思っていたが、微妙にサイズが違ったり隣近所の墓石のサイズやはみ出し具合があって現地現物の重要性を感じた。
お値段やお支払いはなんとなく、ぬるーっと示され、後日振り込み。不思議なことに請求書とかがないらしい。
一段落して気を抜いていたが、そろそろ石屋さんとの相談をしないといつまでも父が自宅にいることになってしまう。
ということで、まだお墓は建っていない。年越しになることは避けられそうにない。できれば一周忌までにはなんとかしたい。
ちなみにお盆をどうするか、母にも兄にも聞いたが、まだうちにいるからいいでしょと言われ驚いた。さすが親子。私もだけど。
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